2019 年 67 巻 3 号 p. 1164-1171
本稿は,『取因仮設論』における取因仮設の概念と言語活動との関係を明らかにしようとしたものである.本稿では,まず仏の説法がこの『取因仮設論』で持つ意義を概観した上で,その説法の中に現れる「プドガラ(個我)」の概念と取因仮設の構造を,特に犢子部の説を用いて比較し,取因仮設の構造が犢子部の五縕とプドガラを巡る構造とそっくりであることをあきらかにした.このことによって,仮の存在に過ぎないプドガラの議論をより広い「もの」に適応することができ,ディグナーガは言語活動のより一般的な基盤を確立した.さらに,彼の実有,仮有を巡る議論から,ディグナーガが分位差別と一般的な自性をむすびつけ,実有であろうと仮有であろうとその自性,一般的な属性が分位差別であって,仮設であると主張したと理解した.このことによって,仏の説法をはじめとする様々な言語活動を自由に行うことができる認識論的基盤を確立した.