理論と動態
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来住者を閉ざした津波常習集落
──津波で解散する気仙沼市唐桑町の一集落から──
植田 今日子
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2014 年 7 巻 p. 92-116

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抄録

 本稿は、62戸のうち54もの家屋が流失し、地震と津波の被災をきっかけに解散することになった一集落を舞台として、浸水した集落の大部分が居住不可能となる「災害危険区域指定」とは、どのような出来事であるのかを明らかにするものである。明治にも昭和にも平成にも、この地は津波を経験するたびに立ち上がってきた履歴をもつが、その営みに終止符が打たれることになった。なぜこれまで繰り返し津波が訪れることの確実な集落が、幾度も賑わいを取り戻すことを可能にしてきたのだろうか。この問いを通して、津波常習1)集落にとって災害危険区域指定がどのような出来事であるのか素描することを試みた。

 明らかとなったのは、事例とした集落の人びとは、昭和8年の災害危険区域内にも住居を構え、かつての浸水域の土地の上にも暮らしていたということであった。そして彼らのほとんどはこの地の津波を知らない人たちであった。しかしそのよう な土地を擁する集落で、彼らは津波の恐ろしさを伝え合い、津波への備えを養うことを可能にしていた。これを可能にしていたのは、災害危険区域の内側に存在した、津波の記憶や警戒を喚起させる多様な媒体(津波記念碑、津波記念館、集団地、浸水線、古い家屋など)の存在であった。それらはもっとも危険とされる土地においても、あくまでそこに暮らすことを否定せずに警戒を呼びかける①非排除性と、災害とは関係のない日常の文脈においても折に触れてかつての津波を想起させる②日常的遍在性を備えるものであった。しかしこれらのほとんどは東日本大震災後の災害危険区域指定により、姿を消すことになった。この集落(とりわけ家屋流失を免れた8戸の人びと)にとって災害危険区域指定は、津波を知らない人にも津波への備えを伝えることを可能にしてきた多くの装置と、それを伝えてきた人びとを一掃してしまう作用をもっていた。これは津波常習地の集落で醸成されてきた災害危険区域にこそ備わる豊穣性であり、受動的に培われてきた抵抗力(resilience)といえる。

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© 2014 特定非営利活動法人 社会理論・動態研究所
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