保全生態学研究
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文献および標本記録に基づく特定外来生物ボタンウキクサの外来性の再検討
山ノ内 崇志
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論文ID: 2231

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Abstract

サトイモ科の浮遊植物ボタンウキクサは侵略的外来種として外来生物法の規制対象となっているが、琉球諸島には古い分布記録があり、外来性に疑いが持たれる。文献と標本記録に基づきボタンウキクサの外来性を再検討した結果、最も古い記録として、1854年にC. Wrightによって採集された標本と水田の普通種として記録した手稿が確認された。1950年代までの複数の研究者が、ボタンウキクサが沖縄島から八重山諸島にかけて分布し、水田やその周辺で在来水生植物と共に生育することを記録していた。1950年代以前は複数の研究者がボタンウキクサを在来種として扱っており、一方で外来種とした例はなかった。外来種とした最初の見解は1951年にE. Walkerらが標本のラベル上で示したものであり、1970年代以降に外来種とする見解が一般化したが、科学的な根拠を提示した例はなかった。園芸的な栽培・流通は1930年代に始まって1950年代に盛んになり、1970年代から日本本土での野生化が記録され始めていた。根拠が不十分であるにも関わらず外来種とされた理由として、1) 当時は未発表手稿など古い情報の取得が困難だったことと、2) アフリカ原産とする説など研究者の判断を偏らせるバイアスが存在した可能性が考えられた。以上のことから、琉球諸島に古くから分布していた系統のボタンウキクサを科学的根拠に基づいて外来種と見なすことはできず、最近の分子系統地理学的な知見を踏まえると自然分布の可能性を否定できないと考えられた。この系統は現在、生育地の縮小や、導入された系統との競争や交雑といったリスクにさらされている可能性がある。外来生物法による適切な取り扱いのためにも、分類学的な検討や識別法の確立、現状の把握が必要である。

Translated Abstract

Pistia stratiotes, a free-floating aquatic plant of the Araceae, is regulated under the Invasive Alien Species Act of Japan as a highly invasive species. However, the species has been historically recorded from the Ryukyu Archipelago, where it is a doubtful alien species. Here, I re-evaluated the alien status of P. stratiotes through a review of literature and specimen records. The oldest distribution records of P. stratiotes in Japan were based on specimens and an 1854 manuscript by C. Wright, who recorded it as common in paddy fields. Prior to the 1950s, several researchers recorded that the species was distributed from Okinawa Island southward to the Yaeyama Islands, and grew primarily in and around paddy fields, coexisting with many native aquatic plants. Furthermore, several authors treated P. stratiotes as native, and none treated it as exotic between 1890 and 1950. The earliest opinion of P. stratiotes as invasive was in a specimen label described by E. Walker et al. in 1951. Since the 1970s, the treatment of P. stratiotes as exotic has become common without any scientific evidence. Horticultural use of the species began in the 1930s and became commonplace by the 1950s. By the 1970s, the species had begun to naturalise on the Japanese mainland. All Japanese populations of P. stratiotes may have been determined to be exotic without sufficient evidence because older information, such as unpublished manuscripts, was difficult to access until recent digitisation made it open to the public; and researchers’ judgment may have been biased because of several pieces of information, such as the hypothesis of the species’ African origin. Based on the above, the populations of P. stratiotes that have been found in the Ryukyu Archipelago since before the 1850s cannot be considered exotic based on available scientific evidence, and recent molecular phylogeographical findings suggest that they may comprise a natural distribution. These populations may be threatened by shrinking habitat and by competition and hybridisation with the introduced lineage of P. stratiotes. For appropriate regulation under the Invasive Alien Species Act, taxonomic studies and methods to distinguish these P. stratiotes lineages, as well as an understanding of their current habitat conditions, are needed.

はじめに

外来生物の侵入による生態系の攪乱は、生物多様性の危機における主要な問題のひとつである(環境省 2012;CBD 2014)。外来生物への対策では対象生物の実態を正しく認識することが不可欠であるが(Pyšek et al. 2013;Morais and Reichard 2018)、信頼性の高い情報の蓄積や、それに基づき外来生物を正しく理解することは必ずしも容易ではない。同定が難しい、あるいは研究が進んでいない分類群では、外来生物の認知は遅れがちである(黒沢 2001;Saltonstall 2002;福田 2004;岩崎 2007;Thomsen et al. 2010)。また、よく知られている種であっても、侵入年代が古い場合や過去の記録が乏しい場合には、外来性の客観的な評価が困難になる(Carlton 1996;Pearman 2007;Warren 2007)。過去の記録が不足している場合、しばしば対象生物が最初に記録された時期、分布状況、近年の拡大状況、人とのかかわり方といった、限られた証拠に基づく推測に依拠して外来性の評価がなされる(van Leeuwen et al. 2008;Scott et al. 2009;Coffey et al. 2011)。しかし、そうした判断には不確実性が伴い、研究の進展とともに訂正されることがしばしばある。日本国内を見ても、当初は外来種だと認識されていたが、後に在来種と考えられるようになった例(矢野 1915;Ueda 1988;Iketani and Ohashi 2003;佐々木・大橋 2007)や、逆に、在来種だと思われていたが、後に外来種と考えられるようになった例(Suzuki et al. 2011;黒沢ほか 2015;Satoh et al. 2018;Kano et al. 2018)が多数あり、在来種が海外産の種に誤同定されたことで外来種と見なされていた例もある(村田 1954;工藤 2006;藤井ほか 2021)。また、在来種に近似した認識が難しい外来種の侵入(Suzuki et al. 2005;岩崎 2007;川勝ほか 2007;河村ほか 2009;Matsumoto et al. 2010;酒井ほか 2014;清水 2014;Suzuki and Hikida 2014;Fukumoto et al. 2015;馬渕 2017;中島・内山 2017;藤井 2019;Wagatsuma et al. 2021;今西 2022)も、外来性の判断に混乱をもたらしうる。効果的な外来生物の防除を進める上で、外来性の正確な判断は重要である。

