印度學佛教學研究
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『中観五蘊論』にみられる経典引用――著者問題の根拠として――
横山 剛
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2021 年 69 巻 3 号 p. 1093-1098

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抄録

チベット語訳でのみ現存する『中観五蘊論』は,初学者が無我を理解するための入り口として説一切有部の法体系を中観派の立場から概説する小型の論書である.同論には多数の経典引用が確認されるが,その多くが,中観派的な色彩が強く,同論の約二割の分量を占める慧の心所に集中する.そして,これらの引用と共通する引用がチャンドラキールティの他の著作に確認される.一部の研究は,同論師が慧の心所のみを著したという部分著作説を主張するが,これらの引用はその根拠の一つとされる.

一方で,数は限られるが,慧の心所以外においても経典からの引用が確認される.本稿では,これらの引用に注目し,対応する経典資料,引用の目的,慧の心所における引用との性格の違いを明らかにするとともに,これらの引用についても共通する引用がチャンドラキールティの他の著作にみられることを指摘することで,論全体が同論師に帰される新たな根拠を提示する.

まず,冒頭において,慧の心所も含めて同論全体の経典引用を整理する.続いて,慧の心所以外における引用として,(I)所触,(II)尋伺,(III)軽安不軽安,(IV)慚愧の定義における引用について検討する.翻訳ならびに対応する経典資料を示した上で,それらの引用が法と法との関係の教証としての役割を担っていることを指摘し,無我の教証である慧の心所における引用とは役割が異なることを明らかにする.そして,同論全体をチャンドラキールティに帰す新たな根拠として,(III)と(IV)の引用と共通する引用が,それぞれ『六十頌如理論注』と『明句論』に確認されることを指摘する.その際には,これらの論書間で,引用がなされる文脈が異なる点に注目し,特に(IV)の引用を未了義であるとする『明句論』の見解が,有部の法体系に対する同論師の理解を反映している可能性を指摘する.

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© 2021 日本印度学仏教学会
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