2006 年 15 巻 p. 143-149
本シンポジウムの三論考は、議論の整理、立論、問題提起のいずれにおいても優れた仕事である。しかし、一方で、そもそも国境を越えてひとと出会うとはどういうことなのかについて、あまり多くを語ってはくれていない。本稿は三者の論考に刺激されて「国家・グローバリゼーション・教育」の問題圏の広がりと留意点を私なりに捉え直したものである。本稿の問いは次の通りである。「グローバリゼーション」や「マルチチュード」として新たに名指された諸現象は、そう名づけられることによって見えなくなってしまった側面をもつていないだろうか。ひとびとのつながりを促進するはずのグローバリゼーションが「出会いそこない」を助長してしまうことはないのか。出会いそこなわれる状況を前にして、わたしたちに何ができるか。