2006 年 15 巻 p. 81-88
金森氏の提示した遺伝子改造の倫理原則は実際場面において機能し得るのか、という疑問から本コメント論文の考察は出発する。この考察を通して、技術を開発する科学者と開発された技術を使用する一般の人々(生活者)では技術や倫理原則にアプローチする際のルールや形式が異なっていること、科学者のディスクールは「人間一般」という概念を措定せざるを得ず、それゆえ生活の実際場面では生活者の実際行為が創出するポリティクス・ゲームのなかで換骨奪胎されてしまう可能性のあることが明らかにされる。最後に、遺伝学(そして優生学)の知見が教育の領域に導入された時に、教師や保護者といった生活者がいかなるポリティクス・ゲームを展開したかを分析することが、今後の教育思想史研究の一つの課題として指摘される。