抄録
ここで対象とする地理学者は別技篤彦のことである。彼は、京都大学地理教室出身者の一部で形成された「皇道地政学」の集団の一人として、マレー半島の地誌の研究に従事した。「皇道地政学」の目的は占領政策のにあったことはいうまでもない。別技の地政学に対して有していた思想は、実践性と地誌であった。別技は戦前から地理教育に関与していたが戦後の社会科において地理教育の綜合性を重視した。そこにも、地理学の実践性と地誌学が中心的な位置を占めたが、「皇道地政学」の場合とは、次元が異なる。別技は、外務省の外国団体である国際教育センターで世界の地理・歴史教科書の調査に携わったが、その主たる目的は、国際理解にあった。しかし、世界の現状をみるとき、地理教育には、本来の地政学を視野に入れるべきだと考える。