印度學佛教學研究
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62 巻, 3 号
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  • ――黒Yajurveda-Samhita散文における使役動詞yajaya-^<ti>の使用法を中心に――
    天野 恭子
    原稿種別: 本文
    2014 年 62 巻 3 号 p. 1065-1071
    発行日: 2014/03/25
    公開日: 2017/09/01
    ジャーナル フリー
    所謂ブラーフマナと呼ばれる祭式説明/解釈の書においては,祭式行為は祭官を主体として,祭式の効果は祭主を主体として記述される.そのためこれらの文献では祭官の祭式に対する利害関係は見えにくいと言えるが,例えばMaitrayani Samhita I 11,5では「祭官が祭式を勝ち得て,その祭式を彼の王に開催させる」と述べられ,祭官の「祭式を挙行する権利」に対する意識が見て取れる.そのような祭式を巡る権利意識のあり方,その変遷を知るために,本研究では,使役動詞yajaya-^<ti>「(祭官が)(祭主に)祭式を開催させる」の黒Yajurveda-Samhita散文における用例を詳しく調べた.調査の結果次のことが明らかになった.1)祭官が祭主に祭式の開催を持ちかける例や,祭主が祭官に祭式の挙行を乞う例が神話に見られ,祭官の権利が意識されていたことが分かる.2)yajaya-^<ti>によって言及される祭式は,願望祭などの特殊な祭式や,特殊な献供を用いる祭式であり,ある特殊な祭式に関して,祭官からの開催推奨があったことが窺える.3)規定のoptative yajayet「(ある特定の祭主に)祭式を開催させるべし」が,Maitrayani Samhitaの願望祭章で,特に頻繁に,定形化して用いられる.同文献が,祭官の権威をより明確にする表現を選んだと考えられる.4)本来,神話においてはyajaya-^<ti>の主語は典型的祭官であるBrhaspatiであったが,比較的新しいTaittiriya-Samhitaにおいては,そもそも祭官的性格を持たず,言うなれば「庇護者」であるPrajapatiが頻繁に主語として現れる.このことは,「祭式の開催を許可する」権威が,祭官から(社会的)権力者に移行したという,当時の社会的状況を示す可能性がある.5)yajaya-^<ti>の意味そのものも,祭官と祭主の関係性を離れ,より一般的に「祭式を開催/挙行させる」の意味へと,用例の広がりを見せるようになった.また,MS, TSの用法の示す特徴が,両文献の歴史的,地理的状況に起因する可能性を指摘した.
  • ――ヴェーダ文献との比較から見えてくるその祭式学的特徴――
    手嶋 英貴
    原稿種別: 本文
    2014 年 62 巻 3 号 p. 1072-1080
    発行日: 2014/03/25
    公開日: 2017/09/01
    ジャーナル フリー
    『マハーバーラタ』(Mahabharata)第14巻(MBh14巻)は「アシュヴァメーダの巻」(Asvamedhika-Parvan)と名付けられており,ユディシュティラ王による大掛かりなアシュヴァメーダ挙行の経緯を描いている.そこでは,大戦争を通じて多くの同族を殺した王が,その罪からの解放を願い,効験あらたかな滅罪儀礼であるアシュヴァメーダを行う.その上で,本祭に先だち十ヶ月間放浪する馬をアルジュナが守護し,各地で戦争の残敵を撃破する英雄譚が展開される.他方,MBh 14巻には,断片的ではあるが,アシュヴァメーダの祭式描写が数多く含まれており,そこからこの巻の編纂者がどのような祭式学的知見を有していたかを推知しうる.そのうち特に注目されるのは,MBh 14.91.7-19で描かれているダクシナー(祭官への報酬)の描写である.そこには,Satapatha-Brahmana=(SB)など,一部のヴェーダ祭式文献が示す規定と共通する要素が認められるからである.本稿では,これら祭式文献のにおけるダクシナー規定と,MBh 14巻におけるダクシナー描写とを比較し,同巻編纂者がどのような祭式学的知識をもち,またそれを物語の劇的展開にどう活用したかを考察した.その主な検討結果は以下のとおりである.(1)MBh 14巻におけるダクシナー描写には,祭式学の視点から次の三つの特徴が指摘できる:[A]アシュヴァメーダのダクシナーを「大地」とする(MBh 14.91.11a-b);[B]祭式終了後,祭主は森林生活に入る(MBh 14.91.12a);[C]大地(国土)は四等分されて四大祭官に分与される(MBh 14.91.12b-d).(2)祭式文献の規定を照合すると,上記[A]〜[C]の三特徴は,アシュヴァメーダのほかプルシャメーダ,サルヴァメーダを含む都合三祭式のダクシナー規定に散在している.つまり,MBh 14巻のダクシナー描写は,三つの異なった祭式規定の複合からなる.(3)祭式文献のうち,上記の三特徴を全て示すのはSBのほか,Sankhayana-およびApastamba-Srauta-Sutraだけである.このことから,MBh 14のダクシナー描写は,これら三文献に共通して伝えられている伝承に起源を持っていたと推測される.
  • 川村 悠人
    原稿種別: 本文
    2014 年 62 巻 3 号 p. 1081-1086
    発行日: 2014/03/25
    公開日: 2017/09/01
    ジャーナル フリー
    バッティが著した『バッティカーヴィア』(Bhk)は,ラーマ物語を描写すると同時にパーニニの文法規則を例証し,それによってパーニニ文法学を教示することを企図した作品である.川村[2013]で示したように,バッティが各文法規則に対して展開されるパタンジャリの議論を熟知していたことは疑いようがないが,彼は各規則を例証する際に必ずしもパタンジャリの解釈に従うわけではない.バッティはA2.3.17 manyakarmany anadare vibhasapranisuを例証するために,BhK 8.99においてtrnaya matva tah(「彼女達を藁だと考えて」)という表現を使用しており,このことは,彼がパタンジャリのA 2.3.17解釈に従っていないことを示している.パタンジャリによれば,A2.3.17中のanadaraという語は「単なる侮蔑」ではなく「激しい侮蔑」を意味するものとして解釈されるべきである.そして激しい侮蔑は,肯定文ではなく否定文,例えばna tva trnaya manye(「私はお前を藁だとも思わない」)のような文のみから理解される.「激しい侮蔑」を理解させる否定文のみがA 2.3.17の適用領域である.A 2.3.17中のanadaraという語は「単なる侮蔑」と「激しい侮蔑」のどちらも意味し得るから,その限りにおいてはバッティの表現も確かに成立し得る.しかし,パタンジャリの解釈に従っていないバッティの表現をバッティ以後のパーニニ文法家達がA 2.3.17の例として受け入れることはない.何故バッティはそのような表現を使用したのであろうか.この問題に対する手がかりを,我々は彼と同時代かかなり近い時代に活躍したと考えられるマーガとダンディンの作品中に見出すことができる.興味深いことに彼らもバッティと同種の表現を使用しているのである.パタンジャリが当時のモデルスピーカー達の実際の言語運用を観察して否定文のみをA 2.3.17の適用例として認めたのと同様,バッティも彼の時代の詩人達の言語慣習を考慮に入れて肯定文をA 2.3.17の適用例として提示したと考えられる.
  • 張本 研吾
    原稿種別: 本文
    2014 年 62 巻 3 号 p. 1087-1093
    発行日: 2014/03/25
    公開日: 2017/09/01
    ジャーナル フリー
    ネパールには3本の『スシュルタ・サンヒター』の貝葉写本が伝わる.そのうち一つは西暦878年に書かれており,ネパール出の写本としては,最古の確認できる日付を持つ.本稿では,それらの写本に関して見いだせることを数点紹介する.まず,ネパールでは仏教徒がそれらの写本の制作に関わっていた.さらには,仏教徒がテキストの著作にも関わっていた可能性を示す跡がこれらの写本には見いだされる.ネパール出の写本に見られるテキストは一つの伝承系統を形成する.つまりは,3本の写本はどれも共通の祖先から派生したと考えることができ,他の地域でのテキストの変遷からの影響は大きく受けていない.しかし,このネパールバージョンも長い伝承過程の痕跡を示す.すでに9世紀にはさまざまな形でのテキストの意識的,無意識的な変化のあとが見いだされる.一つにはこれらの痕跡を通じて,さらには純粋に古い読みを保存することによって,ネパール出の写本は『スシュルタ・サンヒター』の古いテキストの復元を可能にし,テキストがどのように変化して来たかを知る手がかりを提供する.
