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近代教育フォーラム
Online ISSN : 2423-8570
Print ISSN : 0919-6560
ISSN-L : 0919-6560
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表紙
原稿種別: 表紙
2011 年 20 巻 p. Cover1-
発行日: 2011/09/18
公開日: 2017/08/10
DOI
https://doi.org/10.20552/hets.20.0_Cover1
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(1619K)
近代教育フォーラム(標題紙)
原稿種別: 付録等
2011 年 20 巻 p. App1-
発行日: 2011/09/18
公開日: 2017/08/10
DOI
https://doi.org/10.20552/hets.20.0_App1
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(114K)
巻頭言
松浦 良充
原稿種別: 本文
2011 年 20 巻 p. i-
発行日: 2011/09/18
公開日: 2017/08/10
DOI
https://doi.org/10.20552/hets.20.0_i
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(153K)
目次
原稿種別: 目次
2011 年 20 巻 p. Toc1-
発行日: 2011/09/18
公開日: 2017/08/10
DOI
https://doi.org/10.20552/hets.20.0_Toc1
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(71K)
マルティン・ブーバーにおける言語・時間・力 : <隔たりと分有>の哲学とは何か(報告論文,フォーラム1 マルティン・ブーバーにおける言語・時間・力-<隔たりと分有>の哲学とは何か-)
小野 文生
原稿種別: 本文
2011 年 20 巻 p. 1-22
発行日: 2011/09/18
公開日: 2017/08/10
DOI
https://doi.org/10.20552/hets.20.0_1
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インファンティアの経験、いわくいいがたいものの在り処を指し示すために、ブーバーが類型化を避けながらくりかえしパラフレーズし続けた「教えなきものの教え」、「法なきものの法」、「かたちなきもののかたち」の思想的表現を辿る試み。ブーバーが「翻訳的に思考した」ことに着目しながら、言語、時間、力の連関を<隔たり>と<分有>の両側面から照射することで、<一>の普遍システムに還元不能なディアローグの真理の在り処と、人間の汲み尽くしがたい生に孕まれた無窮の動性のありようを叙述しようとした。ブーバーの「対話哲学」は、<隔たりと分有>の哲学へ、dia-logosの本態へ翻訳されねばならない。
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(1982K)
小野、ブーバー、ローゼンツヴァイク、ウィトゲンシュタイン : <新しい思考>へ至るドイツ=ユダヤ思想の一系譜(司会論文,フォーラム1 マルティン・ブーバーにおける言語・時間・力-<隔たりと分有>の哲学とは何か-)
丸山 恭司
原稿種別: 本文
2011 年 20 巻 p. 23-31
発行日: 2011/09/18
公開日: 2017/08/10
DOI
https://doi.org/10.20552/hets.20.0_23
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本論の目的は、小野フォーラム論文の司会論文として、小野がブーバーに見出す問題圏を明示し、それらの問題を問うことの意味を明らかにすることである。そのために、まず、ブーバーと密接な交流関係のあったローゼンツヴァイクを取り上げ、二人の共通の問題関心を示す。すなわち、ドイツ啓蒙思想に裏切られ、台頭してきた民族主義に再び迫害されつつある危機認識を背景に、ドイツに住むユダヤ人がいかにユダヤ人としての生き方を選び取れるかという関心である。続いて、ローゼンツヴァイクの唱える<新しい思考>が現代思想としていかに有効であるのかを、ウィトゲンシュタインの哲学実践と比較して、考察する。
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<隔たり>を維持した<分有>の動態 : LogosとLogoiとDia-logos(コメント論文,フォーラム1 マルティン・ブーバーにおける言語・時間・力-<隔たりと分有>の哲学とは何か-)
吉田 敦彦
原稿種別: 本文
2011 年 20 巻 p. 33-42