ボタンウキクサPistia stratiotes L.(サトイモ科)は、高い栄養繁殖能力を持つ浮遊性の水生多年草であり、18世紀に記載された時点でアジア、アフリカ、アメリカの熱帯・亜熱帯から知られていた広域分布種である(Linnaeus 1753)。本種はナイル川流域に紀元前からの記録があることからしばしばアフリカ原産と見なされ(たとえば、清水ほか 2001;村中ほか 2005;Evans 2013;Madeira et al. 2022)、世界各地で侵略的外来種として扱われてきた(Neuenschwander et al. 2010;CABI 2022;GISD 2022)。ところが、近年になって、ボタンウキクサがアフリカ起源であるとする説に対し反証が提示されつつある。Evans(2013)はアフリカ以外における古い分布記録や化石記録、各地域固有の植食昆虫の存在などから、北米のフロリダ半島を含む新大陸、アフリカ、アジアおよびオーストラリア北部の熱帯域にそれぞれ自然分布していた可能性を指摘した。Madeira et al.(2022)は、葉緑体およびミトコンドリアDNAに基づく系統地理学的な研究を行い、世界には最低でも7つの異なるハプロタイプクレードが認められ、それらは地理的な分布構造を持ち、一部のクレードの間の遺伝的差異の大きさは近縁属における種間の差に相当することを示した。この研究ではアジアのサンプルが不足しているものの、別種相当と評価されたクレードのうちの1つは中国とタイでのみ採集されており、当該地域の在来種である可能性が指摘されている(Madeira et al. 2022)。東アジアでは、Flora of China(Li and Boyce, 2010)が福建省,広東省,広西チワン族自治区,雲南省および台湾を自生地とする見解を示している。一方で、台湾では本種を在来種とする見解(Yang et al. 2001)と外来種とする見解(Wu et al. 2010)の両論がある。

日本国内では1990年代からボタンウキクサの野生化と繁茂の問題が顕在化し、それらは人為的な導入に基づく分布拡大として認識されている(Kadono 2004;沖 2009;角野 2014)。本種は治水・水利上の障害(道家ほか 2014;農林水産省農村振興局鳥獣対策・農村環境課 2022)や水域の利用価値の減少(田中 2007)をもたらし、生態系内において侵略的にふるまうことから(角野 1999;上赤ほか 2000;芹沢・瀧崎 2012;環境省ホームページ日本の外来種対策https://www.env.go.jp/nature/intro/2outline/list/L-syo-11.html 最終確認日 2022年12月1日)、特定外来生物による生態系等に係る被害の防止に関する法律(以下、外来生物法)による規制対象種となっている(環境省・農林水産省 2015)。一方で、琉球諸島では1800年代後半まで記録が遡ることも指摘されている(神谷 2001;持田・三浦 2001;邑田 2003;沖 2009)。ボタンウキクサを外来種と見なす場合にも、侵入年代については1880年代(多紀・自然環境研究センター 2008)、1902年(村中ほか 2005)、1920年代(角野 2002;国立環境研究所侵入生物データベースhttps://www.nies.go.jp/biodiversity/invasive/DB/detail/80790.html 最終確認日 2022年12月1日;環境省ホームページ日本の外来種対策https://www.env.go.jp/nature/intro/2outline/list/L-syo-11.html 最終確認日 2022年12月1日)、1930年代(Kadono 2004)、昭和年間の初期(石井 1955;清水ほか 2001;邑田 2003)など様々な見解があり、統一されていない。また、導入や定着の経緯に関する議論は少なく、出典となる情報を整理した例もほとんど見られない。日本国内のボタンウキクサには、形態的に識別可能な2系統が存在するという見解もある(多紀・自然環境研究センター 2008;沖 2009)。沖(2009)は葉が中心部にまとまる「コンパクト型」とそれとは異なる形態を持つ「オープン型」とを識別し、前者は1850年代から琉球諸島に分布していたのに対し後者は1980年代以降に現れたとし、ボタンウキクサを外来種として認識する際に時間軸に留意する必要があることを指摘した。これらの系統とMadeira et al.(2022)により明らかにされた系統地理学的な知見との関係は検討されておらず、国内のボタンウキクサの分類学的実態やそれらの在来性・外来性は十分に解明されていない。生物多様性保全の文脈においてボタンウキクサを適切に扱うためには、古い分布情報を精査し、導入・帰化の経緯を可能な限り明らかにする必要がある。

過去の生物の分布状況を知るには、一般的な手法として標本の利用(鈴木 2007;藤井 2009, 2019;Pyšek et al. 2013)や、化石の検討(Froyd and Willis 2008;Thomsen et al. 2010;van Leeuwen et al. 2008;Coffey et al. 2011)などが考えられる。また、信頼性や検証可能性は標本に劣るが、文献・史料調査により評価する方法もあり、比較的大型でよく目立ち、ある程度の同定の信頼性が確保できる爬虫類や鳥類、哺乳類での実践例が多い(たとえば、柿澤・菅原 1989;江口・久保 1992;疋田・鈴木 2010;城間・中本 2016;中本 2017など)。形態による同定が難しい分類群では、文献情報やデータベースに頼った解析は危険であるが(鈴木 2007;藤井 2009, 2019;Pyšek et al. 2013)、ボタンウキクサは形態や生育型が特徴的で類似種もない1属1種の分類群であるため、文献記録による評価も有効だと考えられる。また、近年は急速に文献、歴史史料、標本等の電子化と公開が進み、以前は発見・入手が困難であった情報へのアクセスが容易になっており、これまで見落とされていた情報の再発見が期待できる。

本研究では、特定外来生物であるボタンウキクサを対象とし、在来性・外来性に関する疑問点の再検討として、文献・史料・標本記録から琉球諸島におけるボタンウキクサの古い分布記録を整理した。また、導入・流通履歴を整理するため明治期から現在までの園芸分野の文献におけるボタンウキクサの掲載情報を網羅的に収集した。確認できた情報の内容を検討して、過去における分布域と生育環境、日本における在来・外来に関する認識の変遷を明らかにし、それらについて考察を行った。

方 法

ボタンウキクサの園芸流通は1950年代末には一般化していたとする記録があることから(牧野 1958)、本研究では分布記録については1950年代までを対象に、主として沖縄地方を中心とした博物学および植物相に関する文献・史料、およびオンライン上に公開されている標本情報を探索した。また、研究者らによる在来・外来の認識の変遷を把握するために、琉球地方の植物相、外来種全般、水生植物を扱った文献についてより広範囲の年代の文献を探索した。文献の探索にはGoogle Scholar(http://scholar.google.co.jp/ 最終確認日 2022年12月1日)、Googleブックス(https://books.google.co.jp/ 最終確認日 2022年12月1日)、J-stage(https://www.jstage.jst.go.jp/browse/-char/ja/ 最終確認日 2022年12月1日)、国立国会図書館オンライン(https://ndlonline.ndl.go.jp/ 最終確認日 2022年12月1日)、琉球・沖縄関係貴重資料デジタルアーカイブ(https://shimuchi.lib.u-ryukyu.ac.jp/ 最終確認日 2022年12月1日)、沖縄県立図書館貴重資料デジタル書庫(https://www.library.pref.okinawa.jp/archive/ 最終確認日 2022年12月1日)、東京大学学術資産等アーカイブズポータル(https://da.dl.itc.u-tokyo.ac.jp/portal/ 最終確認日 2022年12月1日)、国立東京博物館デジタルライブラリー(https://webarchives.tnm.jp/dlib/search 最終確認日 2022年12月1日)、Biodiversity Heritage Library(https://www.biodiversitylibrary.org/ 最終確認日 2022年12月1日)、國立臺灣大學圖書館數位典藏館(https://dl.lib.ntu.edu.tw/s/ntu_digital/page/all 最終確認日 2022年12月1日)を使用した。検索ワードとして、ボタンウキクサを指すすべての和名、学名、関連する地名、琉球諸島で調査を行った人物名を用いた(表1参照)。また、「リュウキュウ」、「リウキウ」、「Ryukyu」、「Liu kiu」、「Loo Choo」といった歴史的な表記の揺らぎにも留意した。なお、著者や発行年の不詳な文献があったが、記録年代が推定できたものについてはすべて取り上げた。

