2011 年 20 巻 p. 117-131
200年あまりに渡るヘルバルト研究の軌跡は、ヘルバルトの思想との格闘の歴史でもあった。それは、ヘルバルトの思想を「教育学の古典」として、また、ヘルバルトをあの「ヘルバルト」へと差し向けていく編集と脚色の歴史であったとみることもできる。教育思想と、あるいは教育現実と史的に対峙するということは、テクストとしての思想あるいはテクストとしての現実と己の足下を問いつつ向かいあうことに他ならない。本稿では、ヘルバルト研究において未完のままに、また、それゆえに開かれた問いとして残された、史的評価や解釈の多様性を振り返ることを通して、教育思想史にとっての教育とは、教育思想とは何なのかを問う。そして、ライプニッツ、カント、ヘルバルト、コーエン、西田、田邊へと繋がる思想系譜のなかに、歴史と生成を基軸とした教育思想史研究の存在論的地平を探ることで、ヘルバルト研究の足下への問いと教育思想史の今後の課題とを重ね合わせつつ考察する。