  • 森口 眞衣
    原稿種別: 本文
    2014 年 62 巻 3 号 p. 1094-1100
    発行日: 2014/03/25
    公開日: 2017/09/01
    ジャーナル フリー
    インド医学の病理論について,Carakasamhita(以下CS)系統の医学書では「病気の原因」を扱うNidanasthana(以下Ns)を中心とするnidana論が展開されるが,Susrutasamhita(以下SS)にそのような議論は見られない.本稿では医学書としての構成と標題(分類項目)に注目し,SSの病理への関心像を考察した.Cikitsasthana(以下Cs)はNsとの対応項目に増補して成立したと考えられ,SSのNsはCSに比べ増補が多い.病巣の局在を基準により重篤あるいは診断の異なる病態を区別して配置した階層的構成をもつSSは解剖学的な部位と疾患機序に基づいた分類を重視しており,その背景に豊富な臨床例の観察が想定された.Uttaratantra(以下Ut)はAstangaのうち4部門に対応し,CSのCsで増補された項目の一部がSSではUtのkayacikitsa(以下kyc)に収録される.基本的には病理(Ns)と治療法(Cs)は別々に記載されるが,Utは病理と治療法を同一項目内に収録し,循環器系・消化器系など身体機能に応じた配置で構成されている.従ってUtには現代の病理学や解剖生理学にも通じる臨床的視点がある.ところで既出刊本ではUtにおいて6.38(女性生殖器疾患)が小児科を扱うkaumarabhrtya(以下kmbh)最終部に含まれているが,上記の特徴を踏まえると構成上6.38はkmbhではなくkycの泌尿器/生殖器関連箇所に配置されるべきである.そこでthe Nepal-German Manuscript Preservation Project (NGMPP)のSSネパール写本を検証したところ,果たして6.38はkmbhではなくkycの男性生殖器疾患(6.59)に続けて収録されていた.従ってこれがUt本来の配置であったと想定される.
  • ――新発見の『ヤヴァナジャータカ』の写本に基づいて――
    麥 文彪
    原稿種別: 本文
    2014 年 62 巻 3 号 p. 1101-1105
    発行日: 2014/03/25
    公開日: 2017/09/01
    ジャーナル フリー
    『ヤヴァナジャータカ』(ギリシャ人の出生占星術)は紀元後のギリシャとインドの二つの文明の交流の証拠となる重要な文献である.このテキストは19世紀末から文献学者に知られていたが,校訂本は1978年にピングリーによってはじめて出版された.その後,シュクラ(1989)とファルク(2001)がピングリーの校訂及びその解釈の様々な誤りを指摘したが,全体的にテキストについての研究は進んでいなかった.2012年に新しいネパール写本が発見されたのをきっかけとして筆者は『ヤヴァナジャータカ』が紀元後149/150年にアレクサンドリアでヤヴァネーシュヴァラという人物がギリシャ語で創作した作品を,紀元後269/270年にギリシャ人のスプジドヴァジャが韻文化したという「ピングリー説」を批判した.本稿は今までの様々な発見をまとめ,ピングリー版の誤読を訂正し,脱文を埋め,『ヤヴァナジャータカ』の歴史的な位置を再考する試みである.
  • 小林 久泰
    原稿種別: 本文
    2014 年 62 巻 3 号 p. 1106-1112
    発行日: 2014/03/25
    公開日: 2017/09/01
    ジャーナル フリー
    ジャイナ教の基本文献『タットヴァ・アルタ・スートラ』における五大誓戒についての註釈には大きく二つの系統がある.すなわち,「注意を怠った人の行為によって」という「殺生」の定義に見られる限定句をそれ以外の四つの誓戒すべてに継起させる系統そして,その限定句を不淫戒を除いた三つの誓戒にのみ継起させる系統との二つである.後者の系統は,白衣派の伝統にのみ特徴的に見られ,註釈者たちは,その典拠を白衣派独自に展開した戒律文献に求めている.白衣派註釈者たちが不淫戒を特別視するのは,このような戒律文献の影響を強く受けているためであり,またその戒律文献に説かれる通り,姦淫を行う人は,不注意であるか否かに関係なく,必ず欲望と嫌悪を伴っているため,他の誓戒とは異なり,注意深かったからといって,その行為が例外的に容認されるということがないからである.
  • 河﨑 豊
    原稿種別: 本文
    2014 年 62 巻 3 号 p. 1113-1118
    発行日: 2014/03/25
    公開日: 2017/09/01
    ジャーナル フリー
    ジャイナ教では,adattadana「与えられていないものの取得」という表現が偸盗のシノニムとされる.本稿は,adattadanaを文字通りに解して偸盗の完全な同義語と見做し,それを現実の宗教生活に適用する際に生じ得る問題-例えば王による盗賊の財産差押さえは,「盗賊が与えていない(adatta)ものを王が取得する(adana)」以上,王は偸盗を犯すことになる-を指摘し,その種の問題に自覚的であったジャイナ教論師たちのうち,アガスティヤシンハ,ウマースヴァーティ,シッダセーナを取り上げ,彼らがどうadattadanaを解釈するかを検討した.その結果,彼らは,(1)adatta-を「マハーヴィーラが説いた教典によって与えられていない(i.e.取得を許可されていない)」と再解釈し,教典で許可されていないものを取得すれば,所有者がそれを贈与したとしてもsteyaとみなされること,(2)steyabuddhi「盗もうという意図」で与えられていないものを取得する時にのみ偸盗が成立すること,(3)「与えられていない」とは「所有者が存在する」という意味であること,(4)pramattayoga「不注意な人の行動」ゆえに与えられていないものを取得することで,はじめてsteyaが成立すること(5)業は誰からも与えられていない(adatta)が,そもそも業には所有者が存在しないから,その取得はsteyaとは見做されないこと,等の論点を通じてadattadanaの意味を再解釈・改変し,当該語をsteyaの同義語と見倣した際に生じることが想定される種々の問題点を回避しようとしたことが明らかとなった.
  • 堀田 和義
    原稿種別: 本文
    2014 年 62 巻 3 号 p. 1119-1123
    発行日: 2014/03/25
    公開日: 2017/09/01
    ジャーナル フリー
    仏教には出家修行者の集団生活に関する規則をまとめたものとして律蔵があるが,ジャイナ教にもこれに相当するものとして「チェーヤ・スッタ」(Cheya-sutta)と呼ばれる文献群がある.そのチェーヤ・スッタの1つにVyavaharaがあり,その注釈書Vyavaharabhasyaの第1章では様々な告白(alocana)を扱っている.なかでも,第243詩節以降では,別のグループへの編入許可(upasampada)に関わる罪の告白について記されており,そこには,以前のグループを脱退して,新たな別のグループへの加入を希望する客来比丘(agantukabhiksu)の吟味方法が具体的に記されている.本稿では,これらの吟味方法を注釈者マラヤギリの解釈に基づいて概観する.本論で扱うのは,客来比丘の脱退が不浄な場合(2.1.)と脱退が不浄な客来比丘を拒絶するための6つの断り文句(2.2.)に関する記述という2つに大きく分けられる.そして,2.1.はさらに,不浄な脱退に関する10種の実例(a)(2.1.1.)と不浄な脱退に関する7つの実例(b)(2.1.2.)との2つに分けて検討し,前者ではそれぞれの状況と僧侶の台詞,後者では見捨てるべきでないアーチャーリヤの種類を具体的に見ていく.これらの記述は会話体を交えて生き生きと描写されており,実際にあった事例を思わせる.これらが詳細に記録された背景には,前のグループで何らかの問題を起こした僧侶は,新しいグループでも同様の問題を引き起こすかもしれない,という懸念があったと考えられる.それと同時に,過失が重大でなければ滅罪儀礼によって反省した後に受け入れられたという事実の中には現実的な配慮も認められる.
