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原稿種別: 表紙
2003 年 12 巻 p.
Cover1-
発行日: 2003/09/27
公開日: 2017/08/10
ジャーナル
フリー
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原稿種別: 付録等
2003 年 12 巻 p.
App1-
発行日: 2003/09/27
公開日: 2017/08/10
ジャーナル
フリー
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田中 智志
原稿種別: 本文
2003 年 12 巻 p.
i-ii
発行日: 2003/09/27
公開日: 2017/08/10
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フリー
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原稿種別: 目次
2003 年 12 巻 p.
Toc1-
発行日: 2003/09/27
公開日: 2017/08/10
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西平 直
原稿種別: 本文
2003 年 12 巻 p.
1-12
発行日: 2003/09/27
公開日: 2017/08/10
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フリー
「無(空・タオ・絶対無・・)の思想」は「子どもの教育」について何を語るか。その問いを明確に設定することが本稿の課題である。答えを出すのではない。むしろ、その問いを問いとして設定することが、いかに困難であるか。その問題性の確認である。小論(「東洋思想と人間形成-井筒俊彦の理論地平から」)において提示された枠組みを、このひとつの問いに焦点を絞って、論じ直したものである。
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田中 毎実
原稿種別: 本文
2003 年 12 巻 p.
13-20
発行日: 2003/09/27
公開日: 2017/08/10
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東洋思想は、私たちの日常的思考にはきわめて馴染み深いにもかかわらず、在来の教育思想史研究では正面からは取り上げられなかった。西平会員の報告では、東洋思想と教育との関わりが数々の図式として提起され、教育理論の既成の枠組みを超える新たな展望が示された。しかし東洋思想における覚者が発達論的にみても存在論的にみても日常的な教育状況から超越的であるとすれば、覚者について語る者は、自分自身の理解の及ばない絶対的他者について対象化的に語るという誤謬を犯さざるをえなくなる。しかし覚者と他の人々との差異が、存在の構造化のありかたの違いであるとすれば、覚者について語る者は、それを自分自身の存在構造化の一つの可能性として自省的に語ることができる。発達論的説明は、西平会員自身の示唆するように、覚者と理論構築者のポジションを日常的生成のプロセスから超越させないで、構造論的に読みかえられなければならない。
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岡部 美香
原稿種別: 本文
2003 年 12 巻 p.
21-28
発行日: 2003/09/27
公開日: 2017/08/10
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ポストモダンの存在解体の後に来る人間形成の思想とは?-教育思想史の領域において最もアクチュアルともいうべきこの課題を見据えた西平直氏の2つの論稿「東洋思想と人間形成-井筒俊彦の理論地平から」と「『無の思想』と子ども『無の思想』を『教育の問い』の前に連れ出す試み」について筆者が抱いた異和感から本稿は出発する。この異和感は、氏の<チャート>における他者性の不在から生じている。実のところ、他者性は、人間主体の変容の認識論的側面を描出するために、氏が敢えて前面に出さずに留めたものであった。だが、そのためにかえって人間主体の変容の存在論的側面が<チャート>のなかに十分に描出されなかったのではないだろうか。本稿では、まず、筆者の抱いた異和感の正体を明らかにするなかで、この疑問を提示する。次に、他者性を考慮に入れた「非有」という視座を規定し、この視座からの考察が取り組む課題を指摘する。
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衛藤 吉則
原稿種別: 本文
2003 年 12 巻 p.
