抄録
18世紀後半以降に発展した越後三条、播州三木、越前武生などの金物産地が、城下町の鍛冶ならびに農村地域の野鍛冶とどのような競合関係のもとで発展してきたかに関してこれまで論じられていない。本報告では第一に、越前鎌商い(行商人)が北設楽郡においてどのような行商活動をおこなったかを、宿帳をもとに分析する。その過程で、同郡で営業活動を行なった諸種の行商人のなかで彼らを位置づける。第二に、今立郡に残されていた昭和10年代の資料をもとに、豊橋(吉田)周辺が越前鎌商いの活動範囲に含まれていたことを指摘し、『百姓伝記』で高評価された吉田鎌の衰退に関して検討を加える。