  • ――ミーマーンサーにおける文脈分析の一例――
    吉水 清孝
    原稿種別: 本文
    2014 年 62 巻 3 号 p. 1124-1132
    発行日: 2014/03/25
    公開日: 2017/09/01
    ジャーナル フリー
    Mimamsasutra 2.1.14への註釈においてシャバラは,Jyotistoma祭でYajurveda(YV)祭官がソーマ液を捧げる神格が,その前にstotra (Samaveda (SV)の詠唱)とsastra(Rgveda (RV)の朗誦)で称えられる神格と異なる場合があると言い,stotra歌詞の実例としてRV 7.32.22冒頭を引用する.これは朝昼夕のソーマ祭のうち昼の第2回セッションに関し,YV文献がいずれも神格としてMahendraを指定しているのに,その際のstotraとsastraで用いるRV詩節ではIndraが「偉大な」(mahat)の形容なしに呼格で称えられていることに基づいている.シャバラは,MahendraがIndraとは別の神格であることを証明するために,Mahendraに捧げるソーマ一掬を表すmahendraは形容詞mahatと神格名indraと接辞aNより成ると分析できない,そう分析すると一語としての統一がとれなくなるから,と論ずる.しかしクマーリラは,もしそうであるならagnisomiyaもAgniとSomaを神格とする祭式と見なせないことになるし,パタンジャリも複合語の主要支分は外部の語を期待しつつ従属支分と複合すると認めていることを挙げて,シャバラの証明は成り立たないと批判する.そして,語の内部構造分析に終始する文法学の方法に代えて,ミーマーンサー独自の,語が文脈において果たす役割の分析を提起する.まず文は既知主題の提示部(uddesa)と,その主題に関する未知情報の陳述部(upadeya/vidheya)とに分析できるとした上で,仮に当該のYV規定文において,予め祭式に組み込まれていたIndraが主題であったなら,この規定文は既知のIndraに対し何を為すべきかという問いに,ソーマを献供すべしと答えることになる.この場合にはIndraが形容されていても,その形容は意図されたものではない.しかし実際にはこの規定文はsukra杯に汲んだソーマを主題として,それをどの神格に捧げるべきかという問いに答えており,mahatによる形容は,ここで規定されるべき神格の同定に必要不可欠であるから意図されたもの(vivaksita)である.従ってmahendraにおいて「偉大性」はIndraから切り離せないから,Mahendraは形容なしのIndraとは別神格であると結論を導く.クマーリラはこの論証において,日常の命令文においても,同じ語であっても文脈の中で意図されている場合と意図されていない場合があるという語用論的考察を行っている.
  • ―― Mimamsasutra 1.3.27を巡る問題――
    友成 有紀
    原稿種別: 本文
    2014 年 62 巻 3 号 p. 1133-1138
    発行日: 2014/03/25
    公開日: 2017/09/01
    ジャーナル フリー
    Mimamsasutra 1.3.27は同作品中で「文法学の論題」と通称されるセクションに位置し,この論題では主に(1)言葉には「正・不正」(sadhu/asadhu)の区別が存在するか,(2)存在するとしたらそれは何に由来するものか,(3)その区別は何に基いて知られるか,(4)正しい言葉だけでなく不正な言葉からも意味が理解されるのはなぜか,という四つの問題を扱う."abhiyukta"とはこの内(3)の問題で,ある言葉が正・不正のいずれであるのかを知る上での根拠とされる人々を指示ないし限定する語として現れる.後代の注釈や,現代の研究ではこれを「文法学者」を指すものとして解釈するのが主流であるが,シャバラの注釈を鑑みる限りでは,必ずしもその意味でのみ理解すべきではないように思われる用例がある."abhiyukta"という語と"sista"という語の関係もなお考察されねばならない.
  • 斉藤 茜
    原稿種別: 本文
    2014 年 62 巻 3 号 p. 1139-1143
    発行日: 2014/03/25
    公開日: 2017/09/01
    ジャーナル フリー
    中世インドの言語哲学の発展は,文法学派が立てたスポータ理論をひとつの頂点とする.彼ら文法学派は,ことばを構成する最小のユニットとしてスポータ(sphota)を提唱した.その開顕に関して,我々はBhartrhari(5世紀)の著作Vakyapadiyaに最初の具体的な議論を見ることができる.Mandanamisra(8世紀初頭)はBhartrhariの思想を継承し,自身の著作Sphotasiddhi(SS)において,スポータ理論を完成させた.さて,SS最後1/4の部分で,対論者が音素論者(ミーマーンサー学派)から,音素無常論者(仏教)へ交代し,対論としてDharmakirti著作Pramanavarttika及びその自注(Svavrtti)(PVS)が,度々引用されるようになる(1章 Apauruseyacinta『非人為性の考察』).Mandanaが引用する対論の主張(pp.210-234)はPVS当該箇所の要約といってよい.本論文では,対論の内容をDharmakirti, Mandana,両者の視点から整理し,互いに異なる思想の中で,それぞれの特徴及び対立点を明らかにすることを試みる.仏教側の議論は,主として語を発信する側と受信する側の「意識」の問題に重きが置かれるが,話し手の側の意識の因果関係と,聞き手の側の意識の因果関係はPVSにおいて分けて記述されるため,両者の接続が妥当かどうかが議論の焦点となる.一方Mandanaの論駁においては「話者の同一性」の検証が重視され,これに関連して,普遍を有さない完全に個別的な音素が,どうやって話し手と聞き手の間で共有されるのか,という問いが対論に対して投げられる.
  • ――バースカラの引用句を手掛かりに――
    加藤 隆宏
    原稿種別: 本文
    2014 年 62 巻 3 号 p. 1144-1150
    発行日: 2014/03/25
    公開日: 2017/09/01
    ジャーナル フリー
    ヴェーダーンタ派のバースカラによる『バガヴァッド・ギーター註解』は,シャンカラが註解をなした『ギーター』流布版とは異なるバージョン,いわゆるカシュミール版に対する註解であることが知られている.先行研究の示すところによれば,バースカラが註釈した『ギーター』は流布版およびカシュミール版の原型であった可能性もあり,バースカラの引用した『ギーター』は彼の活躍した年代や地域について考える上で貴重な資料である.本稿では,バースカラの『ギーター註解』に採用された『ギーター』本文の読みをシャンカラの採用する流布版の読み,及び,アーナンダヴァルダナ,ラージャーナカ・ラーマカンタ,アビナヴァグプタといったカシュミール版ギーターに対する諸註釈に採用された読みと比較し,カシュミール版ギーターの特徴について概観した.また,バースカラの『ギーター註解』及び『ブラフマスートラ註解』に引用された『ギーター』の章句,特に諸写本に見られる異読の分析を手掛かりに,テクスト伝承という観点からカシュミール版ギーターの成立事情について考察する.
  • ―― Jayatirtha作Tattvaprakasika, Vaisesika批判部に見られる問題――
    池端 惟人
    原稿種別: 本文
    2014 年 62 巻 3 号 p. 1151-1155
    発行日: 2014/03/25
    公開日: 2017/09/01
    ジャーナル フリー
    Madhva(1238-1317)は別異論(Dvaita)を提唱したことで他のVedanta学派と区別される.彼が説く<五つの別>(pra-panca)には,Brahmanに同一視されるVisnuと他の個我・物質との別だけでなく,非精神的事物(jada)相互の別も数えられる.この点において,Vaisesikaの説く多元的実在論はDvaitaにとって完全な否定対象たり得ないはずである.それを示唆するかのように,Madhva派の学匠,Jayatirtha (1365-1388)は,MadhvaのBrahmasutra註への複註Tattvaprakasika中,Vaisesika批判部において,<Visnuの美質の無限性>という特別な目的を設定している.<世界の原因>に関する諸学説を否定する最中,他の箇所と明確に異なる,このような目的改変を行った背景には,Madhva派とVaisesika説との同類性,すなわち,主宰神を動力因(nimittakarana)と考える近接性があると考えられる.しかしながらVaisesika説の考える主宰神には現実的・論理的限界があることも彼らは察していた.同じく主宰神動力因説を認めながらも,Vaisesikaの立てる有限の主宰神に,すべての不可能を可能にする属性を<上乗せ>することで,真の世界原因たらしめる.これこそが<世界の原因>をめぐる一連の議論の中で唐突に<神の能力の無限性>を議題とした理由と考えられる.
  • 細野 邦子
    原稿種別: 本文
    2014 年 62 巻 3 号 p. 1156-1161
    発行日: 2014/03/25
    公開日: 2017/09/01
    ジャーナル フリー
    本稿は,Nyayavarttika (NV)の論理と述語論理の相違を,前者を後者を用いて定式化することにより検討した.その相違は,16句因のうちの第6句,第12句および第15句に基づく推論を'Hp, ∀x (Hx→Sx), ∀x(Hx→¬Sx),…&vdash;'と定式化することにより,以下のように見出される.(1)述語論理において上記の推論が妥当であるのに対して,NVの論理において,第6句および第12句に基づく推論は非妥当であり,第15句に基づく推論は妥当である.この不一致を説明することは今後の課題としたい.(2)述語論理において3つの前提が意味論的に矛盾するのに対して,NVの論理においてそれらは矛盾しない.この相違を次のように説明することが可能であろう.述語論理において推論が一つの議論領域において行われるのに対して,NVの論理において推論は帰納領域および主題領域という2つの領域において行われる.
