2016 年 15 巻 1 号 p. 51-57
痛みに捉われずに生活することは可能だろうか.他人には理解されず,死ぬしかないと思うほど苦しんでいるのに,捉われない方法などあるのだろうか.
こじれた痛みには原因がそれなりにある.しかし患者の訴えは医療者にも周囲の人にも理解しがたいと受け止められがちだ.理解されるために「過剰な説明」に追われ,空廻りしながら説明に疲れ果てる患者.一方で静かな患者がいる.社会生活の中で「常態化」「pacing」,「持ちこたえ」,「身体の作り変え」を行って,痛みとの折り合いを付け,更には「知覚・認識の作り変え」まで行われているのではないかと筆者は考える.黙々と耐える患者はどのように痛みと折り合っているのだろうか.
どの患者も痛みのバックグラウンドを理解され,快方に向かう希望を持てる,そんな試みが始まっていることは患者にとって心強い.
こじれた痛みと悩みを患者の相談事例の中から紹介し,痛みに捉われない方法を発見するにはどうしたらよいのか,一緒に考えていただければと思う.