発行日: 2011/09/18
公開日: 2017/08/10
DOI
https://doi.org/10.20552/hets.20.0_33
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翻訳的緊張感とも言うべき強度をもつ小野論文の思考の軌跡をたどりつつ、まず、小野氏が提起するブーバーにとっての「翻訳」の意味を、彼の自伝を手がかりに、(Logosにとば)」と「Logoi(諸言)」の二重世界を架橋することの(不)可能性の問題として把握し、そこに小野氏の言語・時間・力に関する翻訳的思考の意義を確認する。次に、言語で分節された世界と、それ以前の根源的無分節性との二重の世界の折り重ね方、不断の往還の仕方をめぐる、思想史におけるその幾つもの諸相を描き出した井筒俊彦の考察を補助線とした場合、ブーバーの対話哲学ないし<隔たりと分有>の哲学の相貌は如何に際立てられるかを問う。その試みを通して、小野氏が言葉を尽くした、「<分有>の只中でなお維持される<隔たり>」の動態と、そのトポスにおいてLogosが自らを分節しつつ現勢化する「Dia-logos」の本態についての理解に迫りたい。
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さらなる<翻訳>にむけて : ユダヤ哲学における<翻訳>への問い(コメント論文,フォーラム1 マルティン・ブーバーにおける言語・時間・力-<隔たりと分有>の哲学とは何か-)
平石 晃樹
原稿種別: 本文
2011 年 20 巻 p. 43-51
発行日: 2011/09/18
公開日: 2017/08/10
DOI
https://doi.org/10.20552/hets.20.0_43
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ブーバーの<翻訳>的な思考をその<対話>哲学の本態として示す報告論文は、それ自身<翻訳>的な実践たらんとする複雑な仕掛けを有している。では、いったい、ここで賭けられている<翻訳>という営為はどのようなものとして理解したらよいのだろうか。以下の小論では、まずはこの問いを皮切りに、<ユダヤ哲学>における<翻訳>の位置価を測定するだろう。次いで、<翻訳>的な思考の生起が他なる理性との<対話>にその現場をもつことに着目しつつ、<翻訳>が<教え>をめぐる問いへと結実するさまを見届け、最後には、いくつかの論点に即して、報告論文に対するさらなる<翻訳>のありうるひとつのかたちを、ささやかながらに試みる。
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(867K)
霊操(exercices spirituels)の書としてのルソー「サヴォワ助任司祭の信仰告白」 : パレーシア(本当のことを語ること)の視座から(報告論文,フォーラム2 霊操の書としてのルソー「サヴォワ助任司祭の信仰告白」-パレーシア(本当のことを語ること)の視座から-)
室井 麗子
原稿種別: 本文
2011 年 20 巻 p. 53-67
発行日: 2011/09/18
公開日: 2017/08/10
DOI
https://doi.org/10.20552/hets.20.0_53
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「サヴォワ助任司祭の信仰告白」は、『エミール』の中ほどに突如として現われ、読み手を戸惑わせる。なぜ、このようなテクストが『エミール』に挿入されているのか。そもそもこのテクストは『エミール』に接続し得るのか。接続し得るのだとすれば『エミール』においてこのテクストはどのような意味を持つのか。本論では、「信仰告白」をめぐってこれまで提起されてきた上記の問いを引き継ぎつつ、従来ルソーの認識論として読まれてきた「信仰告白」を「霊操」という自己実践の書として再読する。特に、晩年のM.フーコーが関心を寄せていた「霊操」の二つの実践、すなわち、(1)「世界についての知の実践」と、(2)「真理の言説をめぐる訓練」および「パレーシア(本当のことを語ること)」、という視点・枠組みから「信仰告白」の再分析を試みることで、『エミール』におけるこのテクストの位置づけを再検討する。
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(1395K)
霊操の地下茎はどこまで及んでいた/及んでいるのか? : 教育学における「思考の歴史」の可能性に期待して(司会論文,フォーラム2 霊操の書としてのルソー「サヴォワ助任司祭の信仰告白」-パレーシア(本当のことを語ること)の視座から-)
藤川 信夫
原稿種別: 本文
2011 年 20 巻 p. 69-81
発行日: 2011/09/18
公開日: 2017/08/10
DOI
https://doi.org/10.20552/hets.20.0_69