  • ――新ニヤーヤの言語理論における文の有意味性について――
    岩崎 陽一
    原稿種別: 本文
    2014 年 62 巻 3 号 p. 1162-1166
    発行日: 2014/03/25
    公開日: 2017/09/01
    ジャーナル フリー
    文を構成する諸々の語が,全体としてひとまとまりの観念を表示するために互いの存在を要請し合うこと,すなわち<期待>(akanksa)を有することは,文の構文的な正しさを決定するものであり,それは文が有意味であるための条件である新ニヤーヤの言語理論にこのような考えの示唆が見られることが,Matilal, K. Bhattacharya, Billimoriaらによって指摘されている.これはJagadisa(17c.)らの文献により裏付けられるが,Gangesa(14c.)らの文献では,<期待>に加えて必要な有意味性のもうひとつの条件,<本来的適合性>(svarupayogyata)というものが言及されている.<本来的適合性>を欠いた文とは,構文論的欠陥や形態論的欠陥に依るのではなく,或る観念を表示することが「本来的にできない」文をいっているものと考えられる."ghatah karmatvam anayamam krtih"がその代表例である.<本来的適合性>の概念はやがて<期待>概念の中に回収され,後期新ニヤーヤの文献では稀にしか言及されない.本稿は,これまで研究されてこなかったこの<本来的適合性>という概念の概要を文献にもとづいて示し,上掲の先行研究において行われてきた,文の有意味性を新ニヤーヤの言語理論がどう扱うかという問題の検討をさらに一歩進めようとするものである.
  • ―― gabbhassa avakkantiとgandhabba ――
    名和 隆乾
    原稿種別: 本文
    2014 年 62 巻 3 号 p. 1167-1172
    発行日: 2014/03/25
    公開日: 2017/09/01
    ジャーナル フリー
    Dighanikaya 22 (III p.305, II.6-9)に列挙される誕生表現の一つとして,okkanti(降下)がある.この語が含意する内容にはいくつかの可能性が考えられるが,その一つにgabbhassa avakkanti/gabbhe okkanti/gabbhavakkantiという入胎を表す表現が挙げられる.従来,これらに対する翻訳語は一定していなかった.そこで本稿は各語の具体的用例を考察し,それぞれ前二者は「胎児の降下」「母胎への降下」と解されるべきであり,gabbhavakkantiに関しては「胎児の降下」または「母胎への降下」という両方の理解の可能性があることを示した.また本稿は,Dighanikaya 28 (IV p.103, 11.3-19)に現れるgabbhavakkantiという語が,ava-kramの文字通りの意味と考えられる「降下する」にとどまらず,入胎時〜出胎時の動作までをも含意していることを指摘した.これは,入胎〜出胎という一連の動作のうち,最初の動作であるava-kramを示すことで,一連の動作の完了までを含めた表現であると考えられる.本来「降下する」を意味すると考えられるava-kramが,入胎〜出胎までの動作をも含意する場合があるということは,当時「誕生」がどの様に理解されていたかを考える上で興味深い.次いで本稿は,Majjhimanikaya 38 (I p.265, 1.35-p.266, 1.6), 93 (II p.157, 11.1-3)に説かれる,gabbhassa avakkantiの成立に必要とされる3条件について考察した.その3条件の一つは「gandhabbaが控えた状態となる(gandhabbo ca paccupatthito hoti)」こととされるが,従来の殆どの研究はこのgandhabbaを入胎者(つまりgabbha)と看做していた.しかし本稿は,従来の研究の諸根拠を検討し,それらが根拠たり得ていないことを指摘した.そして,当該文脈に用いられる動詞表現の考察から,当該文脈においてgandhabbaは,入胎者と解されていなかったと結論づけた.なお,本稿は資料範囲をほぼパーリ聖典に限定している.というのも,本稿のテーマはいわゆる中有説とも関わりがあるが,中有を認めない上座部大寺派所伝のパーリ聖典と,中有を認める他部派の聖典とを併用することは,方法論的に適切でないと判断した為である.
  • 呉 娟
    原稿種別: 本文
    2014 年 62 巻 3 号 p. 1173-1178
    発行日: 2014/03/25
    公開日: 2017/09/01
    ジャーナル フリー
    ブッダ,マハーヴィーラと同時代のマガダ国王として,アジャータシャトル/クーニカは,古代インドの仏教徒,ジャイナ教徒のいずれにとっても重要な人物であった.仏教とジャイナ教の資料比較においても,アジャータシャトル/クーニカがいかにして父親を幽閉し死に至らしめたかという物語については,既に仏教ならびにジャイナ教白衣派所伝の同話の平行関係に関する手厚い議論がなされている.しかしながら従来の研究が,この人物にまつわる他の物語群に充分な注意を払ってきたとは言いがたい.本稿は,仏教・白衣派両ヴァージョンにおけるアジャータシャトル/クーニカの,従来ほとんど触れられてこなかった物語,すなわち復讐心を抱く聖者/苦行者としての彼の前生の物語についての,予備的な調査の報告である.本稿では先ず仏教所伝の二ヴァージョン,すなわち『根本説一切有部律』「衣事」および漢訳『大般涅槃経』(Taisho Nos. 374, 375)所収話を,次いで白衣派所伝の三ヴァージョン(ジナダーサ『アーヴァシュヤカ・チュールニ』,ハリバドラ『アーヴァシュヤ・ティーカー』,ヘーマチャンドラ『トリシャシュティシャラーカープルシャチャリタ』)を検討する.本稿は仏教・ジャイナ教のアジャータシャトル/クーニカ前生譚の比較を通して,アジャータシャトル/クーニカの今生の父への敵意を,彼の前生にその因が見いだしうる一種の報復として,業の観点から説明するという,両ヴァージョンの注目すべき平行を明らかにする.この平行は,アジャータシャトル/クーニカを物語る説話伝承が仏教徒とジャイナ教徒に共有されていた可能性を示唆するものである.さらに本稿は,仏教・ジャイナ教両ヴァージョン間の,ビンビサーラ/シュレーニカへの態度における明白な相違について言及するが,この相違の背景解明は別稿に譲るものとする.
  • ―― AvadanakalpalataとAsokavadanamalaを中心に――
    山崎 一穂
    原稿種別: 本文
    2014 年 62 巻 3 号 p. 1179-1184
    発行日: 2014/03/25
    公開日: 2017/09/01
    ジャーナル フリー
    Ksemendra (ca. 990-1066)の仏教説話集Avadanakalpalata第72章及び11世紀以降にネパールで編纂された説話集Asokavadanamala第二章はアショーカ王の仏教帰依に大きな役割を果たしたウパグプタ長老の伝記を扱っている.両伝本所収のウパグプタ長老伝は「遊女ヴァーサヴァダッターの物語」と「ウパグプタのマーラ教導物語」から構成される.本論では前者を取り上げ,両伝本が仏教に対しどのような態度をとっているかという問題を考察した.同考察の前段階としてKsemendra本の説話材源がDivyavadana,漢訳『阿育王伝』,『阿育王経』,『賢愚経』『付法蔵因縁伝』所収の並行伝本の何れの祖形に求められるかを検討した.Ksemendra本は『阿育王経』所収話のみと共有する説話要素を保持し,Ksemendraが『阿育王経』の祖形*Asokarajasutraの祖形に近い伝本に基づいて物語を著したことが推定される.AvadanakalpalataとAsokavadanamala所収話については次のような仏教観の違いが確認され得る.(1)Ksemendra本は仏教教義を単なる物語脚色の素材に用いているに過ぎない.(2)他方Asokavadanamalaは大乗仏教を宣伝する意図が顕著であるが,独創性を全く欠いている.以上からKsemendraの著作姿勢は11世紀頃のカシミールにおけるヒンドゥー教徒の仏教観を反映していること,Asokavadanamalaは仏教及び仏教徒の創作活動が衰退し,仏教徒が民衆布教に躍起になっていた時期に著された作品であることが推定される.