標本情報は地球規模生物多様性情報機構 GBIF(https://www.gbif.org/ja/ 最終確認日 2022年12月1日)、S-net(http://science-net.kahaku.go.jp/ 最終確認日 2022年12月1日)、鹿児島大学博物館 維管束植物DB Rel. 2.10(https://dbs.kaum.kagoshima-u.ac.jp/musedb/s_plant/s_plant.php 最終確認日 2022年12月1日)、島根大学生物資源科学部デジタル標本館 (http://tayousei.life.shimane-u.ac.jp/harbarium/ 最終確認日 2022年12月1日)を基に、各標本庫が公開している標本画像のうち、日本産かつ九州以北で野生化が確認され始めた1972年(芝山ほか 1976)以前に採集されたものを探索した。提供されている標本情報を収集するとともに、標本画像が公開されているものについては画像に基づき同定し、ラベル情報を抽出した。

文献・史料には底本と写本の関係にあると推定されるもの(たとえば、田代 1882;Anonymous 発行年不詳)や同一の情報源に基づくと推測されるもの(たとえば、伊藤1892, 発行年不詳a)、標本では重複標本と思われるもの(たとえば、GH00338281, NY00079825, US01205602:表1)があったため、情報数の集計時には可能な限りそれらを統合した。

園芸的な導入の経緯については、国立国会図書館オンラインを中心に水草園芸・アクアリウムに関する書籍・雑誌類を探索、閲覧し、ボタンウキクサの掲載の有無を記録した。なお、他の水生植物を含めた調査結果の全容については別途公開を予定している(Yamanouchi, 未発表)。

結 果

琉球諸島におけるボタンウキクサの分布記録

1720–1950年代までの文献・史料および標本情報から得られた、琉球諸島におけるボタンウキクサの記録を表1に示す。なお、検討の結果ボタンウキクサの情報が確認できなかった文献はYamanouchi (2023a)に掲載する。以降の本文および表で原典の文章を引用する際は、必要に応じて片仮名および合略仮名をひらがなに改訂し、句読点を補った。

ボタンウキクサの記録は1854-1958年の間に49件あり、このうち26件が記録者自身の調査に基づくと推定された資料(表1、「採集・観察・記録者名」の右肩にアスタリスクがあるもの)、残り23件はそれらの引用や、目録、総覧、辞書等の編纂された資料であった。和名「ボタンウキクサ」(大渡 1897)が提唱される以前の文献・史料では、学名Pistiaの音写らしき「ピスチア」または「ヒスチヤ」(田代 1882;Anonymous 発行年不詳)をはじめ、地元方言の「田草(タークサ)」(田代 1883)、「ヲキナハウキクサ」(田代 1888)、「タナカサウ」(伊藤 1892)、「ウキクサ」(伊藤 発行年不詳b)、「オホバモ」(松村 1895)、「リウキウウキクサ」(黒岩 1896)など様々な和名が使用されていた。多くの記録では学名Pistia stratiotes(変種名が付く場合もある)または属名Pistiaが併記されていたほか、形態等の記載からもボタンウキクサを指すと判断された。『琉球植物図録』(伊藤 発行年不詳a, b, c)には標本の拓本(印葉図)も掲載されており、確かにボタンウキクサであることが確認された。

一連の記録のうち最も古いものは、合衆国北太平洋調査探検で沖縄を訪れたC. Wrightが1854年11月24日に採集した標本3点と、これに関連する手稿(Wright 1853–1856)であった(表1)。次いで古い記録は田代安定によるもので、1882年(明治15年)のキナノキ植樹のための調査(南雲 2012)の行動録である『沖繩縣下沖繩島草木日暦』(田代 1882)や同一内容の『沖縄県下沖縄島草木日暦 完』(Anonymous 発行年不詳)、その際の知見を記したと推定される手稿『沖縄紀行草稿』(田代 1883)であった。また、関連すると思われる『薩南列島、琉球草木譜』や『沖縄県下沖縄島草木譜:坤 内長類・上遍長類』(田代 発行年不詳a, b)にも、ボタンウキクサの学名や方言名の掲載が見られた(表1)。なお、田代(1883)は「予は往年博物局に於て此乾腊葉を一見し、既に沖縄に其自生あることを了知せしが…」と記しており、1882年以前の時点で博物局に琉球諸島産ボタンウキクサの標本が収蔵されていたことも示唆された。Maximowicz(1886)の記録は刊行物としては最も古く、その引用標本である "Liukiu (Tanaka ! flor.)" は博物局の中心人物であった田中芳男がC. J. Maximowiczに送ったものとされる(伊藤 1892)。確実にボタンウキクサを指すという確証がないため表1には未掲載であるが、田中芳男が編纂した『物産宝庫 甲十七』(田中 発行年不詳)には、1876年(明治9年)に河原田盛美が沖縄から博物局へ送付した博物標本・民俗資料のリストが綴じられており、その中には大宜見地方採集の標本として当時のボタンウキクサの方言名の一つであった「田草」(田代 1883)の名が確認できる。

分布記録の地理的範囲および生育環境

1950年代までの文献および標本情報に基づくボタンウキクサの分布記録の地理的範囲を図1に示す。記録の多くは沖縄島からであったが、沖縄島以外では黒岩(1896)が「(沖縄島から)八重山諸島に及ぶ」、正宗(1934)が「沖縄区・先島区(沖縄島周辺から先島諸島)」、Masamune(1957)が沖縄島、宮古島、石垣島、小浜島、西表島、初島・天野(1958)が(琉球諸島の)各島に分布するとしていた(表1, 図1a)。沖縄島内では中頭・島尻地方および本部半島で分布記録があり、具体的な地名として首里、那覇、北谷、本部、南風原、豊見城、今帰仁、美東があった(表1, 図1b)。