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生の技術、自己の配慮の技術としてのパレーシアは、ソクラテスに由来し、その後1〜2世紀のヘレニズム・ローマ期の哲学に受け継がれ、やがて3〜4世紀のキリスト教において、自己の欠陥についての自伝的告白へと、その意味と機能を切り詰められていく。この種のパレーシアは、まさに技術として、霊操ないし魂の鍛錬と不可分の関係にあった。室井氏は、報告論文において、ヘレニズム・ローマ期のパレーシア、とくにストア派のセネカに見られるパレーシアの特徴をルソー『エミール』の内に見出し、それによって『エミール』を霊操のテクストとして再解釈しようと試みている。これまで室井氏は、霊操の観点からのルソー再解釈を目指して二つの論文を提示している。この司会論文では、これら二つの論文にまで遡り、本誌掲載の報告論文を、室井氏のこれまでの研究の発展系列の中に、そしてさらに教育思想史研究の中に位置づける。
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(1138K)
『エミール』の「信仰告白」を「霊操」という自己実践の書として読み直すことは可能か(コメント論文,フォーラム2 霊操の書としてのルソー「サヴォワ助任司祭の信仰告白」-パレーシア(本当のことを語ること)の視座から-)
荻路 貫司
原稿種別: 本文
2011 年 20 巻 p. 83-90
発行日: 2011/09/18
公開日: 2017/08/10
DOI
https://doi.org/10.20552/hets.20.0_83
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室井論文の提起した、『エミール』、とりわけ「サボァワ助任司祭の信仰告白」を「霊操」という自己実践の書として読み直すことは可能かについて検討し、「霊操」と『エミール』の両者のよって立つ原理が余りにも異なるので、それはむずかしいとの結論に達した。
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古代ローマの伝統とフランス近代教育(コメント論文,フォーラム2 霊操の書としてのルソー「サヴォワ助任司祭の信仰告白」-パレーシア(本当のことを語ること)の視座から-)
綾井 桜子
原稿種別: 本文
2011 年 20 巻 p. 91-99
発行日: 2011/09/18
公開日: 2017/08/10
DOI
https://doi.org/10.20552/hets.20.0_91
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古代の伝統との関わりで近代教育思想を検討すること。室井論文は、その可能性をセネカとルソーを重ね合わせることで示している。古代ローマの伝統の受容と批判検討の歴史という観点からセネカとルソーをみるならば、報告論文が明らかにしているような両者の共通性だけでなく、時代を大きく隔てた両者の差異に注目する必要がある。以下においては、そのことを、1.「生きることを学ぶ」を可能にする技法の違い、2.語りの形式としての「パレーシア」にみる共通性と差異に注目しつつ検討する。そのうえで、3.教養史からみた「鍛錬」では、古代の哲学的な文脈における鍛錬と教育を媒介すると考えられる古代ローマの知的鍛錬としての「予備教養」をとりあげるとともに、セネカとキケロを柱とする古代教養の伝統が、ルネッサンス期のモンテーニュを介してルソーヘと批判的に受容されてゆく一様相を明らかにする。
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(837K)
コメニウス教育思想の再読可能性(報告論文,シンポジウム 教育批判の思想史的根拠-長期的展望のなかで考える-)
相馬 伸一
原稿種別: 本文
2011 年 20 巻 p. 101-115
発行日: 2011/09/18
公開日: 2017/08/10
DOI
https://doi.org/10.20552/hets.20.0_101
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本シンポジウムは、教育学研究がいっそう実学的要求にさらされている昨今、思想史的方法論にレリヴァンシーはあるのかという問いへの応答として企てられたと考える。本稿では、(1)20世紀チェコの哲学者パトチカの考察に依拠しつつ、「近代教育学の祖」と称されてきたコメニウスの教育思想のうちにむしろ近代教育への批判的契機が読みとられること、(2)コメニウスおよびパトチカの事例をとおして教育的思考における歴史的関心の本質性が示唆されること、(3)とくにコメニウスの自発性概念についての考察をとおして現代的な教育課題を考察する際にコメニウス教育思想に一定の意味が認められ得ることを示し、教育批判に対する思想史的アプローチの可能性について論じた。思想史的アプローチは、歴史的テクストをもとに所与の状況を否定の疑問形で問う。しかし、逆説的に言えば、このスタンスのうちに思想史的アプローチのレリヴァンシーがあるといえよう。