  • 鈴木 隆泰
    原稿種別: 本文
    2014 年 62 巻 3 号 p. 1185-1193
    発行日: 2014/03/25
    公開日: 2017/09/01
    ジャーナル フリー
    かつて論じたように,『法華経』は仏舎利塔(ストゥーパ)と仏舎利なしの塔(チャイトヤ)を明確に区別した上で,『法華経』実践の場にストゥーパではなくチャイトヤを起てよと繰り返し命じている.『法華経』の実践とチャイトヤ建立によって,その場に如来の全身が実現されるため,仏舎利を納めたストゥーパの建立は不要であり,むしろ,『法華経』実践の場に建立されたチャイトヤこそが真のストゥーパであると主張しており,ここにわれわれは,「『法華経』の実践+チャイトヤ建立=真のストゥーパ建立=如来の実現」という<『法華経』のブッダ観>を確認することができる.実現される如来は,「如来寿量品」を受け継ぐ「分別功徳品」においては一人称視点で「私」(=話者である釈尊)と記され,『法華経』の実践とチャイトヤ建立を通して実現し感得される如来が,他ならぬ釈尊その人であることが表明されている.『法華経』においては,「『法華経』の実践」と「チャイトヤ建立」は不可分に結びつきながら,永遠の釈尊を感得するための手段,方法ともなっていたのである.ところが「薬王品」は,仏滅後にチャイトヤの前で焼身することと,『法華経』を受持することを勧奨している.もしこれが「ストゥーパ」であったとしたら,"仏滅後にストゥーパを供養したいなら焼身しなさい.でも,『法華経』を受持すればその必要はない"という,「ストゥーパ崇拝から経典受持へ」という,初期大乗経典に共通する文脈の上に置くことができるが,チャイトヤを使用する「薬王品」はその文脈からも,また,『法華経』の中心テーマの一つである永遠の釈尊を巡る文脈からも逸脱していることになる.以上の点に鑑み,『法華経』同時成立説という想定は困難だと思われる.また,現在までに『法華経』の教説に基づいて起てられたチャイトヤは,インドでは一つも確認されていない.過去には存在していたが残らなかったのだ,と想定することも不可能ではないが,「薬王品」の制作者たちですら,『法華経』の教説に基づいて起てられたチャイトヤを見ていなかった可能性が非常に高い以上,「『法華経』実践の場に起てられたチャイトヤなど,インドにはそもそも存在しなかった」と考えた方が自然である.「薬王品」における「チャイトヤ」の記述は,「『法華経』同時成立説」に対する反証の一つとなるのみならず,インドにおいては,『法華経』の教説に基づいた修行実践は実質的には「書写行」のみに限られ,『法華経』はテクストとしてのみ存在していたことの傍証とも考えられる.
  • 日野 慧運
    原稿種別: 本文
    2014 年 62 巻 3 号 p. 1194-1198
    発行日: 2014/03/25
    公開日: 2017/09/01
    ジャーナル フリー
    捨身飼虎もしくは婆羅門(又は王子)本生話として知られる,北伝大乗仏典に独特の本生話には,複数の話型が存在する.そのうち摩訶薩埵王子が母虎と七疋の仔虎に捨身するというヴァージョンは,他仏典や図像にも数多く表れる著名なもので,<金光明経>がそのオリジナルとして示されることが多い.本稿では,広く伝播した漢訳『金光明経』『金光明最勝王経』等に見える同話と,梵語原典所収話とに異同があることを紹介し,とくに仔虎の疋数を漢訳では七疋とするのに対して梵本および蔵本では五疋とする点に着目する.その上で先行研究に依りつつ他文献に表れる同話諸ヴァージョンを概観し,仔虎を五疋とする並行話が存在しないことを確認する.これらをもとに,本経のいわゆる原型urtextに収められた同話がいかなるものであったか,そこから伝承の中でいかに変容したかを推察することによって,本経諸伝本の伝承系統に関する若干の考察を試みる.
  • 清水 俊史
    原稿種別: 本文
    2014 年 62 巻 3 号 p. 1199-1205
    発行日: 2014/03/25
    公開日: 2017/09/01
    ジャーナル フリー
    本稿は,有部における業と与果との関係について考察する."如何にして過去に落謝した業が未来に果を招くことが出来るのか"という疑問に関する説一切有部の理解について,「与果・取果の教理のみによって説明され,間に何ら媒介者を必要としない」という説が現在の学界において定説とされている.すなわち,業が完成されたその瞬間に,その業が未来にどのような果を引くか予約され(取果),この業は過去に落謝していても予約された果(異熟)を与える能力があるとされる(与果).ところが上流不還の事例を検討すると得されている業と,得されていない業との両者があった場合,得されている業が優先的に異熟を結ぶと説かれており,得が与果に影響を与える用例が認められている.従って業と果との関係は次のように結論付けられる.1.業と果の関係は三世実有説によって説明される.業は過去に落謝しても実有であるから,未来に果を結ぶことができる.2.しかし,得されている業と,得されていない業との両方があった場合,得されている業が優先的に与果する事例が説かれている.3.ただし,順後次受業の定業は,たとえ得されていなくても与果する事例が認められている.したがって,業の力が強力であれば,必ずしも得されていなくても異熟を生み出すことが可能である.
  • 石田 一裕
    原稿種別: 本文
    2014 年 62 巻 3 号 p. 1206-1211
    発行日: 2014/03/25
    公開日: 2017/09/01
    ジャーナル フリー
    私が本稿で問いかけるのはSautrantikaを経量部と訳すこと,あるいは理解することは,正しい理解であろうか,という問題である.これに対する答え,すなわち本稿の結論をいえば,Sautrantikaを経量部と理解することは誤りである.これに対する反論としてヤショーミトラがSautrantikaを「経を量とし,論を量としない人々」と定義した点があげられる.しかし,この定義を抜きにして,我々はSautrantikaが「経を量とする人々」という意味であると考えることができるであろうか.本稿ではこれを考えるために,玄奘訳の検討とパーリ聖典に見えるSuttantikaの考察を行なった.まず,玄奘の訳語を検討すると,AKBhにあらわれるSautrantikaは全て「経部」と訳されている.また『異部宗輪論』にあらわれる「経量部」は,加藤純章氏が「Sutrantavada」であると指摘している.これは玄奘がSautrantikaを漢訳するに当たり,特別に「量」の語を入れる必要性を感じていなかったことを示している.次に,パーリ聖典,特にVisuddhimaggaとVinaya PitakaにあらわれるSuttantikaを考察した.考察の結果,SuttantikaはAbhidhammikaやVinayadharaと共に用いられることが多く,経の専門家を意味する語であると推測できることが明らかになった.これは上座部の中に,経・律・論それぞれの専門家がいたことを示唆するものであり,他の部派においてもこのような状況があったと類推が可能であり,有部におけるSautrantikaもそのような経典の専門家と考えることができる.そうであれば,Sautrantikaが『大毘婆沙論』の編纂以前に存在したであろうし,同書にあらわれる「経部」をSautrantikaであるとみなすことができよう.従来,Sautrantikaの存在を『倶舎論』編纂の頃からとするか,『大毘婆沙論』の編纂まで遡れるかが議論されてきたが,これはSautrantikaが『大毘婆沙論』の編纂以前に存在する可能性を示すものである.有部内の経典の専門家がいつからSautrantikaと称されていたかはわからないが,後にSautrantikaと呼ばれるようになる集団は,『大毘婆沙論』の編纂以前に存在したと考えることができよう.
  • ――普光『倶舎論記』巻六における記述の再考――
    横山 剛
    原稿種別: 本文
    2014 年 62 巻 3 号 p. 1212-1216
    発行日: 2014/03/25
    公開日: 2017/09/01
    ジャーナル フリー
    塞建陀羅の記した『入阿毘達磨論』は有部アビダルマの煩雑な教理を纏めた優れた撮要書として重視される.同論はアビダルマ後期に属することが指摘されるが,更に踏み込めば,有部の代表論書である『倶舎論』との先後関係が問題となる.『入阿毘達磨論』の結語は過度な分析や論争により教理が煩雑化することへの危惧を述べるが,同論が『倶舎論』以前の成立であれば,以上は『婆沙論』等の先行する有部論書に向けられたものとなり,『倶舎論』以後の成立であれば,同論における世親の有部批判を強く意識していることが予想される.このように,二論書の先後関係は『入阿毘達磨論』の成立に関する本質的な問題に結びつく.しかし,撮要書である『入阿毘達磨論』は有部の標準的な教義により構成されるため,先後関係の決定は容易ではない.一方,玄奘門下の普光が記した『倶舎論記』は,倶有因のふたつの定義(互為果説・同一果説)を解説する中で,「『入阿毘達磨論』は両定義を示すが,同論は『倶舎論』以後の成立であり,互為果説は世親に学んだ」という倶舎師の説を紹介する.教理に基づいて二論書の先後関係を議論するのが難しい状況にあっては,『光記』の一節が有する価値は大きい.舟橋水哉『入阿毘達磨論講義』(大谷大学安居事務所,1940)は,互為果説が『倶舎論』に初出でないことを理由に,『光記』の記述の有効性を否定する.本稿は舟橋[1940]の否定を再検討し,先後関係に関する当該の一節の有効性について再考察することを目的とする.まずは『倶舎論』における倶有因の定義とそれに対する『光記』の注釈を確認し,当該の一節が述べられる文脈と普光の意図を明らかにする.その後に,舟橋[1940]の否定の問題点を指摘し,『光記』の伝える先後関係が何らかの伝承に基づく可能性を指摘する.さらに『入阿毘達磨論』の倶有因の定義における蔵漢訳の差異に着目し,当該の一節が普光自身の解釈を含んでいる可能性を指摘したい.
