抄録
本発表では、刊行京都図の二大版元の一つである竹原好兵衛版大型京都図を取り上げ、その特徴と変化について、他の大型京都図との比較を通して考察したい。そして、このことを通して、竹原好兵衛版大型京都図の作成過程の一端に触れることも目的としたい。
大塚隆の目録によれば、竹原好兵衛版京都図は、天明3(1783)年から慶応4(1868)年までの間に、約40点が確認できる。もっとも、オリジナルな図の出版は天保年間以降のことで、その画期の一つが、大型図「改正京町絵図細見大成」(天保2(1831)年刊)であったと考えられる。大型図には、このほか、「改正京町御絵図細見大成」(慶応4(1868)年刊)が知られており、これら両図を考察対象としたい。
まず、天保図の特徴を他の大型京都図との比較を通して検討することにしたい。天保図は、市街地部分の描写にゆがみが少ない点が特徴となっている。この描写された市街地の形態に関しては、既に湯口誠一により、中井家旧蔵の手書き大型図との関係が指摘されている。天保図と時期的に近い天明6(1786)年頃作成とされる図と重ね合わせると、御土居の内側の街区の形態や「畑」などの土地利用表記が一致しているなど、両図には類似箇所が多い。
また、天保図には、林吉永版大型図よりは少ないが、寺社関連の情報を中心に、多数の文字記載がみられる。これらの文字記載について、天保図の一段階前の代表的大型図である林吉永版寛保元年図と比較すると、両図には共通する記載が多いことがわかる。
以上の点から、天保図は、先行する他の京都図、あるいはそれらに関連する地誌類を参照しつつ編集された図である可能性が高いといえよう。
つぎに、天保図と慶応図には、どのような変化がみられるであろうか。両図には、ともに凡例が明示されるなど、前段階までの刊行図と比べて、地図としての充実がみられる。しかし、彩色刷りの場合、慶応図では、周囲の町屋とは別の彩色を施して、各藩の京屋敷がより明瞭に識別できるように変更されている。また、描写される市街地の形態にも変化がみられ、慶応図の方が東西方向に拡大されている。これらの変化は、幕末期に増加した各藩の京屋敷を図中の重要な要素とすることに対応したものと考えられる。これは、版元が、対象となる都市の変化や利用者のニーズに対応して、修正を加えた結果ともいえよう。