生育環境に関する情報は9件の文献および標本ラベルから得られた(表1)。最も古い記録であるC. Wrightの標本のうちハーバード大学所蔵の1点のラベル(GH338281:Harvard University Herbaria & Libraries, https://kiki.huh.harvard.edu/databases/specimen_search.php?mode=details&id=231695 最終確認日 2022年12月1日)およびC. Wrightの採集ノート(Wright 1853–1856)には、それぞれ"Ponds at the Capital and common in irrigated fields"、"in pond & irrigation ditches"との記述が認められた。以降の記録においても、水田(田代 1883;伊藤 1892, 発行年不詳a;Miyawaki 1960)、池(Ito 1899;伊藤 発行年不詳b)、池・水田(黒岩 1896;初島・天野 1958)、水田や沼澤(坂口 1922)、"Abundant in rice-fields"(US2093219:Smithsonian National Museum of Natural History, http://n2t.net/ark:/65665/3a97a57af-608f-4ed9-b92c-427c656b6515 最終確認日 2022年12月1日)あるいは"Common in ponds and paddy-fields"(L1417383:BioPortal, https://data.biodiversitydata.nl/naturalis/specimen/L.1417383 最終確認日 2022年12月1日)など、水田やその周辺環境が生育地として挙げられ、また、しばしば普通種であることを示唆する記述がみられた。

いくつかの情報源では、ボタンウキクサと共に出現する植物が記録されていた。伊藤(1892)による報告は、デンジソウMarsilea quadrifolia L.(ナンゴクデンジソウM. crenata C.Preslを誤同定した可能性がある)の標本の夾雑物に基づくものであった。坂口(1922)はタイワンキンギョMacropodus opercularis (Linnaeus, 1758)の生息環境に茂る植物として、ボタンウキクサとともにマツモCeratophyllum demersum L.、デンジソウ、ヒルムシロPotamogeton distinctus A.Benn.を挙げていた。Miyawaki(1960)はボタンウキクサが出現する水田植生を記載しており、イネOryza sativa L.、コウキヤガラBolboschoenus koshevnikovii (Litv. ex Zinger) A.E.Kozhevn.、チゴザサIsachne globosa (Thunb.) Kuntze、コナギMonochoria vaginalis (Burm.f.) C.Presl ex Kunth、ナンゴクデンジソウ、ヒルムシロ、ウキクサSpirodela polyrhiza (L.) Schleid.、アカウキクサAzolla pinnata R.Br. subsp. asiatica R.M.K.Saunders et K.Fowlerなどの抽水・浮葉・浮遊植物のほか、出現頻度は低いながらマルミスブタBlyxa aubertii Rich.、トリゲモNajas minor All.、マツモ、タヌキモUtricularia japonica Makino(イヌタヌキモU. australis R.Br.を誤同定した可能性がある)といった沈水植物を記録していた。

生態的な情報として、黒岩(1896)は「冬初花を開き、實を結び、全然枯死して痕跡を留めず、翌春再び種子によりて池面に繁殖す」とし、一年草であることを強調していた。また、人間とのかかわりとして、田代(1883)の手稿中に「…此を採て稲秧の埋肥に用ゆ。且つ此草の多く生する処を上田に充つ。」との記述があり、緑肥のほか水田の質を評価する指標植物とされていたことが示唆された。

文献および標本ラベルにおける在来種・外来種としての扱い

各年代の文献・標本情報における、琉球諸島産ボタンウキクサの在来・外来に関する見解を表2に示す。本研究で記載内容を検討できた情報源のうち、その多くでは在来・外来に関する明確な言及がなかったが、18件ではそれらの取り扱いに関する記述が確認された。

ボタンウキクサを在来種または野生種に区分していた情報源は9件あり、それらは1890年代から1950年代までの発行であった(表2)。また、在来か外来かに言及がなかった情報源のうち、1880年代から1900年代までの4件では地域の植物相の構成種として扱い(Maximowicz 1886;伊藤 1892;Kuroiwa 1900;沖縄教育会 1908)、1930年代から1950年代の6件では植物地理学的な研究対象として扱われていた(小泉 1928;Masamune 1931, 1957;神谷 1933;正宗 1934;中井 1935)。このほか、当時の辞書・辞典においてもボタンウキクサは琉球・台湾産として記述されていた(三省堂編輯所 1919;平凡社 1933, 1936)。

外来種とする見解で最も古いものは、1951年にE. Walkerらが採集した標本のラベルにある"Naturalized"の表記であった(表2)。次いで、大滝(1976, 1989)、池原(1979)、大滝・石戸(1980)、島袋(1997)が外来種との見解を示し、初島・天野(1994)も前版(初島・天野 1958)を改定し外来種として掲載していた。また、沖縄産を指すかは不明であるが、奥山(1977)は『續日本植物圖譜』(寺崎 1938)の改訂版において、沖縄産ボタンウキクサの記載文に「日本には昭和初めに入った」との一文を加筆していた。しかしながら、ボタンウキクサを外来種と判断したこれらの情報源のいずれにおいても、導入の経緯や近年の分布拡大といった判断の根拠は明示されていなかった。

日本における園芸導入と流通

図2に、水草園芸・アクアリウム分野について、調査対象とした全文献数とボタンウキクサの掲載があった文献数を年ごとに示す。調査した文献は1896–2022年までに刊行された全385件であり、年代ごとの刊行数は第二次世界大戦直後の1940年代後半とオイルショック直後の1970年代後半に少なく、1950–1960年代と1990–2010年代に多かった。ボタンウキクサが掲載されていたのはこのうち96件であり、刊行年の範囲は1913–2014年であった。なお、ボタンウキクサの掲載があった水草園芸・アクアリウム分野の全文献リストはamanouchi (2023b)に記す。

ボタンウキクサの名が現れた最も古い園芸書は妙華園(1913)であったが、これは園芸植物の英名の対訳リストであり、導入や流通を明示したものではなかった。園芸的な栽培・流通を示す記録は1930年代初頭から集中して現れ(図2:西島 1931, 1932;白木 1932;鷹司 1932;平凡社 1933;浦川・玉利 1934;吉津 1934;新修百科大辭典編纂部 1934)、このうち白木(1932)が「ごく近年」流通するようになったことを明記していた。第二次世界大戦中および終戦直後に相当する1940年代には文献上の情報が途絶えたが(図2)、1950–1960年代には再びボタンウキクサの掲載数が増加し、それらの中には普通に流通するとした文献もあった(牧野 1957, 1958)。1970年代後半のオイルショック前後には水草園芸の文献情報そのものが乏しくボタンウキクサの掲載も途切れたが、1980年代以降は再び掲載が増え、日本各地で普通に栽培されるとの記述も見られた(大滝・石戸 1980;塚本 1987)。ボタンウキクサが特定外来生物に指定された2006年以降にも計6件の掲載文献が確認されたが、それらは特定外来生物としての紹介であるか(小林 2009;川島 2010)、または既刊の改訂版的な出版物であった(阿部ほか 2004, 2009, 2014;小林 2007)。なお、園芸以外における九州以北への導入と思われる記録として、京都大学植物園の栽培品とされる1925年の標本情報(Yokogawa and Tanida 2020)と、図鑑用の図の描画のために沖縄産の生品の寄贈を受けた例(寺崎 1938)があった。

