人文地理学会大会 研究発表要旨
2011年 人文地理学会大会
セッションID: 401
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第4会場
中国少数民族の農外就業とその歴史的変遷
?雲南省鶴慶県ペー族村の事例?
*雨森 直也
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抄録

_I_ はじめに (1)問題の所在 中国では農産物の価格は安いため、農民が農業以外の就業機会を求めることは珍しくない。この農業以外の就業を農外就業(出稼ぎを含む)と定義する。 これまで、中国を事例とした農外就業に関する研究では、出稼ぎ、特に農民の沿海部への出稼ぎを中心とした研究がなされてきた。そうした農民が内陸部出身であることが多いことは、これまでにも指摘されてきたが、内陸部で展開される農外就業は、あまり明らかにされてこなかった。特に内陸部には多くの少数民族が居住しており、彼らの農外就業がどのように展開されているかについては、ほとんど考察されてこなかった。 少数民族の農外就業の分野としては、近代的な工場労働者も少なくないが、多くは伝統的な農外就業の影響を残したものであろう。なぜなら、少数民族は内陸部を中心に居住しており、そこでは社会主義改造が徹底されず、加えて、社会・政治の安定を求めた政権下で、漢族に比べて注意深く社会主義改造が行われてきたからである。よって、現在の少数民族による農外就業は、伝統的なるものを踏襲しつつ、改革開放政策の中で、それを展開していることは想像に難くない。 そこで本研究では、雲南省のペー族の農外就業に注目し、改革開放以降における就業地や就業構造の形成過程を明らかにする。 _II_ 農外就業の歴史的変遷 (1)X村の例 X村における伝統的な農外就業はおもに大工であった。文化大革命期でも、大工は都市建設や家屋の建設で鶴慶県政府所在地の街や周辺の村落だけではなく、ナシ族が多い麗江やチベット族が多い中甸(現在の香格里拉)を就業領域としてきた。村には大工の棟梁や近年では建設業の社長もいる。 改革開放政策が始まり、各家庭に農地が分配されると、多くの家庭では農業で最低限自給できるレベルであった。農外就業についてみた場合、大工やそれから発展した建設業も需要があり、1980年代初頭では、当時の周辺村落と比較すると少し裕福な方であった。 1990年代になると、建設需要は順調であったが、機械化の進行によって人材が余剰傾向となり、賃金はあまり上がらず、農産物価格もあまり上昇せず、村民の所得状況は低迷をきたすようになっていった。そうした状況の中でX村では次第に、多くの労働力を必要とする養蚕にかかわる世帯が増えたため、遠距離の出稼ぎ先は選好されなくなった。2005年ごろから、政府の地域格差の是正をめざす各種政策により、建設工事などの公共事業では、賃金が上がり始め、次第に民間部門の賃金も上昇し、近距離の農外就業を促進するようになった。 (2)N村の例 N村における伝統的な農外就業は、主に小炉匠と呼ばれる鍋や釜の製造や修理を手掛けるものであった。彼らの行動範囲は広く、他省に行くことも多かった。文化大革命期はX村よりも生活が困難であったため、一部の人は、小炉匠の金属加工の技術を応用し、金や銀のアクセサリーを作る銀匠になっていった。当時、彼らが目指した就業地は、主に西双版納などの国境地帯の少数民族地区であった。 改革開放後、N村では銀匠が増加し、1980年代には次第にチベット族地区の治安が回復し、そちらに出かける者が増えていった。その後、彼らの中には村内にとどまり、工房を設立し、そこでもっぱら製造する者が現れた。規模の比較的大きい工房では、周辺の村々から多くの弟子(労働者)を雇用した。 1990年代末になるとN村は観光化され、多くのガイドブックで取り上げられるようになった。彼らが作るものは、既存の少数民族を対象とした既存のものから、漢族向けのアクセサリーの割合が増加している。 _III_ おわりに 上記の農外就業の歴史的変遷がもたらした現在の農外就業状況は、図1のような構造をとなっている。X村では大工や建設業が主流であり、その棟梁や社長と、工事の依頼主との信頼関係は重要である。また、労働者となる村人の多くは、養蚕のために頻繁に村に帰郷するため、遠方での仕事を好まない。他方、N村の銀製品の商品単価があまり高額ではなく、出稼ぎ先では消費者に小売りをしているため、信頼関係は大工の棟梁などに比べれば、それほど必要ではない。また、農業も衰退しているため、多くの村人は遠方に行くことも問題ではない。 以上のように、両村にみる近年の農外就業の歴史は、1980年代初頭におかれた経済的状況と既存の伝統的技術がその後の農外就業に大きく影響を及ぼすことになった。

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