29-40
発行日: 2003/09/27
公開日: 2017/08/10
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フリー
今回の西平論は、神秘主義のもつ哲学的意味を哲学自体の問題として、とりわけ、脱(再)構築というきわめて現代的な哲学の問題としてとらえなおそうとする試みといえる。ここでの「知」は、自己の内奥における主客の溶解体験(無)を経て成立する。しかし、問題は、神秘主義が築いてきた重厚な哲学的営為を存在解体の意識のもと、西平がいうように、現実の次元から内奥に至る「意識フィールドの問題」として理解すべきなのか、あるいは深奥に突き抜ける「瞬間」のうちに意味を見いだすべきなのか、それとも、内奥への沈潜に基づく主体自体の変革による発達の上昇図式において考えるべきなのか。本論稿は、これら三つの問題を「垂直軸」と「水平軸」の交点である「瞬間」と「参与」の事態を解説することで融合的につなぐ試みといえる。
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相馬 伸一
原稿種別: 本文
2003 年 12 巻 p.
41-53
発行日: 2003/09/27
公開日: 2017/08/10
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ヨーロッパ17世紀は相反するモチーフに満ちた多義的な対象である。18世紀啓蒙主義はその克服を課題としたが、近代の問い直しが求められる今日、17世紀は再び注目されつつある。17世紀を通底するさまざまなメルクマールのうち秩序(ordo)の観念が注目される。しかし、この観点は従来の教育思想史叙述においては意外にも重視されてこなかった。秩序の観念に注目するとき、コメニウス教育思想の体系的な性格がクローズアップされる。コメニウス教育思想は、その実践的性格にもかかわらず先験主義的な哲学的省察の遂行として成立している。しかし、その思想は単なるデカルト的近代の教育学的対応物ではない。同時に、中世的な宗教性やルネサンス科学的な方法論に深く根ざしている。そして、この思想的多義性がデカルト的近代の相対化を可能にしている。この事実は、教育にとっての近代、教育にとっての理性の考察に示唆を与えるであろう。
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森田 伸子
原稿種別: 本文
2003 年 12 巻 p.
55-64
発行日: 2003/09/27
公開日: 2017/08/10
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フリー
本フォーラムの報告は、コメニウス教育思想をデカルト的近代と中世的な宗教性やルネッサンス的科学の双方に根ざした多義的な過渡期の思想として読み直すことを通して、従来18世紀啓蒙思想の陰に隠れて見過ごされてきた17世紀教育思想の再解釈を試みようとしている。本司会論文は、こうした報告の問題提起を、教授・学習論という角度から再構成し、コメニウスにおいて新たに成立した学習概念の歴史的位相を明らかにすることを目指している。
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宮寺 晃夫
原稿種別: 本文
2003 年 12 巻 p.
65-71
発行日: 2003/09/27
公開日: 2017/08/10
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フリー
教育思想史において、17世紀の哲学者デカルトは特異な位置を占めている。18世紀に入って本格的に展開する近代教育思想は、経験論をベースに教育の方法原理を開発していき、教育の可能性を広げていったが、デカルトにはじまる合理論はそれにたいしてどのような関わりをしてきたのか。本稿では、経験論と合理論の'結合'がコメニウスの教育思想にみられるとする相馬氏の解釈に、哲学史の定説のがわから検討をくわえていく。そのうえで、経験論の申し子ともいうべき学習心理学の「学習」にたいする、デカルトの合理論の系譜を引くチョムスキーの批判をとりあげ、思想史的には、経験論と合理論とは'結合'の視点よりも、'対照'の視点からみていくことが重要であることを論じていく。あわせて、学習論の思想史(という構想が成り立つとすれば、それ)の課題は何かを示していく。
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菱刈 晃夫
原稿種別: 本文
2003 年 12 巻 p.
73-81
発行日: 2003/09/27
公開日: 2017/08/10
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相馬伸一氏の「17世紀の教育思想-その再解釈のためのいくつかのアプローチ」という刺激的な論文から、とくに実質内容の中心と捉えられるコメニウスの「類似(アナロジー)」に着目し、その思想史的背景-地下水脈-の一端を、先行する時代・ルネサンスの自然観や「医学のルター」と当時よばれたパラケルススのなかに浮き彫りにしようとするラフな試論。結果、近代教育思想が再び活力源を汲み取るべき「大地」が示唆される。最後に、派生的に、教育思想史研究のあり方についても、簡単に言及した。
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駒込 武
原稿種別: 本文
2003 年 12 巻 p.
