人文地理学会大会 研究発表要旨
2005年 人文地理学会大会 研究発表要旨
セッションID: 211
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『新新長崎土産』にみる近代前期の長崎
*山根 拓
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抄録
 本報告の目的は、鈴木天眼著の『新新長崎土産(第2版)』(1890年)をテキストとして、前近代的事物・地域システムと近代的事物・地域システムの双方が並存した変動期としての近代前期における、長崎の場所と場所性を解釈することにある。 会津藩士の長男として1867年に誕生し、長じた後は国粋的志士として政治活動に参画し、後に言論人として新聞発行者や衆議院議員を務めた鈴木天眼は、20代前半に病のため長崎に逗留し、『新新長崎土産』を著した。これは基本的に19世紀終盤の長崎について、彼が外部者の視点から記したエッセイである。その内容は概ね、長崎地誌的記述の多い前半と長崎文化論的記述の多い後半に分けられる。 著書の前半部では、長崎の景観や歴史的由来などの記載の後、天眼自身が長崎を歩き見るような形式で、市街地・郊外の場所が順次取り上げられ、建造環境やトピックや世評、それに天眼自身の主観的見解が組み合わされ、各々の場所性が表象される。巡られた場所は当時の狭隘な市街地の大半に分布しており、それは歴史的伝統的事物に留まらず、近代性や当時の地域の世情を象徴するような事物をも含んでいた。 著書後半部分では、長崎という場所自体の近代日本の中での位置付けに関するテーマが語られているように思われる。長崎人の気質の中に、四大祭等に象徴される温和・気楽・享楽的といった長所と見なされるものを捉えながらも、他方で、天眼は近代以降に政治・経済・社会的な停滞の色を濃くするこの場所を憂い、その原因として土地の伝統への依存が生み出す長崎人の保守性・消極性・小心さを辛辣に指摘した。近代前期の長崎の辿った歴史地理的運命を知るとき、天眼のこうした意見は、正しいが早過ぎる問題点の指摘であったのかも知れない。
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