2012 年 21 巻 p. 91-101
本論文は、シュタイナーにおける「美と教育」の関係を読み解くうえで、シラー論から出発することの必要性・必然性について、西村氏とは別の角度からアプローチを試みるものである。ここでは特に西村氏が取り上げなかった存在、すなわちゲーテを視野に入れ、シュタイナーのシラー論に潜在するゲーテの存在を浮き彫りにさせる。シュタイナーはしばしばゲーテとシラーを対置し、両者のうちに同一の思想内容をみとめ、さらには両者の織り成す思想的構造体を自身の理論的支柱として位置づけた。本論文ではこの点に焦点化し、ゲーテ=シラーを手掛かりとしてシュタイナー思想の人間形成論的構図を明らかにする。そして最後に彼のゲーテ=シラー論がいかにシュタイナー教育の具体的実践のうちに結実しているか、検討を試みる。ゲーテ=シラー論に基づくならば、シュタイナー教育のカリキュラムは「自然認識」から「自己認識」(自由の獲得)へのプロセスに沿って企図されたものとして解釈が可能となる。