2011 年 20 巻 p. 1-22
インファンティアの経験、いわくいいがたいものの在り処を指し示すために、ブーバーが類型化を避けながらくりかえしパラフレーズし続けた「教えなきものの教え」、「法なきものの法」、「かたちなきもののかたち」の思想的表現を辿る試み。ブーバーが「翻訳的に思考した」ことに着目しながら、言語、時間、力の連関を<隔たり>と<分有>の両側面から照射することで、<一>の普遍システムに還元不能なディアローグの真理の在り処と、人間の汲み尽くしがたい生に孕まれた無窮の動性のありようを叙述しようとした。ブーバーの「対話哲学」は、<隔たりと分有>の哲学へ、dia-logosの本態へ翻訳されねばならない。