  • 赤羽 律
    原稿種別: 本文
    2014 年 62 巻 3 号 p. 1217-1224
    発行日: 2014/03/25
    公開日: 2017/09/01
    ジャーナル フリー
    Bhaviveka (ca. 490/500-570)によって,Nagarjuna (ca. 150-250)の『根本中論』(Mulamadhyamakakarika)に対する注釈書として書かれたPrajnapradipaは,サンスクリット原典が散逸し,今日我々が目にすることができるのはチベット語訳と漢訳『般若灯論』のみである.しかし,月輪賢隆氏によって漢訳の不備が指摘されて以来,漢訳は殆ど研究対象として扱われてこなかった.本稿では,月輪氏の指摘を紹介するとともに,第8章の議論の一部を採りあげ,漢訳とチベット語訳の対比を元に,月輪氏の指摘を確認しつつも,漢訳が必ずしも不備ばかりでないことを示す.また,『根本中論』の偈を推論式に構成して注釈する際に,チベット語訳に於いて見出される推論式構成要素の説明部分が一貫して漢訳『般若灯論』に欠落している特徴を指摘し,漢訳とチベット語訳それぞれの元になったサンスクリット原本にそもそも差があった可能性を提示する.加えて,反論と答論が示され,その反論の一部が漢訳に見出されない場合,その見出されない反論部分に対する答論部分もまた綺麗に欠落していることがしばしば見出されることから,仮に両訳の元となったサンスクリット原本が同一であり,漢訳者が議論を一部省略したと想定するとしても,翻訳者Prabhakaramitraが議論を踏まえた上で省略した可能性が高いことを明らかにした.
  • ――第22章第11偈注釈の用例について――
    新作 慶明
    原稿種別: 本文
    2014 年 62 巻 3 号 p. 1225-1229
    発行日: 2014/03/25
    公開日: 2017/09/01
    ジャーナル フリー
    戯論(prapanca)は,中観派においてもっとも難解なことばの一つである.ナーガールジュナは,Mulamadhyamakakarika(『中論』)第18章第5偈において業と煩悩の起源に分別を,さらにその分別の根元に戯論を見ることはよく知られている.本稿では,『中論』の注釈書の一つである,バーヴィヴェーカ作Prajnapradipa(『般若灯論』)およびアヴァローキタヴラタ作Prajnapradipatika(『般若灯論広注』)第22章第11偈注釈に説かれる戯論の用例について検討する.当該箇所では,世俗において「空」という戯論によって説くことが勝義を了解させるための方便(*upaya)であると,そして世俗において「空」・「不空」・「両者」・「両者でない」という戯論によって説くことは必要であると説かれている.また,「両者でない」という戯論は勝義を了解させるために表現されるべきものであり,克服されるべき戯論は,「両者でない」とは別の「空」・「不空」という戯論であるとも説かれている.一方,勝義(paramartha)の複合語解釈が説かれる『般若灯論』第24章第8偈注釈において,「不生などの教説」や「聞・思・修より生じる智慧」は,勝義を了解させるための方便(*upaya)であると説かれている.そして,『般若灯論広注』は,それらを言語協約的勝義諦(*samketika-paramarthasatya)であると説明する.従って,『般若灯論』第22章第11偈注釈における戯論は,その「不生などの教説」に相当するような肯定的な意味をもつものであるということになるのである.『中論』第18章第5偈においては,煩悩の根元として否定的なものでしかない戯論であるが,『般若灯論』第22章第11偈注釈においては単に否定的なものとしてではなく,世俗において説かれることが必要な肯定的なものとしても説かれているのである.
  • ―― 「簡別立宗」(*pratijnavisesana)について――
    何 歓歓
    原稿種別: 本文
    2014 年 62 巻 3 号 p. 1230-1235
    発行日: 2014/03/25
    公開日: 2017/09/01
    ジャーナル フリー
    『大乗掌珍論』は玄奘(600/602-664)が翻訳したバーヴィヴェーカ(清弁,490-570頃)の代表作の一つである.バーヴィヴェーカは「掌珍比量」と呼ばれる三支から成る論式によって中観派の空の証明を試みた.その中で使用された「真性」(*tattvatas)という表現は論証の中の「主張命題」(*pratijna)を限定する語で,論理的に重要な意味と役割が与えられている.すなわち,「簡別立宗」(*pratijnavisesana)と玄奘が翻訳した意味と役割である.また,基の『因明入正理門論疏』などに言及されるように,玄奘は,インドの瑜伽行派が唯識説を証明する際に用いた「唯識比量」と呼ばれる三支論式についても,バーヴィヴェーカと同様に,「真故」(*tattvatas)という語が「主張命題」(*pratijna)を限定しているという.本論文は,基が伝えた玄奘による「真故」の用法,すなわち,「簡別立宗」の意味と役割がバーヴィヴェーカの「真性」に遡ることを例証した.ディグナーガ(480-540頃)の著書には「簡別立宗」を見出すことはできない.これに対して,バーヴィヴェーカ作・玄奘訳の『大乗掌珍論』と,サンスクリットテキストが伝承される同じバーヴィヴェーカ作の『中観心論』,およびチベット語訳にのみ伝わるその注釈『論理の炎論』では,多くの論証式においてtattvatas/paramarthatasあるいは「真性」の語が主張命題に限定を加えている.すなわち,これらの同義の限定語は,ディグナーガが指摘した主張命題の「現量相違」と「世間相違」を避け,ディグナーガが規定した論理学上のルールに従った議論を展開するために,バーヴィヴェーカが採用した特別な論理的術語であることが分かる.本稿は,媒介者としてのディグナーガの論理学を通して,バーヴィヴェーカと玄突との学問上の,とくに論理学上の関係に新たな考察を加えた.
  • 米澤 嘉康
    原稿種別: 本文
    2014 年 62 巻 3 号 p. 1236-1242
    発行日: 2014/03/25
    公開日: 2017/09/01
    ジャーナル フリー
    *Laksanatikaとは,その写本を初めて紹介したRahula Sankrtyayanaが付した仮題であり,中観論書に対するサンスクリット語ならびにチベット語のノートが含まれている.その写本は,全18葉,未完であり,ほとんどがチベットのウメ字で書写されている.本稿では,最初に,チベット人のDharmakirti (Dharma grags)が,*Laksanatikaの著者であると同定し,その年代を11世紀後半から12世紀前半と想定している.次に,*Laksanatikaには,以下のテキストが含まれることを報告している.1.Prasannapada (Pras)サンスクリット語ノート(1b1-7a4) 2.Prasチベット語ノート(7a4-9b9) 3.Madhyamakavatarabhasyaサンスクリット語ノート(10a1-14a7) 4.Vaidalyaprakaranaチベット語ノート(14a7-b3) 5.Catuhsatakatikaサンスクリット語ノート(15a1-18b7) 6.未比定のサンスクリット語ノート(18b7-8.ただし,14a1-3のテキストと同一のテキストも含まれる)そして,上記のうち,本稿で初めて明らかになった4.のテキストを紹介している.最後に,この*Laksanatikaの価値について点描されている.すなわち,註釈されている元のテキストに対する批判的研究の重要な資料となりえるばかりでなく,チベット仏教後伝(phyi dar)期における中観論書導入の証左となっていること,さらには,チベット文字の書体学にとっても,検討すべき資料となることなどである.
