抄録
「プラシーボ反応」には長い歴史があり、古代から医療とプラシーボ反応とは密接に関連しあっていた。しかし科学的根拠を重視する現代医療にとっては、プラシーボ反応は不要であるばかりか、医療の信頼を損ねる有害な要素とすら見なされている。本稿では、プラシーボ反応の真価を再検討し、それが心理的錯覚などではなく人間の心身の強い相互作用に基づいていることを指摘し、「意味反応」のメカニズムを説明する。さらに、プラシーボ反応を適切に活用することで、医療が医師と患者の双方にとってより望ましいものになることを論証する。プラシーボ反応は、人体を機械と見なす現代科学が心身の統一体としての人間については無知であることを指摘し、生命の本質に関する問いを提起する。それゆえ、プラシーボ反応の可能性を検証する試みは、単に医学的にだけでなく、哲学的、倫理的にも大きな意味を持っているのである。