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原稿種別: 表紙
2012 年 21 巻 p.
Cover1-
発行日: 2012/10/13
公開日: 2017/08/10
ジャーナル
フリー
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原稿種別: 付録等
2012 年 21 巻 p.
App1-
発行日: 2012/10/13
公開日: 2017/08/10
ジャーナル
フリー
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野平 慎二
原稿種別: 本文
2012 年 21 巻 p.
i-
発行日: 2012/10/13
公開日: 2017/08/10
ジャーナル
フリー
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原稿種別: 目次
2012 年 21 巻 p.
Toc1-
発行日: 2012/10/13
公開日: 2017/08/10
ジャーナル
フリー
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青柳 宏幸
原稿種別: 本文
2012 年 21 巻 p.
1-14
発行日: 2012/10/13
公開日: 2017/08/10
ジャーナル
フリー
マルクスが「資本論」において「全体的に発達した個人」という表現を用いたとき、彼がその表現によって表現しようとしていたのはプロレタリアートという近代的な労働者のすがたであった。「全体的に発達した個人」という表現によってマルクスは富一般の創造手段としての労働の主体とされているプロレタリアートのすがたを批判的に把握しようとした。マルクスにおいて「全体的に発達した個人」とは機械制大工業の発展の結果として必然的に現れる人間像を記述したものであり、意識的にその実現をめざすべき教育目的などではなかったのである。マルクスは自由時間を享受した主体は労働時間においても単なる労働の主体ではない「別の主体」になると考えていた。そして、労働者の「別の主体」への転化すなわち人間の解放は、資本制的生産関係の下での機械の発展のなかで既に密やかに始まりつつあると考えていたのである。
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小玉 重夫
原稿種別: 本文
2012 年 21 巻 p.
15-22
発行日: 2012/10/13
公開日: 2017/08/10
ジャーナル
フリー
マルクス自身の思想をマルクス主義から解放することによって、マルクスを教育研究に再導入する可能性が開かれる。その一つの方向性は、マルクスを自由時間と余暇の思想家として読み直すことである。そこで問題となるのは、そのようにして見いだされた自由時間と余暇の積極的な意味を、人間学的にどのように評価するのかという点である。ここにこそ、マルクスを教育研究に再導入するうえでの重要な争点がある。
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池田 全之
原稿種別: 本文
2012 年 21 巻 p.
23-32
発行日: 2012/10/13
公開日: 2017/08/10
ジャーナル
フリー
本稿は、ベンヤミンを中心としてフランクフルト学派に親しんできた筆者が、青柳氏の報告に触発された、「青柳氏が取り出したマルクスの問題意識は、ベンヤミンのそれと響き合うものがあるのではないか」という直感を検証することを目ざしている。そのために、『青柳論文』を導きの糸として、(1)マルクスは労働主体の完成を未来に想定しなかったように、ベンヤミンもまたそれに向かっての直線的進歩を信奉するマルクス主義に異議申し立てをした。(2)機械制大工業を所与の事実として認めたうえで解放戦略を練ったマルクスと同様に、ベンヤミンも技術の進歩を否定せず、その成果に基づく労働主体の解放を目ざした。(3)両者はともに、機械制下の労働という現在にこそ解放の萌しを見ていた、というテーゼをベンヤミンの『複製芸術論』とエッセーに解明した。さらに、今日マルクスを読むことの可能性を、『ドイツ悲劇の根源』のアレゴリー論を手がかりにして考察した。
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白銀 夏樹
原稿種別: 本文
2012 年 21 巻 p.
33-44
発行日: 2012/10/13
公開日: 2017/08/10
ジャーナル
フリー
このコメント論文では、まず青柳氏の本論文と前著『マルクスの教育思想』を手がかりとして、社会改革を企図した近代教育思想の系譜においてマルクスの思想が特異な位置を占めていることを確認する。続いて「全面的発達」を未来の人間像として描いていたマルクスの一面に注目し、マルクス主義教育学とは異なる意味で教育目標としての可能性を検討する。最後にマルクスの自然概念の解釈の困難さを明らかにしたうえで、西欧マルクス主義のひとつフランクフルト学派の自然概念に注目しながら、自然概念の現代的課題を提示する。
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西村 拓生
原稿種別: 本文
2012 年 21 巻 p.
