人文地理学会大会 研究発表要旨
2008年 人文地理学会大会
セッションID: 108
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第1会場
江戸明治期の北前船による石見焼の流通とその背景
―「はんど」と呼ばれる水甕を中心として―
*阿部 志朗
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抄録

石見焼は19世紀半ばから島根県西部の石見地方(現在の大田市、江津市、浜田市の一帯)で広く生産されてきた。とくに「はんど(はんどう)」と呼ばれる大きな水甕を中心とする粗陶器の生産が中心であり、各種文献等には「江戸時代から明治時代にかけて はんど が 北前船 で北海道から東北、北陸など全国各地へ運ばれた」と記載されている。本報告では日本海沿岸各地の水甕の分布確認と、それらが 石見焼のはんど かどうかの産地同定を、消費地と生産地双方での現地調査および文献調査から試みる。さらに はんど が北前船で流通した背景を考察することから江戸明治期の北前船による買積方式の物流の実態とその中での石見焼の位置づけを論ずる。調査はおもな北前船寄港地である小樽、江差、松前、酒田、遊佐、加賀橋立などの各消費地と、石見、越前、信楽、常滑、唐津、笠間、益子などの陶器生産地を対象とした。消費地調査では調査したすべての寄港地で北前船ゆかりの旧家または資料館に現存する「はんど」らしき水甕を多数確認したが、それらのほとんどは北陸地方などの石見以外の製品だと認識されていた。一方、生産地調査で多くの陶工や各地の専門家への聞き取りにより、形状、施釉の状態、江戸明治期の大甕生産技術の有無などの視点から消費地の水甕が「石見焼」の「はんど」である可能性が高いことが推定できた。文献・統計資料では、明治期の石見地方で北陸地方の下り船による焼物の買積記録が多いこと、明治期の石見焼産地の陶器生産が高水準にあったことなどから、北前船による はんど の日本海沿岸地方への十分な供給が裏付けられた。また消費地の水甕に明治中~大正初期に江津の臨海部で製造されたことが断定できるものが含まれることも分かり、北海道~北陸地方に明治後期の 石見焼のはんど が確実に流通していることが明らかになった。消費地における はんど の産地名(石見地方)と運搬してきた船籍の国名(おもに北陸地方)との混同・誤謬も、北前船による はんど 流通の事実や消費地における「北前船」の影響力の大きさを裏付けるものといえる。このような石見焼のはんど流通の背景として、まず耐水性に富む品質が寒冷地での販路拡大の一因であったことがあげられる。これまで北前船の商品流通で重視されてきた産地間価格差による優位性は他産地商品の売価の比較などからみて はんど には認められない。また、幕藩体制下の専売品ではなかった はんど の買積件数は明治期に急増し、和紙や鉄など石見地方の近世専売特産品は逆に衰退する。はんど が専売制による流通システムの崩壊と近代流通システムの確立の狭間で興隆したことが推察できる。一方、はんど が船積みに適する形状であり空荷の下り船に積まれたことからバラスト代わりの役割も果たしたこと、さらに陸上輸送では壊れやすい はんど の分布が明治期以降の陸上交通網の発達から遅れた地域にトレースできることなど、海上輸送の商品としての優位性も はんど の日本海沿岸での広範囲な分布の背景として指摘できる。このように 石見焼のはんどは、北前船に代表される海上交通が日本海沿岸地域の物流を長く支えたことを今に伝える象徴的な交易品であり、近世~近代の国内物流システムの変容をとらえるうえで看過できない対象物であるといえよう。

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