抄録
1.はじめに日本本土における天然痘の流行を検討するため、本研究ではいまだ予防方法が導入されていない地域の疾病記録を利用し、近世期の天然痘流行の感染パターンについて検討することを目的とする。
2.疾病記録の特徴と研究対象地域利用する資料は、18世紀末に米沢藩領中津川郷14ヶ村をおそった天然痘の発症記録である。寛政7(1795)年10月25日、14ヶ村の大肝煎は、全村に第1発症者を確認した日時を確認し、その時点での未罹患者Susceptible(感染する可能性のある人間)の氏名、年齢についての調査を命じた。そこから未罹患者数が算出された。つぎに翌年2月にも再度、発症者数、天然痘による死亡者数、未罹患者数の調査を行った。
中津川郷14ヶ村は、山形県米沢より西へおよそ30km離れた位置にある。14ヶ村の東端の村から西端の村まで直線距離で10kmほどの規模で、もっとも小規模な村で世帯数10、人口31人であり、最大でも世帯数48、人口223人にとどまる。
3.集落間の伝播について14ヶ村の発症日時をみると4つの時期に区分される。第1期:6月23日~8月5日(5ヶ村)、第2期:9月4日~6日(2ヶ村)、第3期:9月30日~10月9日(3ヶ村)、第4期11月29日~12月15日(3ヶ村)となる。13ヶ村の第1発症者の発生日と距離との関係をみると発症日時は、第1感染村からの道路距離と強い相関を持ち、r=0.72を示す。そこで、天然痘の拡散における距離の効果を求めるために、重力モデルによって距離パラメーターの算出を試みた。Yj=R・Xj・Yi / dijα (X:未感染者数、Y:この流行で感染した人数、i村→j村に天然痘が伝播したと仮定、Rは定数、αは距離パラメーター)と定式化した。その結果、R=44.3、α=0.78(r=0.69、2.5%水準で有意)となり、距離パラメーターは1に満たない。拡散現象は一見、第1感染村からの道路距離に規定されているようにみえるが、集落間の伝播における距離は予想されるほどの大きな意味を持たないと言える。最近隣村までの距離が2kmにも満たない隣村でも伝播におおよそ1~1.5ヶ月ほども要したことは、この距離パラメーターの値と符号する。
4.集落内・世帯内の感染について発表者は、集落内の感染について年齢の高い者がまず罹患し、次に世帯内に感染させ村落内流行をもたらすという仮説をたてた。この仮説の真偽を問うため、11月27日と29日に第1発症者が確認された広河原村・須郷村について罹患者の年齢と発症日数との関係を検討した。この結果、年齢が高い者ほどより早く発症している特徴は見いだせず、幅広い年齢層の子どもが短期間に発症していることが判明した。すなわち子どもの年齢の違いによるmobilityの視点から集落内の感染を説明することは難しく、むしろ異年齢集団を軸とした感染であったと想定せざるを得ない。
近世期出羽国を旅した菅江真澄や、明治初期に活躍したイザベラ・バード、モースは農村において集団で遊ぶ子供たちをスケッチしている。民俗学者によれば近世期の農村の子どもは、自宅近所の子どもたちと幅広い年齢層からなる遊び仲間を形成し日常的に関わりを持ったという。
この点をさらに検証するために、世帯内発症率について検討した。須郷村・広河原村の世帯内発症率(世帯内に発症者がいた場合に他の世帯構成員に感染した割合)は、須郷村76%、広河原村82%であった。この結果は、Henderson and Yekpe(1969)が西アフリカで調べたベナン共和国での2次感染率と近似する。つぎに本事例における村落内の世帯内感染パターンについて検討した。広河原村では同一世帯に2名の発症者がみられた3世帯中2世帯は同日あるいは同時期に発病が起こっている。他に分析した4村においても8世帯中6例が同じ日に発病している。彼らは1例を除いて兄弟関係にあり、その年齢構成も大きく離れている。この特徴は、村落内の伝播が異年齢集団を軸とするという先述の指摘とも整合する。
集約すると、村落内の感染過程は次のように考えられる。他の村落の感染者に接触した異年齢集団の子どもたちは、天然痘の潜伏期間(5~17日)や予兆期間(2~3)、発症期間(11~15)を考慮すると全快まで1ヶ月は要したと考えられる。次に彼らの中で未だ全快せず感染力を維持した者が他の未感染者に接触し、ふたたび感染が集団で起こることになる。こうして村内での流行が収束するまで数ヶ月を要することになり、極めて緩慢な伝播が起きることとなった。本事例でも流行の収束まで1村平均3~4ヶ月要している。