45-66
発行日: 2012/10/13
公開日: 2017/08/10
ジャーナル
フリー
この報告では、「美と教育」の錯綜した関係を分析するためにシラーの『美育書簡』解釈史を検討する、という研究の一環として、シュタイナーのシラー論を取り上げた。直接的にシラーを論じたテクストのみならず、『自由の哲学』における認識論、行為論、および「社会有機体三分節化」論と称される社会構想の全体は、人間の「自由」の可能性を問う『美育書簡』に対するシュタイナーの応答と読むことができる。そして、ここで紹介したシュタイナーの思想は、今日、私たちの教育を支配している原理の自明性を鋭く異化する契機ともなる、と論じた。
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眞壁 宏幹
原稿種別: 本文
2012 年 21 巻 p.
67-79
発行日: 2012/10/13
公開日: 2017/08/10
ジャーナル
フリー
本司会論文は、西村拓生会員によって示されたシュタイナーのシラー解釈を、シラー『美育書簡』の再読を通して検討し、シラーの『美育書簡』の核心が、美・芸術による「脱・像化Entbildung」の経験を通した「陶冶Bildung」にあることを示し、この陶冶プログラムが学校教育の枠を超える文化プロジェクトだったことを示す。
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樋口 聡
原稿種別: 本文
2012 年 21 巻 p.
81-89
発行日: 2012/10/13
公開日: 2017/08/10
ジャーナル
フリー
「美と教育」再論を見据えて、シュタイナーのシラー論を考察の対象とし、特にシュタイナーの『自由の哲学』における議論を、今日の教育や人間に関する通念的理解を異化する契機と見なすことを試みた西村拓生氏のフォーラム報告論文において、西村氏自身がその試みを「あえて」シュタイナーについて語ると規定していることが、本コメント論文では着目された。なぜ「あえて」なのか。シュタイナーをめぐるいくつかの文献とともに、筆者自身が経験したシュタイナー論との関わりも振り返えられ、シュタイナーを近代教育思想研究の中にこれまでの躊躇を越えて取り込む可能性が示唆された(「あえて」と言う必要は、もはやないだろう)。西村氏が異化の契機としてシュタイナーを捉えることもさることながら、むしろシュタイナー学校での教育実践を多角的に考察する中でシュタイナーの生き方や思想が参照され研究されることに、これからのシュタイナー教育思想研究のひとまずの方向性があるのではないかという見方が提示された。
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井藤 元
原稿種別: 本文
2012 年 21 巻 p.
91-101
発行日: 2012/10/13
公開日: 2017/08/10
ジャーナル
フリー
本論文は、シュタイナーにおける「美と教育」の関係を読み解くうえで、シラー論から出発することの必要性・必然性について、西村氏とは別の角度からアプローチを試みるものである。ここでは特に西村氏が取り上げなかった存在、すなわちゲーテを視野に入れ、シュタイナーのシラー論に潜在するゲーテの存在を浮き彫りにさせる。シュタイナーはしばしばゲーテとシラーを対置し、両者のうちに同一の思想内容をみとめ、さらには両者の織り成す思想的構造体を自身の理論的支柱として位置づけた。本論文ではこの点に焦点化し、ゲーテ=シラーを手掛かりとしてシュタイナー思想の人間形成論的構図を明らかにする。そして最後に彼のゲーテ=シラー論がいかにシュタイナー教育の具体的実践のうちに結実しているか、検討を試みる。ゲーテ=シラー論に基づくならば、シュタイナー教育のカリキュラムは「自然認識」から「自己認識」(自由の獲得)へのプロセスに沿って企図されたものとして解釈が可能となる。
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小国 喜弘
原稿種別: 本文
2012 年 21 巻 p.
103-114
発行日: 2012/10/13
公開日: 2017/08/10
ジャーナル
フリー
学校の共同性の再検討を目指して、国民の教育権論の批判的整理と持田栄一の再評価を行った。まず、国民の教育権論を再検討する中で、その問題点が、子どもの参加権論や学校における学習権保障の近年の研究とも共通する特徴を持つことを指摘した。その上で学校の共同をめぐる五つの課題を指摘した。第一に、「教育共同体」と持田が呼んだような、社会における共同性の組織をどうするかという観点から学校のカリキュラム編成を考えるべきこと、第二に、親・市民・教師・地域といったそれぞれの概念を一枚岩としてとらえないこと、第三に、複数の対立する要求が相互に批判し自らを問い返す場として教育課程編成を位置づけるべきこと、第四に、学校を独自の政治空間として再定義すべきこと、第五に学習権を抽象的な権利項目にとどめず具体的に権利目録化すべきこと。
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山名 淳
原稿種別: 本文
2012 年 21 巻 p.
