2016 年 9 巻 p. 37-54
参加型開発をめぐっては、近年専制論と呼ばれる批判論が現れた。反批判をするポスト専制論も登場し、論議は活況を呈している。両議論では、住民組織の自律的なガバナンスの可否と、それにかかる開発機関の介入の是非が問題となっている。地域社会の権力構造に顧慮しない機会提供が主体性なき参加を生み出すと、専制 論は参加型開発の問題点をあげる。対するポスト専制論は、住民のシティズンシップが自律的なガバナンスを保証する、そして住民間のコミュニケーションがシティズンシップを導くとし、専制論の乗り越えを展望する。
以上の動きを受けて本稿は、以下のことをする。はじめに、専制論ならびにポスト専制論の論稿を検討する。開発機関による住民の制御は、その力の行使にほかならないとする専制論の考えに示唆を得て、シティズンシップ涵養の契機として開発機関が仕掛ける介入が、人々の自律化を阻むとの見方を示す。次に、こうした介入 のアイロニーがどのような形で現れるかを、マイクロクレジットにみられる問題事例を用いて具体的に考察する。そして最後に、アイロニーの発生メカニズムを探る。ジェームス・スコットの「生存維持倫理」を使い、住民が生存維持倫理に沿って開発プログラムにアクセスするところに、介入のアイロニーが現れ得るとの暫定的な帰結を導く。以上のことを論じて、開発社会学の立場から、途上国開発研究の現状と問題点を考える。