83-96
発行日: 2003/09/27
公開日: 2017/08/10
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本論文では林茂生という台湾人知識人がコロンビア大学に提出した学位論文に即して植民地教育の問題点を浮かび上がらせるとともに、当時の教育研究の中での位置づけを検討した。林の論文の基本的視座は、植民地教育と近代教育をほぼ同一視しながら、総督府の抑制的教育政策を批判するというものだった。しかし、1920年代に文化的同化政策が強化される状況の中でデューイの思想を流用しつつ、近代教育とは「内側から個々人を発達させる」ものであるという観点から植民地教育を批判した。その内容はアカデミックな教育研究の世界では黙殺される一方、台南長老教中学という学校を「台湾民衆の教育機関」として組織していく構想も1930年代には圧殺された。そこから浮かび上がってくる問題は、近代教育という理念の両義性であり、教育とは「日本人を日本人にまで陶冶する」(近藤壽治)ことであるという発想の暴力性である。
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藤川 信夫
原稿種別: 本文
2003 年 12 巻 p.
97-108
発行日: 2003/09/27
公開日: 2017/08/10
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フリー
本稿では、シンポジウムで問題となった歴史的事実としてのコロニアリズムとメタファーとしてのコロニアリズムの重層化を示す例として、大正期の教育学における最重要人物の一人であり、朝鮮における植民地教育政策にも深く関わった教育(学)者、澤柳政太郎の教育学と教育実践を取り上げる。ここでは特に、行為の結果を反事実的に行為の前提として先取りする教育行為と植民地における異文化否定としての同化政策との構造的類似性を明らかにし、そのことを通じて我々の教育の日常に潜む危険性を指摘する。
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安川 哲夫
原稿種別: 本文
2003 年 12 巻 p.
109-118
発行日: 2003/09/27
公開日: 2017/08/10
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フリー
筆者は、近代の教育思想を「学」という概念で、またイデオロギー批判的なアプローチで接近する方法態度には疑問をもっている。それゆえ本稿は、「コロニアリズム」としての「近代教育学」の理論的・構造的把握を直接目指したものではない。ここで意図されているのは、近代教育が「文明-野蛮」という対立軸を獲得し、理性や知識の進歩による文明化という課題を新たに成り立たせいく、その歴史的プロセスの解明である。その俯瞰図を描くことで、本稿は、18世紀後半の「文明」概念の誕生が、近代教育思想史上の重要な転換点を形成していたことを明らかにしようとしている。
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原 聡介
原稿種別: 本文
2003 年 12 巻 p.
119-126
発行日: 2003/09/27
公開日: 2017/08/10
ジャーナル
フリー
提案者3氏の問題提起を批判的に再構成しながら、教育学の本質をコロニアリズムの視点から問うための問題の立て方について若干の提案を試みる。文化的同化の機能をもつ教育には、おのずからコロニアリズムの本質が内在する。そのことを非文明の文明化という啓蒙の論理に出発点をもつ近代教育思想を歴史的視野において改めて考察することが本シンポジウムの課題であり、相応の成果を得た。しかしながら、いっぽうでは、その視野がややもすると人種主義的支配への批判や、二重基準に基づく教育機会の不均等論に限定されやすいことを反省しなければならない。教育学のもつコロニアリズム的本質を論ずることは今日大きな意味をもっているが、文化的同化と対抗文化のダイナミックスを軸にして、改めてその問い方を考えて見なければならない。
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片桐 芳雄
原稿種別: 本文
2003 年 12 巻 p.
