印度學佛教學研究
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Saddanītiにおけるbhāvapadaについて
渡邉 要一郎
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2017 年 65 巻 3 号 p. 1143-1146

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抄録

12世紀に学僧Aggavaṃsaによって著述されたパーリ文法学文献Saddanītiでは,自動詞語根にbhāva(動作)のみを意味すべきときに導入される接辞yaとparassapada/attanopada を付与して作られた語(例えばbhūyateなど)がbhāvapadaと称されている.Aggavaṃsaは幾つかのパーリ文献のなかでは,このbhāvapadaとともに,行為主体を表す要素として第一格語尾をとる語が見られうると指摘する.すなわちtena bhūyateというような構文だけではなくso bhūyateというような文章が存在すると考えられている.また,Saddanīti §594では行為主体を表示すべき場合に,行為主体が動詞によって既に表示されている場合には,第一格語尾が導入され,動詞・kita(Skt. kṛt)接辞によって未だに表示されていない場合には,第三格語尾が導入されると規定される.この点はPāṇini文法学の体系とは異なるものである.従ってso bhūyateという構文では,一見すると動詞によってbhāvaのみが動詞によって表されているのに,行為主体を意味する第一格語尾が導入されているかのような矛盾した状態が見られることになる.Aggavaṃsaは,bhāvapadaというものは第一義的には行為主体を示すものであり,間接的にbhāvaが意味されるという解釈を示す.それはあたかも,行為にとっての拠り所である人間を保持しているに過ぎない蓆が,間接的に「動作の保持者」と呼ばれているが如くである.これによって,§594の規定との矛盾が解消されうる.

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© 2017 日本印度学仏教学会
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