印度學佛教學研究
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存在否定命題の問題について
――ディグナーガ,ウッディヨータカラ,ダルマキールティ――
渡辺 俊和
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2016 年 64 巻 3 号 p. 1263-1269

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抄録

「Xは存在しない」という命題は,非存在であるものを否定することになるが,そのような行為は成立するのだろうか.本稿ではこの問題に対する,ディグナーガ,ウッディヨータカラ,そしてダルマキールティの三者の見解を検討し,それらの対応関係について明らかにした.ディグナーガはNyayamukhaで「プラダーナは存在しない.認識されないから」という論証においても証因に主題所属性を確保するために,主張命題の主題である「プラダーナ」を概念的構想物(kalpita)として扱う.それにより,主題に概念的な存在性が確保され,証因がasrayasiddhaの過失に陥ることを回避している.一方ウッディヨータカラはNyayavarttika on Nydyasutra 3.1.1で,「アートマンは存在しない.認識されないから」という論証を対象として,ディグナーガ説を批判している.まず彼は,概念的構想(kalpana)を「別様であること」(atathabhava)と定義することで,アートマンが概念的構想物である場合には証因がその属性となり得ないことを説明する.また「アートマン」という語が実在を表示するので「存在しない」という述語との間に矛盾が生じることを指摘する.これに対してダルマキールティはPramanavarttikasvavrttiおよびPramanaviniscaya 3で,概念的構想物を知に現れる形象と解釈することによってディグナーガ説を補強し,ウッディヨータカラへの再反論とした.語が知の形象を対象とする限り,「プラダーナ」は外界対象としては「認識されない」ので,証因は主題の属性となると同時に,主張命題にも矛盾は生じないことになる.

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© 2016 日本印度学仏教学会
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