  • ―― agotrasthaの救いを中心に――
    岡田 英作
    原稿種別: 本文
    2014 年 62 巻 3 号 p. 1243-1247
    発行日: 2014/03/25
    公開日: 2017/09/01
    ジャーナル フリー
    初期瑜伽行派の基本的論書である『瑜伽師地論』(Yogacarabhumi)において,般涅槃の到達可能性や菩提の区別に関しては,主に種姓(gotra)という語を通して議論される.そのような議論のなかで,agotrasthaという語は種姓に立脚した者(gotra-stha)の否定概念であり,agotrasthaという者は,菩提の獲得に関して資質がないと規定され,菩薩の成熟の対象となり得,善趣へ赴くために成熟させられるが,菩薩の教化対象から除外される.この者には菩提を獲得しあるいは般涅槃へ到達する可能性は全くないのか.本論文では,『瑜伽師地論』のなかの『菩薩地』(Bodhisattvabhumi)全体を踏まえつつ,菩薩による衆生の教化という点に焦点をあて,第2章「発心品」所説の菩薩の発願からagotrasthaの救済可能性を提示し,次に第18章「菩薩功徳品」の教説から,菩薩が教化対象を判別する基準を見出すことで,agotrasthaの救いに関して考察する.まず「発心品」所説の菩薩の発願において,菩薩は衆生利益として一切衆生を涅槃へ到達させるか如来の智を獲得させようとすることに依拠して,菩薩がagotrasthaを救い得ることを示し,次に「菩薩功徳品」の教説から,種姓を直接知覚できない菩薩にとって,究極的な苦から脱する可能性こそが,菩薩が教化対象を判別する基準であることを指摘する.従って,以上のことから,菩薩の教化対象として「いまは」除外されるagotrasthaは,菩薩による成熟によって善趣に赴いたとしても,「いつかは」教化対象のうちに数えられ,その際の教化対象を判別する基準とは,実質的に究極的な苦から脱する可能性であると言える.
  • ―― 「五識身相応地」および「意地」において――
    高務 祐輝
    原稿種別: 本文
    2014 年 62 巻 3 号 p. 1248-1252
    発行日: 2014/03/25
    公開日: 2017/09/01
    ジャーナル フリー
    瑜伽行唯識学派の認識理論といえば,独自に発展した八識説が関心を集めてきた.一方,それ以前の段階における初期の瑜伽行派に関して,インド仏教で伝統的な六識の理論をどのように理解していたかについては,あまり注目されず曖昧な点も多い.『瑜伽師地論』冒頭の「五識身相応地」「意地」は,その解明のための重要な手がかりである.両地における一連の認識理論に関して,複数の認識が同時に生起すること(認識倶起)を認める立場であったか否かについては,いくつかの研究が「意地」の一節(na casti pancanam vijnanakayanam saha dvayoh ksanayor utpattih)を根拠に端的に考察する.しかし,山部氏はそれらが基づく従来のテキストに問題があることを指摘し,訂正案(saha→anusahitam)を提示された.この訂正案は単一写本を参照せずその他の根拠に拠ったものだが,今回筆者はそれを参照し,訂正案が支持されることを確認した.これに従えば当該箇所は,認識の倶起については言及せず認識の継起を問題にしている文言になる.よって認識倶起の問題に関する従来の判断は根拠を欠き,角度を変えた検討が必要となる.本稿の目的は,上記訂正案に従い,こうした事情を踏まえたうえで両地が認識倶起を認める立場であったか否かを再度検討し直すことである.そして,認識過程における各瞬間の心についてその可能性を検討し,これを認めない立場であると結論づけた.すなわち初期瑜伽行派は,認識倶起の可否については有部系アビダルマ(二心並起を否定)と同様の立場を取りつつ,念頭にある最大の関心としては五識と意識の継起が問題だったのである.これはテキスト訂正に基づき,より明確化した特徴である.今回の考察は,こうして浮かび上がった初期瑜伽行派の認識論的特徴とその背景及びその後の展開への流れについて,今後議論するための予備的考察を兼ねている.
  • ――チベット撰述文献の理解から――
    松田 訓典
    原稿種別: 本文
    2014 年 62 巻 3 号 p. 1253-1259
    発行日: 2014/03/25
    公開日: 2017/09/01
    ジャーナル フリー
    Mahayanasutralamkara(『大乗荘厳経論』)は,その章構成の理解の仕方に関してSylvain Levi等によるサンスクリット原典の校訂,チベット語訳,漢訳,注釈書類で若干の異同が見られる.そもそも『大乗荘厳経論』自体の構成は,『瑜伽師地論』「菩薩地」の構成を受け継いだとされているが,その内容は換骨奪胎されたものとされており,その具体的全貌に関しては十分な検討がなされたとは言い難い.全体としてはさながら「パッチワーク」の感を呈していると評されるように雑然とした印象を与えるものとなっている一方で,たとえば,第11章に見られる四十四作意等,部分的に論全体の構成と対応するような箇所が複数指摘されており,重層的な構造をもつことがうかがえる.こうした問題は,本論(偈頌部分と散文注釈部分)の著者問題や成立の過程とも深く関連しうる問題であるため,まずは多方面からの詳細な検討を踏まえることが必要となると考えられる.なお,こうした問題に関してはこれまで宇井伯壽,小谷信千代,早島理,袴谷憲昭といった研究者により様々な指摘がなされている.本論文では,その一つの手がかりとして,近年カダム全書として出版されたロデンシェーラプ(rNgog lo tsa' ba Blo ldan shes rab, 11世紀)によるmDo sde rgyan gyi don bsdus(『荘厳経論要義』)を概観し,本論の章構成に関する基本的な理解を検討した.その理解にしたがえば,本論には本来想定される教示あるいは学習の一連の流れがあり,それを元に論述の構成がなされた,と考えられる.本論がもつ重層的な構造も,章同士のつながりというよりも,同じ一連の流れに基づくものと考えた方が自然であろうと思われる.
  • ―― SAVBh ad MSABh XVIIIにおける経典からの引用の重要性について――
    岸 清香
    原稿種別: 本文
    2014 年 62 巻 3 号 p. 1260-1266
    発行日: 2014/03/25
    公開日: 2017/09/01
    ジャーナル フリー
    スティラマティに帰せられるSutralamkaravrttibhasya (SAVBh)は,ヴァスバンドゥ著作として知られるMahayanasutralamkarabhasya (MSABh)の註釈書である.SAVBhはMSABhに対して詳細な註釈をつけているが,その特徴の一つが大乗経典からの引用を多用する点にある.SAVBh ad MSABh XVIIIでは,中心テーマである三十七菩提分法の分析の前項目である資糧の分析に対しても,『大宝積経』からの引用を用いて,三十七菩提分法という修行方法が大乗の教説として存在することを強調する.さらに三十七菩提分法を解釈するにあたって,三十七菩提分法を構成する一々の修行徳目に対して,『大方大集経』「無尽意品」からの引用を用いて解釈している.特に四念処の解説にあたっては,二種の点に対して経典引用を用いることにより,声聞よりも菩薩が優れていることを説明している.本論文では,これらSAVBh ad MSABh XVIIIにみられる経典からの引用を詳しく検討することにより,いかように大乗菩薩の修行方法としてSAVBhにおいて三十七菩提分法が理解されているのかを明らかにするものである.
  • 倉西 憲一
    原稿種別: 本文
    2014 年 62 巻 3 号 p. 1267-1271
    発行日: 2014/03/25
    公開日: 2017/09/01
    ジャーナル フリー
    インド後期密教の文献であるGuhyavaliはわずか25偈からなる小品である.このGuhyavaliおよび著者Daudipadaはこれまで全く研究されてこなかった.Guhyavaliは短いながらも,インド後期密教の重要な教理「自加持」をメインテーマとしている.本稿では,まずGuhyavaliを引用する文献のリストを挙げる.中でも,10世紀頃のAdvayavajraや13世紀のRatnaraksitaなど著名な学僧が著作に重要な教証として引用しており,また顕密両方にまたがる教理的アンソロジーSubhasitasamgrahaにも五偈収録されていることから,Guhyavaliの重要性はインド後期密教史の中である程度認知されていたことがわかる.それはむしろ,当時の密教者たちが25偈という小品を記憶することで「自加持」の教理を学べる事実にGuhyavaliの重要性・便利さを見出したのであろう.続いて,Daudipadaという名の意味について推論を展開する.アパブゥランシャ語の可能性もあるが,サンスクリット語のdudi(亀)が変化した形とするならば,亀人という意味になる.Guhyavaliを引用するPadminiはJadavipadaという別名やJadaというタイトルを彼の名前に付している.Jadaは「愚鈍」「動きの鈍い」という意味である.もしもJadaviがJada+vinであって,前述のdudi(亀)から派生したDaudiと同義語であるならば,daudiがサンスクリット語のdudiから派生した語と考えられていた可能性がある.