115-129
発行日: 2012/10/13
公開日: 2017/08/10
ジャーナル
フリー
本稿の目的は、「アジール」を鍵概念としつつ、19・20世紀転換期における時代の危機診断とともに生起した<学校=共同体>を事例として、近代における共同体の可能性と課題についてシステム理論を前提として検討することを試みる。ここで具体的に注目したいのは、「新教育」における<学校=共同体>、とりわけ「学校のゲマインシャフト化」を標榜した田園教育舎系の学校である。
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生澤 繁樹
原稿種別: 本文
2012 年 21 巻 p.
131-148
発行日: 2012/10/13
公開日: 2017/08/10
ジャーナル
フリー
プラグマティストの社会理論の基本的アイデアを「社会的な自己」のなかに見出そうとする共同体論的解釈がある。いったい自己や人間の「自然・本性」は社会的なものか、それとも原子的なものなのか。この種の問いの立て方は、私たちの政治や教育における「共同性」の成り立ちを説明するさいの初発の設定として、とても馴染みの深い主題である。と同時に、すぐれて「近代的な」問い方でもある。本論文では、それを「契約」と「経験」という二つの考察枠組みから理解したい。これらはいずれも、人間の自然や本性についての問題構制と親密であったばかりでなく、政治思想史や教育思想史において私たちの「共同性」を創出する異なる仕掛けを長らく提示しつづけてきた。この対比を通してデューイの思想を考察すると、なぜそれが共同体論的に読みなおされるのか、その論拠と課題を見渡すことができるとともに、リベラリズムとコミュニタリアニズムという現代の政治思想史における論争が明示的には語らなかったものについて光を照らすことができる。
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田中 智志, 生田 久美子
原稿種別: 本文
2012 年 21 巻 p.
149-159
発行日: 2012/10/13
公開日: 2017/08/10
ジャーナル
フリー
教育の共同性とは何か、という問いをめぐる小国、山名、生澤の三人の議論を踏まえながら、旧来の共同体の概念を超える共同性の概念を探究している。まず、共同性を利害関心・情感心情といった<近しさ>を核とする「内なる共同性」と、規範・契約といった<合意>を核とする「外なる共同性」にわけ、次に、サンデル/ロールズの議論を踏まえつつ、「外なる共同性」が「内なる共同性」を前提としていることを確認する。そののち、「内なる共同性」の核である<近しさ>の基層に、ケアリングに通じる「無条件の気遣い」を見出し、その営みを「実存への篤信」「篤信的関係性」「倫理感情」といった概念で敷衍するとともに、この「無条件の気遣い」が教育実践における相互活動全般における基本的に存立条件ではないか、つまり教育の共同性の基層ではないか、と論じている。
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藤川 信夫
原稿種別: 本文
2012 年 21 巻 p.
161-170
発行日: 2012/10/13
公開日: 2017/08/10
ジャーナル
フリー
シンポジウム「共同性/協働性/協同性」における山名淳氏、生澤繁樹氏、小国喜弘氏による報告、いずれも興味深いものであったとはいえ、それぞれかなり内容の詰まった発表であり、少なくとも論者にとっては、限られたシンポジウムの時間内で消化することができなかった。そこで、以下では、筆者自身の学習の意味も込めて、まず第1章で生澤氏と小国氏の報告論文の内容を簡潔に整理して相互に関連づけることにする。さらに第2章では論者自身のアジール論を展開し、その上で第3章において、3名の報告者の報告論文を対比しつつ、自己反省を兼ねて、アジール論の問題点を指摘してみたいと思う。
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上野 正道
原稿種別: 本文
2012 年 21 巻 p.