調査した園芸関係の文献には、基礎情報として分布域を記したものはあったが、導入元となった地域を明示したものはなく、わずかに2000年代の文献で「ボタンウキクサの一種‘パンタナル’」等の南米原産を示唆する名称が見られたのみであった(小林ほか 2001;小林・熱帯魚・水草スーパーカタログ編集部 2003;吉野 2005)。

考 察

琉球諸島におけるボタンウキクサの記録年代とその内容

本研究で得られた結果から、琉球諸島におけるボタンウキクサの記録は以下のように整理された。琉球諸島における最も古い分布記録は1854年(琉球王国時代/江戸時代末期)のC. Wrightによる標本および手稿であり、その後も断続的に複数の著者・採集者により多数の記録が残されていた(表1)。これらの結果は、琉球諸島に古い分布記録があるとした持田・三浦(2001)、神谷(2001)、邑田(2003)、沖(2009)らの指摘を支持するものである。1850年代の時点で、ボタンウキクサは沖縄島の水田や池に普通(common)であり(表1)、1950年代に至るまで多様な水生植物と同所的に生育していた(伊藤 1892;坂口 1922;Miyawaki 1960)。分布記録は沖縄島本部半島以南の各島から得られ(図1, 表1)、局所的な分布やそこからの急速な拡大といった直近の侵入を示唆する記録は確認されなかった。1950年代以前の研究者らは、明示的に在来種として扱うか、地域の植物相の構成種や植物地理学的な研究対象として扱っており、一方でこの時代の情報源において外来種とする見解は確認されなかった(表1, 2)。

外来種と見なされた理由の推定と反証

ボタンウキクサは、1930年代までは在来種または野生種として扱われていたのに対し、1950年代から外来種とする扱いが始まり、1970年代には主流となっていた(表2)。古い時代の分布記録が存在し、人為的な導入の確かな証拠を欠くにも関わらず、ボタンウキクサを外来種とする見解が主流となった理由として、1)当時における古い情報の入手の困難さが影響した可能性と、2)研究者が判断する上でバイアスが存在した可能性が考えられる。

1)の古い情報の入手の困難さについて、本研究で取得できた古いボタンウキクサの情報、特に1900年以前の情報は手稿などの非刊行物が多く(表1)、デジタルアーカイブ化以前には探索や発見、閲覧が困難だったと思われる。また、刊行物の場合にも、掲載先が植物学の専門誌ではない場合や(たとえば、黒岩 1896;沖縄教育会 1908)、長大な一連の論文の中から探し出さなければならない場合があり(たとえば、Maximowicz 1886;Kuroiwa 1900)、紙媒体の資料を目視で探索し発見に至るのは容易ではないと考えられた。古い標本には海外の標本庫に収蔵されているものも多く(表1)、それらもカタログ化やデジタルアーカイブ化がされていなければ把握は困難だった。これらの事情がボタンウキクサに関する古い記録の網羅的な把握を困難なものにし、情報の埋没につながったと考えられる。

2)のバイアスが存在した可能性については、既存の研究には外来種と断定した根拠についての議論が明記されていないため、当時の研究者らが実際に思考の上でバイアスを受けていたかを検証することは難しい。ここでは、外来性の検討における注意点を喚起とすることを目的に、以下3つのバイアスとなり得る要因について検討する。

1つ目に、ボタンウキクサはしばしばアフリカ原産とされており(大滝・石戸 1980;清水ほか 2001;村中ほか 2005)、このことが本種を外来種と判断するバイアスとなった可能性がある。現在では、世界各地の熱帯・亜熱帯に自然分布していた可能性(Evans 2013)や、各地で遺伝的分化が進んだ地理的系統の存在が明らかにされつつあり(Madeira et al. 2022)、アフリカのみを原産地とする説は支持されない。アジア熱帯・亜熱帯域でも固有のハプロタイプクレードに属する地域個体群が確認されていることに加え(Madeira et al. 2022)、ボタンウキクサを専食する東南アジア固有の植食者としてヤガ科のウキクサヨトウSpodoptera pectinicornis (Hampson, 1895) が知られており(Habeck and Thompson 1997;吉安・杉 1999)、これらの地域におけるボタンウキクサの在来性が示唆されている。アジア熱帯・亜熱帯域を自然分布と見なした場合には、琉球諸島は分布の北東限に相当すると考えられる(小泉 1928;神谷 1933;正宗 1934;中井 1935;Ohba 1996)。

2つ目に、当時のボタンウキクサが水田という人為的環境を主要な生育地としていたことの影響が考えられる。最初に外来種との見解を示したWalkerらはボタンウキクサを" Naturalized. Injurious."としており(表1)、水田に生育する有害な外来種として認識していた。一般に、農耕地などの人為的攪乱地は外来生物が侵入しやすい環境として認識されており(清水 2003;Pearman 2007)、水田をハビタットとする種はしばしば史前帰化と見なされる(前川 1943;笠原 1959, 1976)。このような種は実際に史前帰化である可能性もあるが(例えば、北野ほか 2015;Kano et al. 2018)、定義上そのことを科学的に証明するのは難しい。水田は外来生物が侵入しやすい環境である一方で、後背湿地や氾濫原等の一時止水域に生息していた在来生物のレフュージアともなっている(鷲谷 2007;森ほか 2008)。琉球諸島でも、水田においてボタンウキクサと共に記録されていた植物の多くは日本の在来種として認識されているほか、水田等を主な生息環境とする純淡水魚のヒョウモンドジョウMisgurnus sp.や琉球諸島産タウナギMonopterus sp.は地域固有の遺伝的特徴を持つことが明らかにされており(Matsumoto et al. 2010;中島・内山 2017;宮本ほか 2017;岡ほか 2021)、水田の生物の外来性については慎重に評価する必要がある。

3つ目に、園芸流通があったことで、人為的な導入と野生化が疑われ易かった可能性が考えられる。外来種とする見解が現れた1950年代にはボタンウキクサの園芸流通が盛んになっており(図2)、この見解が主流となった1970年代以降には散発的ながら九州以北での野生化も報告されはじめていた(芝山ほか 1976;斉藤 1982)。このような流通状況も研究者の判断に影響した可能性がある。

琉球諸島の旧来個体群は外来種と言えるか?