127-135
発行日: 2003/09/27
公開日: 2017/08/10
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フリー
コロニアリズムは「文明化」の一環であり、その一形態である。教育学がコロニアリズムを語るとは、「文明化」の一形態としてのコロニアリズムに、教育(学)がどのように関与し、それによっていかなる性格を付与されたかを、それぞれの歴史過程に即して検討することである。本論文では、教育学へのコロニアリズム概念導入の過程を検討し、「教えるもの・教えられるもの」の関係を「植民するもの・されるもの」の関係のメタファーで語ることの、誘惑と危険について述べ、さらに駒込論文に触発されて、台湾と韓国(朝鮮)との植民地過程の差異について言及した。
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今井 康雄
原稿種別: 本文
2003 年 12 巻 p.
137-141
発行日: 2003/09/27
公開日: 2017/08/10
ジャーナル
フリー
シンポジウムの三報告は、植民地主義が啓蒙と同時に神話を生むという逆説的構造をそれぞれの視点から明るみに出している。近代に深く根ざしたこの植民地主義の問題に対して、比喩的転用を通して教育そのものに植民地主義を見出し、その啓蒙を通して植民地主義一般を克服しようとする「他者」論的な戦略はおそらく不毛である。必要なのは、神話を絶滅しようとする啓蒙によってかえって神話を発生させるという逆説にはまることなく、神話をコントロール可能にするような啓蒙を作動させることである。
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加藤 守通, 原田 寿江子, 室井 麗子
原稿種別: 本文
2003 年 12 巻 p.
143-152
発行日: 2003/09/27
公開日: 2017/08/10
ジャーナル
フリー
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今井 重孝, 鳥光 美緒子
原稿種別: 本文
2003 年 12 巻 p.
153-159
発行日: 2003/09/27
公開日: 2017/08/10
ジャーナル
フリー
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上地 完治, 小林 大祐, 澤田 稔
原稿種別: 本文
2003 年 12 巻 p.
161-169
発行日: 2003/09/27
公開日: 2017/08/10
ジャーナル
フリー
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山名 淳, 香川 檀
原稿種別: 本文
2003 年 12 巻 p.
171-180
発行日: 2003/09/27
公開日: 2017/08/10
ジャーナル
フリー
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下司 晶
原稿種別: 本文
2003 年 12 巻 p.
181-197
発行日: 2003/09/27
公開日: 2017/08/10
ジャーナル
フリー
PTSD論が喚起した外傷記憶の<現実性/幻想性>をめぐる問題は、1950年代の<誘惑理論の放棄>解釈図式の再燃といえる。クリスらの精神分析家たちは、『フリース宛書簡』から<誘惑理論の放棄>というフロイトの理論修正-<現実>から<幻想>への外傷報告の性質の移行-を発見し、それを精神分析の起源ととらえた。それに対し、マッソンらの心的外傷(PTSD)論者たちは、1980年代にこの図式を逆転させ、フロイトが外傷報告の<現実性>を棄却したことを、自らの批判的立脚点とした。これらの<誘惑理論の放棄>解釈は、ともに<現実/幻想>としての個体経験の重視という心理学的観点、自説の論拠としてのフロイトの生涯という枠組みを共有している。20世紀中葉、精神分析は、フロイトの多様なテクストを個体経験に収敏可能な範囲内に切りつめ、心理学理論として自らを整備し、その誕生を創始者の心理生活史に基礎づけることによって、自存的な言説として自律した。その契機こそ<誘惑理論の放棄>の発見だった。今日に至る、フロイトを心理学者たらしめるこの循環回路を超えて、彼を異化する必要があるのではないか。
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江口 潔
原稿種別: 本文
2003 年 12 巻 p.
199-210
発行日: 2003/09/27
公開日: 2017/08/10
ジャーナル
フリー
本稿では、戦間期にすすめられた社会システムの再編成において田中寛一の職業指導論が果たした役割を検討する。田中は「科学的」な人材配分を目的とした選職指導をすすめるとともに、勤労に関わる知識の習得と徳性の養成とを目的とした職業的陶冶を学校教育に導入するよううながした。田中の職業指導論の特徴は、個別的な技能の養成を主張した立場とは異なり、一般的な能力に基づく選職指導と職業的陶冶をすすめた点にあった。この時期に、企業内教育を重視し、それに基づく雇用方式を採用するようになっていた企業にとって、田中が主張した勤労に関わる一般的陶冶は、城戸幡太郎らが主張した就業前の技術教育よりも好ましい立場であったといえよう。この立場に基づく職業指導は戦時期の国民学校において制度化されていくが、これはこの時期の学校と社会との関係を捉える上で重要なだけでなく、戦後の学校と社会との関係を考える上でも重要である。
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白銀 夏樹
原稿種別: 本文
2003 年 12 巻 p.
