2011 年 20 巻 p. 133-142
もしも教育思想が、既存の制度化された知識を超える何か(「真理」)をふくんでいるとすれば、教育思想史は、その制度的な知識を超えるものを、事後的にすなわちある教育思想がひととおり言説化されたのちに、その言説のなかに別のだれかが確認するという、後追いの作業である。その作業において、確認すべきものはさまざまだろうが、その一つとして、その教育思想を支えている倫理的な基礎(「根拠」)をあげることができる。すなわち現下のさまざまな問題を生みだしているもの、在るべきなのに欠けている倫理的なものである。たとえば、デューイにとってその倫理的なものは「協同性」であった。そしてデューイにとってその協同性を基礎づけるものが「魂」という「宗教的なもの」であった。しかし、協同性という倫理的なものを基礎づけるものは、かならずしも「宗教的なもの」でなくてもいいはずである。後年、「魂」を語らなくなったデューイは、「協同性」を宗教的ではない何かによって基礎づけようとしたのだろうか。