日本では、科学的な記録が残され始めた時代であることを理由として、生物多様性保全の文脈ではおおむね1868年(明治元年)以降に侵入した生物を外来生物として扱うことが一般的であり(鷲谷・矢原 1996;日本生態学会 2002;村中 2010)、外来生物法でも同様の範囲の生物を対象としている(環境省・農林水産省 2014)。これまで日本へのボタンウキクサの侵入年代として1880年代から1920年代までの様々な年代が提示されてきたが(石井 1955;清水ほか 2001;邑田 2003;角野 2002;村中ほか 2005;多紀・自然環境研究センター 2008;国立環境研究所侵入生物データベースhttps://www.nies.go.jp/biodiversity/invasive/DB/detail/80790.html 最終確認日 2022年12月1日;環境省ホームページ日本の外来種対策https://www.env.go.jp/nature/intro/2outline/list/L-syo-11.html 最終確認日 2022年12月1日)、導入の経緯や外来種と断定された根拠は明示されてこなかった。これらの年代は、ボタンウキクサが外来種であるとの認識の下で、遡及できた最古の記録を示したものである可能性が高い。本研究では、最古の記録である1854年の時点ですでに池や水田に普通に見られたこと、次いで古い1900年頃までの記録からは琉球諸島に広く野生していたことが明らかになった(図1, 表1)。したがって、琉球諸島のボタンウキクサのうち古くから分布していた個体群については、外来種と断定できる科学的な根拠はないと考えられる。一方で、本研究でも1854年以前の記録は得られず(Yamauchi 2023a)、有力な情報となり得る化石等の古生態学的な記録も見当たらない(石田ほか 2016:https://www.rekihaku.ac.jp/up-cgi/login.pl?p=param/issi/db_param 最終確認日 2022年12月1日)。以上のことから、琉球諸島のボタンウキクサのうち古くから分布していた系統は、自然分布であるか、もしくは科学的な記録が残される以前にヒトの移動に付随して侵入した史前帰化のいずれかと見なすのが妥当である。

生物多様性保全の観点からの懸念と課題

琉球諸島では2000年代の時点で古くから分布する「コンパクト型」と1980年代以降に侵入したと推定される「オープン型」の両方が見られたとの指摘がある(沖 2009)。しかし、両系統の分類学的な検討や識別方法の確立は進んでおらず、これらは区別されずに外来種として扱われている可能性がある(たとえば、北野ほか 2010;嶋津 2011;藤吉ほか 2012;立石ほか 2016;横田 2016;沖縄県 2018;梶田ほか 2022)。世界的なボタンウキクサの遺伝的多様性とその地域固有性を鑑みると(Madeira et al. 2022)、日本国内のボタンウキクサについても系統地理学的な研究によって両系統を分類学的に正しく位置づける必要があると考えられる。

琉球諸島に古くから分布したボタンウキクサ個体群が自然分布であるか史前帰化であるかを確定することは、将来的にも困難かもしれない。外来種対策では、曖昧さが残る情報に依拠することを避け、侵略的かどうかのみを対策の基準にすべきという議論もある(Warren 2007, 2009;Preston 2009)。琉球諸島の生物では、マルタニシCipangopaludina chinensis laeta (Martens, 1860) が史前帰化と判断されたうえでその文化的な意義が評価され(北野ほか 2015)、同じく史前帰化と判断されたタイワンキンギョは侵略的でないことや地域における文化的な重要性からその適切な保全が提案されている(Kano et al. 2018)。ボタンウキクサの場合は、生態系において侵略的にふるまい得る、あるいは農業および治水・利水上の大きな障害となり得るため、より慎重な検討が必要である。フロリダ半島で在来系統のボタンウキクサはあまり侵略的でないという評価がなされているように(Madeira et al. 2022)、侵略性は系統間で異なる可能性がある。日本でも、1930年代および1950–1960年代からボタンウキクサの園芸流通があった(図2)にも関わらず、当時は九州以北における野生化は報告が無く、その一方で「オープン型」が見られるようになったとされる1980年代以降には野生化の報告が増加している(沖 2009)。古くから分布した系統のボタンウキクサについては、改めて侵略性の評価が必要だと思われる。

北米南部のフロリダ半島では、ボタンウキクサは全て外来種であるとの前提の下で管理が実施されてきたが、フロリダ在来系統が存在する可能性が明らかにされたことで、除草剤を用いた強度の除草が他種や河川環境へ与える影響への懸念や(Evans 2013)、ボタンウキクサの各系統に対する生物農薬の系統特異性の確認(Madeira et al. 2022)など、管理方法の再検討の必要性が認識されるようになった。また、外来種であるとの認識があったため新たに外来系統が侵入することに対して無警戒であり、外来系統との交雑に関する知見の不足も指摘されている(Evans 2013;Madeira et al. 2022)。これらの懸念の少なくとも一部は、琉球諸島に古くから分布した系統にも該当すると考えられる。さらに、この系統を在来種と見なす場合には、その希少性と保全についても検討が必要になるかもしれない。1950年代以前にはボタンウキクサは沖縄島以南の水田において多く記録されており(表1、図2)、水田が主要な生育環境の一つだったと考えられる。沖縄県の水田面積は、1960年代初頭の約8,800–11,000 haから、干ばつや米の生産調整、サトウキビ畑への転換を経て、2021年現在は1/10以下の800 haにまで減少している(宮里 1955;西山 1963;金城・大城 1987;吉永 1990;清水 2004;政府統計の総合窓口(e-Stat)作物統計調査:https://www.e-stat.go.jp/stat-search/files?page=1&toukei=00500215 最終確認日 2022年12月1日)。水田環境の消失に伴い、琉球諸島のボタンウキクサ個体群は他の陸水生物と同様に減少した可能性がある。さらに、外来浮遊植物のホテイアオイEichhornia crassipes (Mart.) Solmsは、大型で草丈の可塑性が大きいためボタンウキクサに対して競争上優位とされる(Dray et al. 1988;Agami and Reddy 1990)。実際に1900年代初頭にホテイアオイが導入された台湾では、それ以前から分布していたボタンウキクサが駆逐されている(岡本 1913;武内 1915;伊藤 1927;堀川 1927)。ホテイアオイは沖縄にも広く定着しており(たとえば、嶋津 2011)、同様の影響を与えている可能性がある。

