抄録
本稿は、日本の地方都市の一つである熊本市をフィールドに、地方の在日朝鮮人の生活世界をめぐる社会史について記述・分析するものである。熊本市においては、敗戦直後に形成された闇市起源の市場街に比較的多くの在日朝鮮人の居住が見られた。ただし、そこでは、大阪や東京、あるいは川崎や京都などに見られるような在日朝鮮人中心のコミュニティは形成されず、在日朝鮮人、華僑、沖縄出身者、引揚者を含む日本人等からなる「国際市場」という地域社会が形成されていた。また、この市場街は、ある時期から繊維問屋街に特化したものとなっており、おそらくそうしたこともあって、在日朝鮮人の存在が焼肉店の出現やコリアタウンの形成に結びつくことはなかった。このような事例をふまえると、日本列島には、大阪や東京、川崎や京都といった都市で展開されてきた在日朝鮮人の生活世界とは異なる、もう一つの(いくつもの)在日朝鮮人の生活世界が存在することが理解できよう。今後は、他の地方都市の状況も視野に入れながら、「複数の在日朝鮮人史/誌」を描き出すことが課題となる。