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(1455K)
ヘルバルト研究の足下への問い(報告論文,シンポジウム 教育批判の思想史的根拠-長期的展望のなかで考える-)
鈴木 晶子
原稿種別: 本文
2011 年 20 巻 p. 117-131
発行日: 2011/09/18
公開日: 2017/08/10
DOI
https://doi.org/10.20552/hets.20.0_117
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200年あまりに渡るヘルバルト研究の軌跡は、ヘルバルトの思想との格闘の歴史でもあった。それは、ヘルバルトの思想を「教育学の古典」として、また、ヘルバルトをあの「ヘルバルト」へと差し向けていく編集と脚色の歴史であったとみることもできる。教育思想と、あるいは教育現実と史的に対峙するということは、テクストとしての思想あるいはテクストとしての現実と己の足下を問いつつ向かいあうことに他ならない。本稿では、ヘルバルト研究において未完のままに、また、それゆえに開かれた問いとして残された、史的評価や解釈の多様性を振り返ることを通して、教育思想史にとっての教育とは、教育思想とは何なのかを問う。そして、ライプニッツ、カント、ヘルバルト、コーエン、西田、田邊へと繋がる思想系譜のなかに、歴史と生成を基軸とした教育思想史研究の存在論的地平を探ることで、ヘルバルト研究の足下への問いと教育思想史の今後の課題とを重ね合わせつつ考察する。
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(1433K)
教育批判の根拠 : デューイの協同性と宗教性(報告論文,シンポジウム 教育批判の思想史的根拠-長期的展望のなかで考える-)
田中 智志
原稿種別: 本文
2011 年 20 巻 p. 133-142
発行日: 2011/09/18
公開日: 2017/08/10
DOI
https://doi.org/10.20552/hets.20.0_133
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もしも教育思想が、既存の制度化された知識を超える何か(「真理」)をふくんでいるとすれば、教育思想史は、その制度的な知識を超えるものを、事後的にすなわちある教育思想がひととおり言説化されたのちに、その言説のなかに別のだれかが確認するという、後追いの作業である。その作業において、確認すべきものはさまざまだろうが、その一つとして、その教育思想を支えている倫理的な基礎(「根拠」)をあげることができる。すなわち現下のさまざまな問題を生みだしているもの、在るべきなのに欠けている倫理的なものである。たとえば、デューイにとってその倫理的なものは「協同性」であった。そしてデューイにとってその協同性を基礎づけるものが「魂」という「宗教的なもの」であった。しかし、協同性という倫理的なものを基礎づけるものは、かならずしも「宗教的なもの」でなくてもいいはずである。後年、「魂」を語らなくなったデューイは、「協同性」を宗教的ではない何かによって基礎づけようとしたのだろうか。
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「教育批判」の意味 : ベンヤミンの「暴力批判論」を手がかりに(司会論文,シンポジウム 教育批判の思想史的根拠-長期的展望のなかで考える-)
今井 康雄
原稿種別: 本文
2011 年 20 巻 p. 143-160
発行日: 2011/09/18
公開日: 2017/08/10
DOI
https://doi.org/10.20552/hets.20.0_143
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教育批判は、<良い><正しい>とされる理念や価値に照らして現実を<劣る><不正だ>と評価することに結局は帰着するのだろうか。ルーマンの理論に従えば、このような通常の批判の図式は教育に関する認識と関心の構造的な乖離を招いてしまう。デリダによる「暴力批判論」の脱構築的読解は、通常の批判の図式がはらむアポリアを鮮やかに示して見せた。しかし「暴力批判論」は、教育の構造的条件への洞察をも含んでいる。ベンヤミンの教育批判は、こうした構造的条件を考慮しないまま、理念・価値を掲げることで教育を「改良」できるかのように想定する通常の批判の図式にこそ向けられていたのである。
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(1718K)
「教育批判の思想史的根拠」を問うことの意味(コメント論文,シンポジウム 教育批判の思想史的根拠-長期的展望のなかで考える-)
櫻井 佳樹
原稿種別: 本文
2011 年 20 巻 p. 161-170
発行日: 2011/09/18
公開日: 2017/08/10
DOI
https://doi.org/10.20552/hets.20.0_161