211-223
発行日: 2003/09/27
公開日: 2017/08/10
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フリー
近年の教育学理論では、発達的な時間意識や客観的な時間意識に対する反省から、経験の瞬間性に注目を集めるものが少なからず登場している。だがその一方で、発達的でもなければ客観的でもない自己形成の時間的連続性について論じられることは必ずしも多くない。本論文では、自己形成の時間的連続性を考える手がかりとしてアドルノのいう「叙事詩的時間」に注目し、音楽をモデルとしたこの時間意識に基づくことで、自己の時間的連続性を開かれたものとしてとらえる人間形成観を提起する。ひとことでいうなら、現在までの意識と無意識をあわせた人間形成の歩みを、統一的な論理ではとらえることのできない錯綜した諸経験の布置関係によって構成されているものとみなしつつ、忘却された先行の経験を喚起し新たな布置関係の要素となるものとして、後続の経験を位置づける人間形成観である。こうした一連の運動のダイナミズムとして、人間形成における「叙事詩的」連続性を論じる。
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小玉 重夫
原稿種別: 本文
2003 年 12 巻 p.
225-228
発行日: 2003/09/27
公開日: 2017/08/10
ジャーナル
フリー
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生田 久美子
原稿種別: 本文
2003 年 12 巻 p.
229-233
発行日: 2003/09/27
公開日: 2017/08/10
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フリー
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森田 尚人
原稿種別: 本文
2003 年 12 巻 p.
235-239
発行日: 2003/09/27
公開日: 2017/08/10
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フリー
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松下 晴彦
原稿種別: 本文
2003 年 12 巻 p.
241-245
発行日: 2003/09/27
公開日: 2017/08/10
ジャーナル
フリー
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田中 智志
原稿種別: 本文
2003 年 12 巻 p.
247-253
発行日: 2003/09/27
公開日: 2017/08/10
ジャーナル
フリー
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越智 康詞
原稿種別: 本文
2003 年 12 巻 p.
255-259
発行日: 2003/09/27
公開日: 2017/08/10
ジャーナル
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原稿種別: 付録等
2003 年 12 巻 p.
261-262
発行日: 2003/09/27
公開日: 2017/08/10
ジャーナル
フリー
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原稿種別: 付録等
2003 年 12 巻 p.
262-
発行日: 2003/09/27
公開日: 2017/08/10
ジャーナル
フリー
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原稿種別: 付録等
2003 年 12 巻 p.
262-
発行日: 2003/09/27
公開日: 2017/08/10
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原稿種別: 付録等
2003 年 12 巻 p.
263-270
発行日: 2003/09/27
公開日: 2017/08/10
ジャーナル
フリー
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原稿種別: 付録等
2003 年 12 巻 p.
271-
発行日: 2003/09/27
公開日: 2017/08/10
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フリー
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原稿種別: 付録等
2003 年 12 巻 p.
271-
発行日: 2003/09/27
公開日: 2017/08/10
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フリー
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原稿種別: 付録等
2003 年 12 巻 p.
272-
発行日: 2003/09/27
公開日: 2017/08/10
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フリー
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原稿種別: 付録等
2003 年 12 巻 p.
272-
発行日: 2003/09/27
公開日: 2017/08/10
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フリー
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原稿種別: 表紙
2003 年 12 巻 p.
Cover2-
発行日: 2003/09/27
公開日: 2017/08/10
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