2024 年 72 巻 3 号 p. 1090-1094
認識の真・偽を決定するという問題は,宇野1996, 340が指摘したように,一般にprāmāṇyavāda(真理論)という名称で呼ばれ,インド認識論における最重要な話題の一つである.ダルモーッタラ(Dharmottara, ca. 740–800)はインドにおける真理論の歴史的展開において重要な役割を演じて,彼の真理論がKrasser 1995によって解明された.ダルモーッタラは『正理一滴論注』(Nyāyabinduṭīkā)などにおいて,正しい認識(=正しい認識手段)を,「行動させる認識」(pravartaka)と「目的実現の顕現を有する認識」(arthakriyānirbhāsa=arthakriyājñāna[目的実現の認識])とに分けるのだが,彼の関心はもっぱら前者にあった.同様に,カマラシーラ(Kamalaśīla, ca. 740–795)などの思想家も前者を重視して,積極的に検討を行なっている.これまで,前者に対するダルモーッタラの理解が注目を集め,多くの論考が蓄積されることになった.それに対して,後者に対する彼の考えはこれまで学界で重視されておらず,彼自身もそれを論述書の中で付随的に考察するものとし,詳しい説明を与えていない.しかし,後者がダルモーッタラの真理論において決して無意味なものではないことは,ドゥルヴェーカ・ミシュラ(Durveka Miśra, ca. 1000–1099)の注釈から明らかになる.ドゥルヴェーカは『正理一滴論注』を注釈する際に,基本は『量決択注』(Pramāṇaviniścayaṭīkā)におけるダルモーッタラの理解を踏襲しているが,arthakriyānirbhāsaをめぐって一連の議論を展開した上で,おそらくプラジュニャーカラグプタ(Prajñākaragupta, ca. 750–810)などの思想家の影響を受け,満足(saṃtoṣa)という概念を導入した.インドの思想家たちの真理論に関して,これまで多くの研究(片岡2021,稲見2022など)がなされてきたものの,真の自律・他律問題などをめぐるドゥルヴェーカの真理論に注目したものはない.本研究は『法上灯』(Dharmottarapradīpa)での彼の議論を対象として,彼の思想体系におけるarthakriyānirbhāsaの性格および満足が導入される理由を明らかにするものである.