人文地理学会大会 研究発表要旨
2008年 人文地理学会大会
セッションID: 206
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第2会場
群馬県東毛地域における野菜集荷範囲の拡大
*岡田 登
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抄録

 本研究では群馬県東毛地域のニガウリ生産を事例として,コンフリクトの解決方法と各農家に共通する経営条件に注目し,複数の農協が協力して野菜の集荷範囲を拡大する過程を明らかにした.東毛3JA(JA群馬板倉・JA館林・JA西邑楽)管内では,1970年代から第二種兼業農家と60歳以上の農業従事者が増加してきた.さらに,東毛3JAでは1980年代からは主力作物であるキュウリ・ハクサイ・ナスの出荷量が減少してきた.JA群馬板倉は1996年以前から自家用苗としてニガウリを農家に販売していたが,1997年からキュウリとナスに代わる作物として,農家からニガウリを集荷し,販売するようになった.1998年頃から館林市や明和町,邑楽町,大泉町の農家が個人的にJA群馬板倉からニガウリの栽培方法を教えてもらい,JA群馬板倉の農家と一緒にニガウリを共販するようになった.2001年には全農群馬が主導となり,JA群馬板倉とJA館林,JA西邑楽が各種野菜を共同販売するために,研究会を発足した.2002年から東毛3JAはニガウリの共販を開始した.2002年から2006年のニガウリ栽培農家数をみると,JA群馬板倉が88戸から150戸,JA館林が47戸から140戸,JA西邑楽が10戸から29戸に増加していている.2001年に全農群馬主導のもとに共販研究会が発足すると,東毛3JAの販売・営農指導担当者2名ずつと全農群馬の共販担当者2名で,年間6回企画会議が開催されるようになった.JA群馬板倉とJA館林の担当者は1992年に営農指導担当として,愛媛県の種苗会社からキュウリ苗を購入するため,協力して交渉をしていた.この二人が販売担当のトップとして,2001年の共同販売研究会発足時とニガウリ共販に至るまでの会議に出席していたため,東毛3JAによるニガウリの共販が実現した.全農群馬主導のもと,館林地区営農指導センターが東毛地域に適したニガウリの栽培技術を研究するようになり,この結果をもとに東毛3JAは農家にニガウリ栽培の指導をするようになった.また,全農群馬の指示により東毛3JAはニガウリの品種と規格をJA群馬板倉のものに統一した.ニガウリの販売先についても全農群馬主導のもと,2007年には東毛3JA合わせて32業者と取り引きするようになり,このうちJA群馬板倉が18業者,JA館林が18業者,JA西邑楽が5業者を受け持ち,東毛3JAがそれぞれ分担して業者にニガウリを販売するようになった.ニガウリの集荷範囲が拡大するにつれ,農家はどのようにニガウリ栽培を導入してきたのかを農家の栽培品目別にみると,キュウリやナスを栽培していた農家,米麦と野菜を組み合わせて栽培していた農家,各種野菜類を栽培していた農家に分類できる.キュウリ・ナス栽培農家はおもに2002年までにニガウリ栽培を導入しており,この時に世帯主は60歳以下の専業農家であった.キュウリ・ナス農家はキュウリやナスの栽培面積を減少させ,ニガウリを栽培するようになった.米麦・野菜栽培農家はおもに2002年から2004年までにニガウリ栽培を導入しており,この時に世帯主は60歳以下の専業農家であった.米麦・野菜栽培農家は野菜の栽培面積を減少させ,ニガウリを栽培するようになった.各種野菜類栽培農家は2002年から2006年までにニガウリ栽培を導入しており,この時に世帯主は60歳以上の兼業農家であった.各種野菜栽培農家は野菜の栽培面積を減少させ,ニガウリを栽培するようになった.以上のことから,東毛3JAではJA群馬板倉とJA館林の販売責任者が野菜集荷範囲の拡大以前から協力関係にあったこと,全農群馬が主導となって3JAの生産形態を統一したことにより,コンフリクトを回避できた.さらに,東毛3JA管内ではキュウリ・ナス農家が率先してニガウリ栽培を導入し,つづいて米麦・野菜農家と各種野菜栽培農家がニガウリ栽培を導入してきた.すなわち,東毛3JAには同様な経営条件をもつ農家が共通に存在していた.

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