印度學佛教學研究
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多数の対象の同時認識――プラジュニャーカラグプタによる原子論解釈――
横山 啓人
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2019 年 67 巻 3 号 p. 1178-1182

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抄録

プラジュニャーカラグプタのPramāṇavārttikālaṃkāra(PVA)ad Pramāṇavārttika(PV)3.194–207およびPVA ad PV 3.223–230では,「集合した多数の原子が知覚対象である」というアビダルマの原子論に立脚してニヤーヤ・ヴァイシェーシカ学派への批判が行われている.PVA ad PV 3.197に基づけば,対論者による反論の論点は「多数の対象は同時に把握されない」「知覚対象は単一な全体(avayavin)という実体である」の二つに大別され,PVA ad PV 3.194–207における議論もこの解釈に基づいて整理することができる.本稿では,この論点に依拠して,PVA ad PV 3.223–230における議論の整理を試みる.

PVA ad PV 3.223において,ダルマキールティが,「集合した多数の原子が知覚対象である」という自派説を要約しつつ,集合した諸原子が知の原因となるのはそれらが付加的属性(atiśaya)を有するからだと説くのに対し,プラジュニャーカラグプタは付加的属性は大(mahat)ではないという注釈を加える.ニヤーヤ・ヴァイシェーシカ学派によれば,大とは知覚対象である全体が有する性質であり,それをもたないものは知覚されない.すなわち,この箇所で,プラジュニャーカラグプタは,付加的属性説によって自派説の妥当性を示すだけでなく,異説である全体説に対する批判を追加していると理解できる.

全体説はPV 3.225からダルマキールティによっても批判されるが,プラジュニャーカラグプタは,ここでの批判を,多数の対象が同時に把握されないと主張する場合に生じる不合理の指摘だと説明する.さらに,PVA ad PV 3.230における記述や注釈者ジャヤンタの解説に基づけば,一連の議論は同時把握の妥当性を論じるものだと理解できる.以上の考察により,PVA ad PV 3.223–230では,プラジュニャーカラグプタによって,付加的属性の議論が全体説批判として展開され,さらにダルマキールティによる全体説批判が「多数の対象は同時に把握されない」という反論を退けるものとして位置づけられた,ということが明らかにされた.

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© 2019 日本印度学仏教学会
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