本研究では、琉球諸島に古くからボタンウキクサが野生状態で広く分布していたことを示し、それらが自然分布または史前帰化に相当する可能性を指摘した。ボタンウキクサは、特定外来生物として外来性に疑いのある系統の存在が示された初めての例だと考えられる。特定外来生物への指定に先だち在来性・外来性が議論された例にはアシナガキアリAnoplolepis gracilipes Smith, 1857とツヤオオズアリPheidole megacephala Roger, 1863があるが(特定外来生物等専門家会合 第5,6,7回議事録 https://www.env.go.jp/nature/intro/4document/data/sentei.html 最終確認日 2022年12月1日)、指定後の再検討はまだ例がない。本研究では琉球諸島のボタンウキクサが明治以降に侵入した可能性は否定されたが、現在のところ在来種と証明することも難しく、また、九州以北で実際に被害をもたらしている系統の由来も明らかになっていない。現在の分類学的な認識の下ではボタンウキクサは世界に1属1種であるため、各系統を同一種として扱わざるを得ないことも、外来生物法における本種の取扱いを難しくしている。在来系統が存在する可能性を考慮して対策をとるには、外来生物法における本種の取扱いに何らかの調整が必要である。外来生物法では、2023年6月より施行される附則によって「条件付特定外来生物」が新たに設定されるなど、運用上の調整が図られている(環境省ホームページ日本の外来種対策 https://www.env.go.jp/nature/intro/2outline/regulation/jokentsuki.html最終確認日 2023年3月31日)。ボタンウキクサについても、九州以北の帰化個体群に対する規制の効果を損なわずに、琉球諸島に古くから分布する個体群への配慮が可能となる施策の検討が望まれる。将来へ向けたよりよい選択のために、両系統の分類学的な検討や識別法の確立、琉球諸島における現状の把握といった科学的な情報の蓄積と、それに基づく取り扱いについての議論が必要である。

謝 辞

本研究を進めるにあたり、山下由美氏(福島大学)、川副裕一郎氏(沖縄市立郷土博物館)、根本秀一氏(東京大学大学院理学系研究科附属植物園)には文献入手においてご助力をいただき、天野正晴氏(一般財団法人沖縄美ら島財団 総合研究センター植物研究室)には標本情報をご提供いただいた。黒沢高秀氏(福島大学)には議論を通して多くのご指摘を頂いた。また、2名の匿名査読者には複数の重要な指摘と助言を頂いた。ここに記して篤くお礼申し上げる。

著者情報

ORCID

Takashi Yamanouchi https://orcid.org/0000-0003-4993-5635

表1

手稿、文献、および標本情報に基づく1950年代以前の琉球諸島および台湾におけるボタンウキクサの分布記録。情報源の右肩の†は、標本画像を確認出来ていないか、文献全体を精査できていないものを示す。採集・観察・記録者の右肩の*は、琉球諸島において直接採集・観察に関わったと推定される人物を示す。出典中の標本記録は斜体で示す。