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シンポジウム「教育批判の思想史的根拠-長期的展望のなかで考える-」が設定された理由を、第18回大会に開催されたシンポジウム「検証:思想運動としての教育思想史学会-私たちに何かできたのか/できなかったのか」にて議論されたことに辿りながら、第20回大会で改めて問題にしようとしたこととは何だったのか、再度検証した。司会者である今井康雄氏のシンポジウム設定理由、並びに相馬、鈴木、田中各氏の3つの報告論文を検討しながら、そこに見られる問題意識の乖離とスタンスの違いを測量した。今井氏の設定した課題に対して、それぞれ「コメニウス」「ヘルバルト」「デューイ」を素材に「近代教育批判としての教育思想史」(相馬)、「見立てとしての教育思想史」(鈴木)、「真理出来論としての教育思想史」(田中)という3つの「教育思想史」観が提示された。それらの意味するものを考察するとともに、さらなる対話の可能性を模索した。
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(990K)
言語論的転回以後の教育思想史 : あるいは、ポストモダニズムの何がいけないのか?(コメント論文,シンポジウム 教育批判の思想史的根拠-長期的展望のなかで考える-)
下司 晶
原稿種別: 本文
2011 年 20 巻 p. 171-181
発行日: 2011/09/18
公開日: 2017/08/10
DOI
https://doi.org/10.20552/hets.20.0_171
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ポストモダン思想を受容した教育思想史研究には何かでき、何かできないのか。(I)三論文を検討し、パースペクティヴイズム、相対主義のアポリア、思想再解釈の意義という問題を提起する。(II)批判の根拠を示す際の「暗黙のルール」を問い直す。「真理」を根拠としないこと。言語論的転回を経たテクスト解釈論。コンテクストとしての「作家」は死なないこと。対象が「大教育思想(家)」に限定されること。(III)教育思想史の今後に関していくつかの提案を行う。研究と政治・教育実践との積極的な関係を取り結ぶこと、思想の教育現実への影響関係を解明すること、現実を批判する思想史的手法の三点である。
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(1053K)
教育と言語をめぐる思想史(コロキウム1)
上原 秀一, 綾井 桜子, 柴山 英樹, 渡辺 哲男
原稿種別: 本文
2011 年 20 巻 p. 183-194
発行日: 2011/09/18
公開日: 2017/08/10
DOI
https://doi.org/10.20552/hets.20.0_183
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(1166K)
「甘え」の比較人間形成論 : 土居理論と教育現実のあいだ(コロキウム2)
櫻井 歓, 下司 晶, 須川 公央, 生田 久美子
原稿種別: 本文
2011 年 20 巻 p. 195-206
発行日: 2011/09/18
公開日: 2017/08/10
DOI
https://doi.org/10.20552/hets.20.0_195
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(1120K)
子どもをめぐる科学と技術の教育思想史 : 世紀転換期における都市という磁場(コロキウム3)
國崎 大恩, 渋谷 亮, 藤田 雄飛
原稿種別: 本文
2011 年 20 巻 p. 207-221
発行日: 2011/09/18
公開日: 2017/08/10
DOI
https://doi.org/10.20552/hets.20.0_207
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(1462K)
上野正道著, 『学校の公共性と民主主義-デューイの美的経験論へ』, 東京大学出版会, 2010年3月
加賀 裕郎
原稿種別: 本文
2011 年 20 巻 p. 223-227
発行日: 2011/09/18
公開日: 2017/08/10
DOI
https://doi.org/10.20552/hets.20.0_223
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(532K)
江口潔著, 『教育測定の社会史-田中寛一を中心に』, 田研出版株式会社, 2010年8月
木村 拓也
原稿種別: 本文
2011 年 20 巻 p. 229-234
発行日: 2011/09/18
公開日: 2017/08/10
DOI
https://doi.org/10.20552/hets.20.0_229
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(689K)
