抄録
本発表は,大坂天満宮の祝部渡辺吉賢(1703-?)を特に取り上げ,彼がどのような知的交流を行い,その中で地図がどのような役割を果たしていたのかについて検討する。主に取り上げる資料は,現在大阪歴史博物館に所蔵されている旧渡辺吉賢所蔵地図(奥田コレクション)である。
調査の結果,吉賢が交流があった人物として木村蒹葭堂や平賀源内(国学者)などが確認された。彼らは物産会を通じた交流であり,その中で地図を交換していたりした。また,地図を通じた交流として森幸安,宇野宗明(町人),久保重宜(庄屋)などが確認された。また本居宣長も吉賢所蔵の地図を利用した痕跡がある。
18世紀において,地図は知的交流の潤滑油的役割としていたのである。