人文地理学会大会 研究発表要旨
2010年 人文地理学会大会
セッションID: 107
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第1会場
19世紀の越後三条町における定期市の雁木下利用
*渡邉 英明
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抄録

雁木通りは,街路に面した町屋が軒先を張り出すことで形成されたアーケード状の構造物で,新潟県を中心とする降雪地域で特徴的にみられるとされてきた。雁木通りをめぐっては,従来,無雪通路としての意義が強調されてきたが,玉井(1994) は,江戸の庇下空間のような商業機能が,降雪地帯の雁木通りでも同様に重要であった可能性を指摘している。雁木通りの商業機能は,今後検証を進めるべき論点といえよう。
さて,雁木通りは江戸時代に起源を有することが指摘されながら,近世史料に基づいた本格的な分析は長くみられなかった。そのなかで,菅原(2007)は,越後・陸奥・出羽など各地の事例を比較しつつ,近世初期から近代に至る雁木通りの形成・展開過程を検討し,雁木通りの商業機能についても,八戸藩や秋田藩について,定期市認可に伴って建設された小見世通りが多いことを指摘した。ただし,定期市設営時の雁木下利用の実態については,なお不明な点が多い。本研究では,19世紀の三条町を事例として,雁木通りの形成状況と,定期市設営時における商業機能について検討することを目的とする。
三条町は1616年の市橋氏入封とともに城下町として整備され,1623年の廃藩後は在方町として発展した。町並は信濃川と五十嵐川の合流点付近に形成され,五十嵐川に沿って東西に展開した。上町の東端は一ノ木戸村に接し,さらに,その先は田島村に通じていた。両村は1717年に高崎藩領に編入され,三条町(幕領)と支配違になった。これを契機として,一ノ木戸村,田島村では町屋建設が進められ,その規制を求める三条町との間で,幕末期に至るまで争論が繰り返された。一連の争論では,一ノ木戸村・田島村の町屋における「庇(=雁木)」が度々問題になった。その後,幕府裁定により,両村の庇は撤去が命じられたが,町屋造成と同時に庇(雁木)建設の動きがあった点は興味深い。
三条町の雁木通り建設時期について,氏家(1998:480)は江戸時代中期としている。これに関して,1846年に八幡小路の五人組頭8名が町会所に提出した嘆願書に「八幡小路の儀は両側とも地狭に付き雪中は雪卸し積立て候故通行難儀仕り候に付,古来より本町並庇通行に御聞済に相成り居り候」という一節がみられる(三条市立図書館所蔵文書1458,1846年「道路拡張願上書」)。八幡小路や本町通り(上町~四の町)で,無雪通路として利用されていた雁木通りは,1846年段階で「古来」とされる時期に形成された。18世紀中期には,縁辺部の田島村で庇建設の動きがみられたが,三条町内の庇(=雁木通り)は,その頃には広く形成されていたことが推定できよう。なお,三条町内の雁木通り形成街区について,氏家(1998)は上町から四の町に至る本町通りとしたが,菅原(2007:7-8)は幕末期の絵画史料から,四の町の西端(五の町境)や本寺小路でも雁木通りが存在したことを指摘した。それに加え,上記嘆願書からは,八幡小路における雁木通り形成も知られる。
三条六斎市における雁木下利用は,1828年の三条地震を記録した『懲震毖録』に窺える。三条地震は,未曽有の大災害として知られ,六斎市が開かれている最中に発生した。大地震に,家屋は一瞬で倒壊し,本寺小路で見世を広げていた野菜売りが庇の下敷きになったという。『懲震毖録』は,市見世が庇下に設置されたことを窺わせるのみであるが,1884年「官有地御拝借願小前書」および「官有地拝借孫庇地麁絵図面」(三条市立図書館所蔵文書648・2315)は,より詳細な出店形態を示す。これらは,孫庇の設置場所とその幅員,使用者,使用料を記録した史料である。孫庇は,雁木先からさらに小庇を道路側に張り出したもので,1928年の加茂六斎市の規定に現れる紙天と同様の機能を果たしたとみられる。三条六斎市では,孫庇の張り出しは,4尺5寸以内に規制されていた。孫庇は,町の両端に多く内側に少ない傾向を示し,大町では著しい集積がみられる。
三条町では,少なくとも19世紀末期まで,雁木を伴う町屋建設が継続されていたとみられる。しかし,その後は三条町の雁木通りは衰滅に向かい,1930年代には既に衰退が進んでいたことが報告されている。また,氏家(1998:480)も,1960年代に実施した現地調査から,大正後期に衰退が始まり,昭和初期に消滅したと位置づけている。これに伴って,雁木下を利用した三条六斎市の出店形態も,変容を余儀なくされた。

文献
氏家 武『雁木通りの地理学的研究』古今書院,1998。
菅原邦生『雁木通りの研究』住宅総合研究財団,2007。
玉井哲雄「町割・屋敷割・町屋―近世都市空間成立過程に関する一考察―」(都市史研究会編『年報都市史研究2』山川出版社,1994)68-85頁。

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