渡辺哲男著, 『「国語」教育の思想-声と文字の諸相』, 勁草書房, 2010年9月
平田 仁胤
原稿種別: 本文
2011 年 20 巻 p. 235-238
発行日: 2011/09/18
公開日: 2017/08/10
DOI
https://doi.org/10.20552/hets.20.0_235
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(429K)
児玉衣子著, 『フレーベル近代乳幼児教育・保育学の研究-フリードリッヒ・フレーベル著『母の歌と愛撫の歌』の教育方法学的検討から』, 現代図書, 2009年11月
諏訪 佳代
原稿種別: 本文
2011 年 20 巻 p. 239-243
発行日: 2011/09/18
公開日: 2017/08/10
DOI
https://doi.org/10.20552/hets.20.0_239
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(525K)
寄贈文献(2009年12月11日まで)
原稿種別: 付録等
2011 年 20 巻 p. 245-
発行日: 2011/09/18
公開日: 2017/08/10
DOI
https://doi.org/10.20552/hets.20.0_245
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(29K)
教育思想史学会規則
原稿種別: 付録等
2011 年 20 巻 p. 247-248
発行日: 2011/09/18
公開日: 2017/08/10
DOI
https://doi.org/10.20552/hets.20.0_247
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(207K)
編集規定
原稿種別: 付録等
2011 年 20 巻 p. 248-
発行日: 2011/09/18
公開日: 2017/08/10
DOI
https://doi.org/10.20552/hets.20.0_248_1
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(124K)
投稿要領
原稿種別: 付録等
2011 年 20 巻 p. 248-249
発行日: 2011/09/18
公開日: 2017/08/10
DOI
https://doi.org/10.20552/hets.20.0_248_2
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(180K)
著作権について
原稿種別: 付録等
2011 年 20 巻 p. 249-
発行日: 2011/09/18
公開日: 2017/08/10
DOI
https://doi.org/10.20552/hets.20.0_249
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(57K)
Colophon
原稿種別: 付録等
2011 年 20 巻 p. 251-
発行日: 2011/09/18
公開日: 2017/08/10
DOI
https://doi.org/10.20552/hets.20.0_251_1
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(62K)
(Editorial Board)
原稿種別: 付録等
2011 年 20 巻 p. 251-
発行日: 2011/09/18
公開日: 2017/08/10
DOI
https://doi.org/10.20552/hets.20.0_251_2
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(62K)
奥付
原稿種別: 付録等
2011 年 20 巻 p. 252-
発行日: 2011/09/18
公開日: 2017/08/10
DOI
https://doi.org/10.20552/hets.20.0_252_1
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(49K)
編集委員会等
原稿種別: 付録等
2011 年 20 巻 p. 252-
発行日: 2011/09/18
公開日: 2017/08/10
DOI
https://doi.org/10.20552/hets.20.0_252_2
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裏表紙
原稿種別: 表紙
2011 年 20 巻 p. Cover2-
発行日: 2011/09/18
公開日: 2017/08/10
DOI
https://doi.org/10.20552/hets.20.0_Cover2
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