抄録
子ども・いのち・宗教という三つの命題をつなぐロジックの切り口として、いのちの始まりである周産期医療をめぐる問題を取り上げる。「6歳までは神の内」と言われるごとく、子どもは最も弱い生き物であると同時に、成人とは異なった、ある意味では神に近い精神状態と考えられていた。生物の生物たる所以は、子を産み育てることである。人間の人間たる所以は、そのような本能のレベルを越え、自己を認知すると同時に相手を愛し信頼し、共に生きる英知を持つことであろう。それゆえ、いのちの誕生とそのいのちを育むことが我々の世界の原点であり、妊婦死亡率、新生児死亡率および乳児死亡率が、その民族の文化のレベルのバロメーターとされていることが理解できる。幸い、日本は20世紀末にそのいずれにおいても世界のトップレベルとなった。日本がこのような幸運に恵まれた背景には、単に経済状況や医療のレベルの向上のみではなく、ダーウィニズムから脱却することができたからであると演者は信じている。「強いものが生き残るべきであり、それによって人類が進歩する」という思想では、多くの産まれたばかりのいのちは抹殺されるであろう。その社会が許容できる範囲で、最も弱い新生児のいのちが成人のいのちと同等に考えられる時、成人の行く末である弱い老人や障害者にもその考えが適応される。我々もかつては弱い新生児であったことを認知し、そのつながりを感ずる時、共に生きるやさしさを学ぶ。人は死の深淵に近づく時に生きることを学ぶ。出生はまさにその時である。2歳までの子どもの多くは、自己を認識しない上に他人と自分の区別も定かでない。しかし、いのちとは、そこに秘められた能力と可能性の存在である。現代科学は、幼い子どもが成人にとっては天才と評価されるような能力を備えていることを明らかにしている。それゆえ、子どもは弱い存在で死の近くにいる故に神の内というだけではなく、子ども自身が神に近い存在であるとも考えられる。「子どもを祈る」ということは、子どもに人類全体、さらには宇宙への広がりに続く存在を感ずるからである。