2003 年 12 巻 p. 21-28
ポストモダンの存在解体の後に来る人間形成の思想とは?-教育思想史の領域において最もアクチュアルともいうべきこの課題を見据えた西平直氏の2つの論稿「東洋思想と人間形成-井筒俊彦の理論地平から」と「『無の思想』と子ども『無の思想』を『教育の問い』の前に連れ出す試み」について筆者が抱いた異和感から本稿は出発する。この異和感は、氏の<チャート>における他者性の不在から生じている。実のところ、他者性は、人間主体の変容の認識論的側面を描出するために、氏が敢えて前面に出さずに留めたものであった。だが、そのためにかえって人間主体の変容の存在論的側面が<チャート>のなかに十分に描出されなかったのではないだろうか。本稿では、まず、筆者の抱いた異和感の正体を明らかにするなかで、この疑問を提示する。次に、他者性を考慮に入れた「非有」という視座を規定し、この視座からの考察が取り組む課題を指摘する。