印度學佛教學研究
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『開目抄』にみる日蓮の法華経観
関戸 堯海
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2014 年 62 巻 3 号 p. 1300-1307

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抄録

文永九年(1272)二月,寒風が吹きつける佐渡の塚原三味堂で,日蓮は『開目抄』を書き上げた.「日蓮のかたみ」として門下に法門を伝えるための論述である.日蓮は『開目抄』において,諸経にすぐれる『法華経』が末法の衆生を救う教えであることを力説する.まず,あらゆる精神文化と仏教を比較して,その頂点に『法華経』があることを論述する.一切衆生が尊敬すべきは主徳・師徳・親徳であり,学ぶべき精神文化は儒教・仏教以外の宗教思想・仏教であるとして,それぞれの思想的特徴を精査して,仏教が最もすぐれるとし,なかでも『法華経』が釈尊の真実の教えであることを「五重相対」の仏教観によって証明する.続いて,『法華経』のすぐれた思想的特色として,一念三千および二乗作仏・久遠実成を挙げて詳細に論じている.そして,『法華経』迹門の中心をなす方便品は一念三千・二乗作仏を説いて,爾前諸経の二つの失点のうち一つをまぬがれることができたが,いまだ迹門を開いて本門の趣旨を顕らかにしていないので,真実の一念三千は明らかにされず,二乗作仏も根底が明らかにされていないと述べ,本門を中心とした法華経観を提示する.また,末世の『法華経』布教者に数多くの迫害が待ち受けていることを『法華経』みずからが予言している(未来記).その経文を列挙して,数々の迫害の体験は予言の実践(色読)にほかならないとして,日蓮は末世の弘経を付嘱された上行菩薩の応現としての自覚に立ち,不惜身命の弘経活動を行なった.ことに龍口法難(佐渡流罪)を体験した日蓮は法華経の行者であることを確信した.そして,『開目抄』には「我れ日本の柱とならむ,我れ日本の眼目とならむ,我れ日本の大船とならむ」の三大誓願によって,人々を幸福な世界へと導くという大目的が表明されている.

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© 2014 日本印度学仏教学会
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