  • 志賀 浄邦
    原稿種別: 本文
    2014 年 62 巻 3 号 p. 1272-1279
    発行日: 2014/03/25
    公開日: 2017/09/01
    ジャーナル フリー
    多くのジャイナ教論書に仏教論理学者たちの見解が紹介・引用されていることは周知の事実であるが,ダルマキールティの注釈者の一人であるアルチャタ(ca. 710-770)の見解もまた例外ではない.本稿は,ジャイナ教論書において「アルチャタ」という名前とともに引用あるいは紹介されているパッセージを収集し,彼自身の著作Hetubindutika(以下HBT)の所説との比較を通して両者のテキストの異同について考察することを目的としている.ジャイナ教論理学者がアルチャタの見解を引用する場合,一般的にはHBTのパッセージをリテラルに引用する場合が圧倒的に多いが,アナンタヴィールヤによるSiddhiviniscayatika(以下SVinT)においては,例外的にHBTからのリテラルな引用とそうでないものが混在しており,アルチャタという名前を伴ってその説が引用されていながらも,そのパッセージがHBTに見いだせない例も多く存在している.当該テキストを比較した結果,アナンタヴィールヤは,HBやHBTの記述を参考にしつつも,要約したり言い換えたりしながら,アルチャタの見解を再構築して紹介している可能性が高いことが明らかになった.アルチャタの失われた著作からの引用であることも考えられるが,その可能性はそれ程高くないであろう.しかしながら,SVinTに見られる「アルチャタ説」の中にはHBTの記述内容と異なるものも含まれているため,アナンタヴィールヤがHBTのみならず,アルチャタの他の著作を参照していた可能性は残る.そしてSVinTにおいて紹介される「アルチャタ説」の多くは,HBTには見られない見解として注目されるべきである.そこでは,HBTで行われていた複雑で難解な議論が明快かつ簡潔な形で紹介されていることも多く,アルチャタの思想を新たな観点から理解しようとする際に資するところが大きい.
  • 渡辺 俊和
    原稿種別: 本文
    2014 年 62 巻 3 号 p. 1280-1286
    発行日: 2014/03/25
    公開日: 2017/09/01
    ジャーナル フリー
    バーヴィヴェーカ(ca. 490-570)はMadhyamakahrdayakarika 6.25でサーンキヤ学派によるプラダーナの存在論証に言及し,それを批判している.サーンキヤ学派によるプラダーナの論証はSankhyakarika 15,そしてSK以前に成立したとされるSastitantraにも見られる.従来,MHKで列挙される5つの証因は,第2の証因"parinama"を除き,SKとSTと共通するものと見なされていた.本稿では上記3つの論書で挙げられる証因を,Tarkajvalaも利用しつつ比較することによって,MHKでのプラダーナ論証が,(1)SKで挙げられる"karanakaryavibhaga"とSTでの"karyakaranabhava"との間には表現上および内容上の違いがあり,MHKは後者を用いている.(2)SKの諸注釈による"avibhagad vaisvarupyasya"の説明は,STが"vaisvarupyasya (-avibhaga)"に行った説明とは異なるが,TJによる,MHKでの第5の証因"vaisvarupya"の説明は,SKの諸注釈によるそれよりも,STでのものに近い.という2つの点から,SKではなく,STに見られるそれにより近いことを明らかにした.
  • 三代 舞
    原稿種別: 本文
    2014 年 62 巻 3 号 p. 1287-1292
    発行日: 2014/03/25
    公開日: 2017/09/01
    ジャーナル フリー
    DharmakirtiがPramanavarttikaのPramanasiddhi章3cd偈で述べた「知は,取捨されるべき対象に対する行動(pravrtti)の主要因であるから」という文言に従って,彼の後継者たちは,「正しい知たるpramanaは,認識者たる人を行動させるもの(pravartaka)である」という共通見解を有している.しかし,pravartakaが如何に機能するかという点に関する理解は必ずしも一定しない.そこで本稿では,無分別知たる知覚(pratyaksa)がどのように人に行動を起こさせるのか,という点に問題を絞り,Dharmakirtiの見解を確認した上で,DharmottaraとPrajnakaraguptaの解釈の違いを検討する.DharmakirtiはPramanaviniscavaのPratyaksa章18偈で,知覚から行動へのプロセスを,「過去の鮮明な経験⇒現在の知覚⇒想起⇒欲求⇒行動」というように提示する.この場合には,知覚は行動の十分条件ではなく,過去の経験を伴い,想起や欲求を通じて行動を引き起こす.Dharmottaraは,ある文脈ではDharmakirtiと同じプロセスを提示しつつも,可能性(yogyata)としての行動という概念を取り入れ,知覚そのものの作用である対象認識(arthadhigati)の完成をもって行動の完成と見なした.しかし,その対象認識は,知覚に後続するその知覚の内容を決定(niscaya)する分別知を伴って初めて実効性をもつため,必ずしも知覚のみで行動が成り立つわけではない.一方Prajnakaraguptaは,そのような分別知の介在をはっきりと否定し,無分別たる知覚から直接的に行動が起こると主張した.ただしその場合の知覚は,十分な反復経験(atyantabhyasa)を前提とするもののみに限定される.
  • 洪 鴻栄
    原稿種別: 本文
    2014 年 62 巻 3 号 p. 1293-1299
    発行日: 2014/03/25
    公開日: 2017/09/01
    ジャーナル フリー
    1999年に発見された安世高訳三つの著作-金剛寺版『安般守意経』『仏説十二門経』『仏説解十二門経』は,中国仏教分野において,最初期訳経史への解明に重要な手がかりになると指摘されている.四禅・四無量心・四無色定という十二門(禅)は,インド仏教の修道論において,戒定慧の三学のうちで定学を総括することは言うまでもない.しかし,もとより独自文化を持っていた中国仏教は,最初からこの十二門の修道論をそのまま受け入れたのか?周知のように,仏教が中国へ入った漢代から,儒教・道教と融和しつつ,唐にいたってインド仏教と異なった中国仏教独自の修道法-禅-が発展してきた.それと同様に,十二門の中で,安世高はなぜ伝統的な四種禅(catukkajjhana)・五種禅(pancakajjhana)と異なった四禅(Four Meditations)を作ったのかという課題は大変興味深いと思われる.筆者は昨年に『仏説十二門経』と『仏説解十二門経』とのテキスト構造においてStefano Zacchettiと違った新たな観点を提案してきた.本稿は「四禅の解釈について」という問題点に絞って検証する.その解決の糸口は『仏説解十二門経』テキスト自体にあるからである.結論として,当時後漢の人々が仏教知識に乏しかったため,安世高は意図的に四種禅(catukkajjhana)の禅支を簡略にして新たな四禅を作った.これは,いわゆる格義的な手法ともいえると指摘したい.
  • 関戸 堯海
    原稿種別: 本文
    2014 年 62 巻 3 号 p. 1300-1307
    発行日: 2014/03/25
    公開日: 2017/09/01
    ジャーナル フリー
    文永九年(1272)二月,寒風が吹きつける佐渡の塚原三味堂で,日蓮は『開目抄』を書き上げた.「日蓮のかたみ」として門下に法門を伝えるための論述である.日蓮は『開目抄』において,諸経にすぐれる『法華経』が末法の衆生を救う教えであることを力説する.まず,あらゆる精神文化と仏教を比較して,その頂点に『法華経』があることを論述する.一切衆生が尊敬すべきは主徳・師徳・親徳であり,学ぶべき精神文化は儒教・仏教以外の宗教思想・仏教であるとして,それぞれの思想的特徴を精査して,仏教が最もすぐれるとし,なかでも『法華経』が釈尊の真実の教えであることを「五重相対」の仏教観によって証明する.続いて,『法華経』のすぐれた思想的特色として,一念三千および二乗作仏・久遠実成を挙げて詳細に論じている.そして,『法華経』迹門の中心をなす方便品は一念三千・二乗作仏を説いて,爾前諸経の二つの失点のうち一つをまぬがれることができたが,いまだ迹門を開いて本門の趣旨を顕らかにしていないので,真実の一念三千は明らかにされず,二乗作仏も根底が明らかにされていないと述べ,本門を中心とした法華経観を提示する.また,末世の『法華経』布教者に数多くの迫害が待ち受けていることを『法華経』みずからが予言している(未来記).その経文を列挙して,数々の迫害の体験は予言の実践(色読)にほかならないとして,日蓮は末世の弘経を付嘱された上行菩薩の応現としての自覚に立ち,不惜身命の弘経活動を行なった.ことに龍口法難(佐渡流罪)を体験した日蓮は法華経の行者であることを確信した.そして,『開目抄』には「我れ日本の柱とならむ,我れ日本の眼目とならむ,我れ日本の大船とならむ」の三大誓願によって,人々を幸福な世界へと導くという大目的が表明されている.
  • 原稿種別: 文献目録等
    2014 年 62 巻 3 号 p. 1309-1441
    発行日: 2014/03/25
    公開日: 2017/10/31
    ジャーナル フリー
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