記録年 情報源 採集・観察・記録者名 産地情報/分布情報 備考 出典
1854 標本・手稿 C. Wright* Loo-Choo Islands, "at the Capital" "Ponds at the Capital and common in irrigated field." "in pond & irrigation ditches." GH338281 (Kennedy 2020), NY79825 (Ramirez et al. 2020), US46465 (Orrell 2020) Wright (1853–1856)
1882 手稿 田代 安定* 沖縄島・那覇市久米、島尻地方、那覇港内 那覇市久米付近の水田における生育を記録し、緑肥や指標生物として利用のほか、博物局収蔵の標本への言及がある。 田代(1882, 1883, 1888),Anonymous (発行年不詳)
–1886 文献 C. J. Maximowicz Liukiu 伊藤(1892)はこれを博物局の田中芳男が送ったものとし、田代も1882年以前に博物局で標本を閲覧している(田代 1883)。河原田盛美による採集品である可能性がある。 Maximowicz (1886)
1891 文献・手稿 田中 節三郎*,伊藤 篤太郎 沖縄島・北谷 「明治廿四年五月十四日 田中節三郎採収」。水田で採集され、デンジソウ属植物の標本中に混在。印葉図あり。 伊藤(1892, 発行年不詳a)
1894 文献・手稿 T. Ito(伊藤 篤太郎)* Lūchū, Shui/沖縄本島首里辨天池 「池中に充満し生ず。『ウキクサ』云。明治廿七年七月廿四日 伊藤篤太郎採集」。印葉図あり。 Ito (1899),伊藤(発行年不詳b)
1894 手稿 平澤(中澤?) 金之助*,伊藤 篤太郎 琉球 「明治廿七年七月 平澤金之助採集」。印葉図あり。 伊藤(発行年不詳c)
–1895 文献 松村 任三 -(沖縄島?) 松村(1895)
–1896 文献 黒岩 恒* 沖縄島(那覇弁天池、国頭、中頭)、八重山列島 池(首里の弁天池)や水田に生育、冬季に枯れて翌年種子から発芽する一年草であることを記述。 黒岩(1896)
1896 文献 大渡 忠太郎,内山 富次郎,牧野 富太郎 台湾・台北、琉球 台湾での調査報告であるが、琉球での分布に言及。和名「ボタンウキクサ」初出。 大渡(1897)
–1898 文献 松村 任三 琉球、台湾 「琉球、台湾最多し。淡水廰志に萍、大者呼牡丹萍とあるもの是れなり」。 松村(1898)
–1900 文献 H. Kuroiwa(黒岩 恒)* 沖縄島南部 Kuroiwa (1900)
–1905 文献 松村 任三 琉球・沖縄、台湾・台北 松村(1905)
–1908 文献 沖縄教育会* -(沖縄島?) 有用植物・栽培植物とは別に「野山を飾る花植物」として掲載。 沖縄教育会(1908)
1911 標本 照屋 全昌* 沖縄県沖縄島本部村 鹿児島高等農林学校生による採集品。 KAG004645
1913 標本 S. Kawagoe(河越 重紀?)* Isl. Okinawa, Ryukyus "Ex Herb. Facult. Agric. Kagoshima Univ. " L1417382 (Creuwels 2020)
–1914 文献 牧野 富太郎,根本 莞爾 琉球 引用されている標本番号は"15479" 牧野・根元(1914)
1915 標本 T. Makino(牧野 富太郎)? Prov. Ryukyu 牧野は沖縄未踏であり、おそらく自身による採集品ではない。 CAS601668 (Trock and Fong 2020)
–1916 文献 松村 任三 -(沖縄島?) 「ボタンウキクサ オホバモ」 松村(1916)
–1917 文献 斎田 功太郎, 佐藤 礼介 琉球、台湾 「ぼたんうきくさ、おほばも、りうきううきくさ」 斎田・ 佐藤(1917)
–1919 文献 三省堂編輯所 琉球、台湾 記述担当者は中野治房。外来種との記述はない。 三省堂編輯所(1919)
–1922 文献 坂口 總一郎* -(沖縄島?) マツモ、デンジソウ、ヒルムシロ等と共に水田・沼沢に生育。 坂口(1922)
–1924 文献 坂口 總一郎* 沖縄島(首里、中頭、島尻) 坂口(1924)
–1925 文献 牧野 富太郎,根本 莞爾 琉球 牧野・根本(1925)
–1925 文献 村越 三千男 琉球、台湾 「自生する」 村越(1925)
1927 標本 三木 茂* 沖縄島(首里) OSA228080 (Yokogawa and Tanida 2020), 志賀ほか(2009)
–1928 文献 伊藤 武夫 琉球、台湾 伊藤(1928)
–1928 文献 小泉 源一郎 南西諸島 植物地理学的な視点からの評価。 小泉(1928)
–1930 文献 佐々木 舜一 Syuri, Okinawa 台湾産の標本と共に沖縄産の"Tashiro 27825"を引用。 佐々木(1930)
–1931 文献 G. Masamune(正宗 厳敬)* Riukius Masamune (1931)
–1931 文献 首里市* 首里城内 首里城内に見られる植物として掲載。 首里市(1931)
–1933 文献 多和田 真淳* 沖縄島・美東(沖縄市) 沖縄市立郷土博物館(2003)
–1933 文献 神谷 辰三郎 南西諸島 植物地理学的な視点からの評価。 神谷(1933)
–1933 文献 平凡社 琉球・臺灣 「ボタンウキグサ、牡丹浮草、リウキウウキグサ、オホバモ」。温室用水草として栽培。 平凡社(1936)
–1934 文献 正宗 厳敬* 沖縄区、先島区、台湾区 植物地理学的な研究対象として掲載。 正宗(1934)
–1934 文献 村越 三千男 琉球・臺灣 暖地の池沼等に自生。「ぼたんうきくさ、りうきううきくさ、おほばも」。 村越(1934)
1935 標本 神里 フヂ* 島尻郡南風原村山川 OSA228079 (Yokogawa and Tanida 2020), 志賀ほか(2009)
–1935 文献 中井 猛之進 南西諸島 植物地理学的な視点からの評価。 中井(1935)
1936 文献 城間 朝教*,寺崎 留吉 沖縄島・首里 城濠。在来・外来については言及がない。 寺崎(1938)
–1936 文献 平凡社 琉球・臺灣 外来種との記述はない。観賞用としての栽培に言及。 平凡社(1936)
–1937 文献 三木 茂 インド、マレー、台湾、琉球 在来種リスト中に掲載。 三木(1937)
–1939 文献 本田 正次 本田(1939)
–1940 文献 G. Masamune(正宗 厳敬)* Okinawa, Miyako, Ishigaki, Obama, Iriomote 1922–1940年の調査結果に基づく。少なくとも一部は既存文献(Masamune, 1931;正宗,1934)と同一のデータに基づく報告だと推測される。 Masamune (1951, 1957)
1945 標本 W. D. Field*, O. G. Loew* Liu Kiu Islands, Okinawa, Ibaria "in water". US1942600 (Orrell 2020), MICH1664506 (University of Michigan Herbarium 2020)
1951 標本 E. H. Walker*, S. Tawada(多和田 真淳)*, T. Amano(天野 鉄夫)* Okinawa Island, Naha "Common in rice fields and ponds. Naturalized. Injurious." "Abundant in rice-fields and ponds. Naturalized. Injurious to crops." US2093219 (Orrell 2020), L1417383 (Creuwels 2020)
–1952 文献† 高嶺 英言* 石垣島(石垣) 高嶺(1952)
–1952 文献† E. H. Walker Okinawa Walker and Sonohara (1952)
1957 標本 新城 和治* 沖縄島具志頭村具志頭 URO101713
1958 文献 A. Miyawaki(宮脇 昭)* Tomigusuku, Nakijin 水田植生の構成種として掲載。ボタンウキクサ-アカウキクサ群集。 Miyawaki (1960), Miyawaki and Tüxen (1960)
–1958 文献 初島 住彦*,天野 鉄夫* 各島 水田、池に生育するとしている。 初島・天野(1958)

表2

琉球諸島のボタンウキクサに対する1850–2010年代までの年代ごとの在来・外来の見解。右肩に*を付けたものは、在来種と明示はしていないが、地域の植物相構成種または生物地理学的な研究対象として扱った研究を示す。標本記録は標本番号と採集年を斜体で示し、重複標本と判断されたものはカンマで繋いで示す。

  評価なし 野生または在来 外来
–1899 GH00338281, NY00079825, US01205602 (1854) Wright(1853–1856) 田代(1882, 18883, 1888) Anonymous (発行年不詳) Maximowicz (1886)* 伊藤(1892*,発行年不詳a,b,c) Ito (1899) 黒岩(1896) 松村(1898) 松村(1895)
1900'–1920' Kuroiwa (1900)* 松村(1905, 1916) 沖縄教育会(1908)* KAG004645 (1911) L1417382 (1913) 斎田・ 佐藤(1917) 坂口(1922) 伊藤(1928) 小泉(1928)* 牧野・根元(1914) 坂口(1924) 牧野・根本(1925) 村越(1925) 末松(1927)
1930'–1940' 佐々木(1930) Masamune(1931)* 首里市(1931) 神谷(1933)* 正宗(1934)* 中井(1935)* 平凡社(1936) 寺崎(1938) 沖縄市立郷土博物館(2003) 本田(1939) US03826469, MICH1664506 (1945) 村越(1934) 三木(1937)
1950'–1960' Masamune (1951, 1957)* URO101713 (1957) Miyawaki (1960), Miyawaki and Tüxen (1960) 初島・天野(1958) US03826468, L1417383 (1951)
1970'– 初島(1975) Walker(1976) 大滝(1976) 奥山(1977) 池原(1979) 大滝・石戸(1980) 初島・天野(1994) 島袋(1997) 角野(2014) 邑田(2015)

図1

1950年代以前の文献情報から得られた琉球諸島(上段)および沖縄島内(下段)における当時のボタンウキクサの分布記録。地名に基づき、代表点をプロットした。

図2

調査対象とした1890-2020年代までの水草園芸・アクアリウム分野の文献数およびボタンウキクサの掲載があった文献数の推移。

References
 
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