2023 年 71 巻 3 号 p. 1044-1051
ダルマキールティ論理学の眼目の一つは,彼が所証属性を必ず導出できる正しい証因の条件を考究したことにある.彼によれば,証因「所作性」は所証属性「無常性」を必ず導出できる逸脱のない証因であるが,それは,この証因属性をもつ,原因から生じた,壺などの対象が,その滅つまりは所証属性である無常であることに関し,他に依存していないからである.依存しているとすれば,他のものの側に不備があったり,他のものが当該対象を破壊するに際し妨害が入ったりする可能性があるから,滅は当該対象に必ず起こるとは言えない.つまり彼によれば,或る対象が或る属性を得るに際し無依存であるならば,その対象はその属性を必ず得る.反対に,他に依存しているならば,それは確実にその属性を得るとは言えない.
非仏教徒は,彼が主張する,この,無依存性と確実性との関係に疑義を呈し,有依存であるが必ず起こるものを反例として挙げることで,この関係を否定する.幾つかある彼らの反例の中で哲学的に最も興味深いのは太陽の,出と没である.彼らによれば,太陽は出れば必ず没し,没すれば必ず上るが,時間というものに依存している.一方,仏教側の応答に目を向けると,プラジュニャーカラグプタがこの反例について興味深い回答を出している.
本稿は,プラジュニャーカラグプタと彼の対論者が論じる,中世インド版「sunrise problem」とも言えるべき問題について考察する.プラジュニャーカラグプタは,太陽の,出による没の遍充,没による出の遍充を認めない.というのも,それらが繰り返し見ることに基づいているとしても,没した太陽が出ない,出た太陽が没しない,ことを斥ける正しい認識がないからである.
プラジュニャーカラグプタが論じる問題は,ヒュームが提起した,いわゆる帰納の問題と本質を同じくするが,プラジュニャーカラグプタの場合,その議論は,宗教上の或いは護教論的な要請がその背景にあることに注意すべきであろう.