2011 年 4 巻 p. 130-146
小稿は、「我が国では原発の過酷事故は起こりえない」という神話の成立、そしてこれが「科学的合理化」され維持される過程を解明する。私は、第一に、世界第3の原発大国に至るまでの原発の立地/稼動という既成事実が、この神話の現実的基盤であると主張する。そしてこの神話は、福島事故以前の外国での2つの過酷事故、米国のスリーマイル島事故を距離化し、ソ連のチェルノブイリ事故を他者化して「科学的に合理化」される。反面で福島事故以前、数々の地震に見舞われても原発固有の設備に異常はなかったとして、米国のコピーでしかない原発技術を、「日本の技術力の高さ」の威を借りて我が物にする。
二に、原発差し止め訴訟を素材に、この神話が「論証」される構造を、知/権力の格差に注目して解明する。情報を独占し国の保証書をもち、核兵器/外交秘密を利用できる被告の知の優位性を指摘して、国策としての原発推進策が合法化される過程を解明する。
三に、今次の福島過酷事故後も変わらないトップダウン推進策の「慣性」を、玄海原発を突破口に、全国に再稼動を広げようとした国のシナリオを素材に考察する。そして原発は科学的合理性ではなく、国と立地首長との「信頼」という社会的合理性に即して、再稼動されうることを指摘してU.ベックに異議を唱える。