171-179
発行日: 2012/10/13
公開日: 2017/08/10
ジャーナル
フリー
シンポジウム「共同性/協働性/協同性」の発表と議論から、「コミュニティ」と「教育」の課題に接近し考察する。「コミュニティ」とは一体何であり、なぜいま「共同」や「協同」を取りあげる必要があるのか。本シンポジウムが対象とするのは、戦後の「国民の教育権論」(小国氏)、新教育の「<学校=共同体>」(山名氏)、近代における「契約」と「経験」(生澤氏)と、位相が異なるものの、従来の近代教育学(あるいは、戦後教育学)とその批判を「相対化」し、オルタナティブな教育の可能性の追究を含む点で示唆的である。それぞれのテーマにおいて、「共同」、「協働」、「協同」は何か異なり、どこが重なりあうのか、「コミュニティ」の中にある対立や抗争、紛争をどう捉え、それを実現することの実際的な困難性や挫折をどのように描き出すのか、近年の市場原理的な新自由主義の改革に対して、「協同」や「協働」、「コミュニティ」がどのように応答していくのかなど、今回の企画によってひらかれた問いは非常に大きなものである。
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ヴィガー ローター, 藤井 佳世, 野平 慎二, 池田 全之, 山名 淳
原稿種別: 本文
2012 年 21 巻 p.
181-193
発行日: 2012/10/13
公開日: 2017/08/10
ジャーナル
フリー
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古屋 恵太, 松下 良平, 國崎 大恩, 龍崎 忠, 岡部 美香, 高柳 充利
原稿種別: 本文
2012 年 21 巻 p.
195-207
発行日: 2012/10/13
公開日: 2017/08/10
ジャーナル
フリー
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関根 宏朗, 尾崎 博美, 小山 裕樹, 櫻井 歓, 宮寺 晃夫, 下司 晶
原稿種別: 本文
2012 年 21 巻 p.
209-221
発行日: 2012/10/13
公開日: 2017/08/10
ジャーナル
フリー
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河野 桃子
原稿種別: 本文
2012 年 21 巻 p.
223-227
発行日: 2012/10/13
公開日: 2017/08/10
ジャーナル
フリー
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坂越 正樹
原稿種別: 本文
2012 年 21 巻 p.
229-233
発行日: 2012/10/13
公開日: 2017/08/10
ジャーナル
フリー
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弘田 陽介
原稿種別: 本文
2012 年 21 巻 p.
235-239
発行日: 2012/10/13
公開日: 2017/08/10
ジャーナル
フリー
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上地 完治
原稿種別: 本文
2012 年 21 巻 p.
241-244
発行日: 2012/10/13
公開日: 2017/08/10
ジャーナル
フリー
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森本 倫代
原稿種別: 本文
2012 年 21 巻 p.
245-250
発行日: 2012/10/13
公開日: 2017/08/10
ジャーナル
フリー
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下地 秀樹
原稿種別: 本文
2012 年 21 巻 p.
251-254
発行日: 2012/10/13
公開日: 2017/08/10
ジャーナル
フリー
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佐藤 邦政
原稿種別: 本文
2012 年 21 巻 p.
255-258
発行日: 2012/10/13
公開日: 2017/08/10
ジャーナル
フリー
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眞壁 宏幹
原稿種別: 本文
2012 年 21 巻 p.
259-263
発行日: 2012/10/13
公開日: 2017/08/10
ジャーナル
フリー
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原稿種別: 付録等
2012 年 21 巻 p.
265-
発行日: 2012/10/13
公開日: 2017/08/10
ジャーナル
フリー
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原稿種別: 付録等
2012 年 21 巻 p.
267-268
発行日: 2012/10/13
公開日: 2017/08/10
ジャーナル
フリー
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原稿種別: 付録等
2012 年 21 巻 p.
268-
発行日: 2012/10/13
公開日: 2017/08/10
ジャーナル
フリー
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原稿種別: 付録等
2012 年 21 巻 p.
268-269
発行日: 2012/10/13
公開日: 2017/08/10
ジャーナル
フリー
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原稿種別: 付録等
2012 年 21 巻 p.
269-
発行日: 2012/10/13
公開日: 2017/08/10
ジャーナル
フリー
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原稿種別: 付録等
2012 年 21 巻 p.
271-
発行日: 2012/10/13
公開日: 2017/08/10
ジャーナル
フリー
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原稿種別: 付録等
2012 年 21 巻 p.
271-
発行日: 2012/10/13
公開日: 2017/08/10
ジャーナル
フリー
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原稿種別: 付録等
2012 年 21 巻 p.
272-
発行日: 2012/10/13
公開日: 2017/08/10
ジャーナル
フリー
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原稿種別: 付録等
2012 年 21 巻 p.
272-
発行日: 2012/10/13
公開日: 2017/08/10
ジャーナル
フリー
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原稿種別: 表紙
2012 年 21 巻 p.
Cover2-
発行日: 2012/10/13
公開日: 2017/08/10
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フリー