2003 年 12 巻 p. 29-40
今回の西平論は、神秘主義のもつ哲学的意味を哲学自体の問題として、とりわけ、脱(再)構築というきわめて現代的な哲学の問題としてとらえなおそうとする試みといえる。ここでの「知」は、自己の内奥における主客の溶解体験(無)を経て成立する。しかし、問題は、神秘主義が築いてきた重厚な哲学的営為を存在解体の意識のもと、西平がいうように、現実の次元から内奥に至る「意識フィールドの問題」として理解すべきなのか、あるいは深奥に突き抜ける「瞬間」のうちに意味を見いだすべきなのか、それとも、内奥への沈潜に基づく主体自体の変革による発達の上昇図式において考えるべきなのか。本論稿は、これら三つの問題を「垂直軸」と「水平軸」の交点である「瞬間」と「参与」の事態を解説することで融合的につなぐ試みといえる。