日本腹部救急医学会雑誌
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会長講演
明治を駆けた麦飯男爵
山崎 洋次
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2008 年 28 巻 7 号 p. 873-881

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抄録

高木兼寛は,脚気の撲滅で名高いが,脚気予防策として麦飯を推奨したことと,男爵を授爵されたことから「麦飯男爵」と呼ばれた。高木兼寛は嘉永2年(1849年)日向国東諸県郡穆佐村(現在の宮崎市高岡町合併特例区)で生まれた。明治5年,海軍軍医となり,明治8年ロンドンのセント・トーマス医学校に留学した。帰国して間もない明治14年,成医会講習所を設立した。この成医会講習所はいくつかの変遷を経て,大正10年,大学令による東京慈恵会医科大学へと発展した。高木は明治17年から海軍の食料改善(窒素:炭素比の改善)に乗り出し,明治18年から海軍においては脚気をほぼ駆逐した。明治27年,日清戦争が始まったが,麦飯を堅持した海軍では一人の脚気患者も出なかったが,陸軍からは多数の脚気患者が出た。明治18年,高木は軍医の最高位である海軍軍医総監に任命された。その年,高木は看護婦教育所を開設しているが,これはわが国最初の看護学校である。明治25年,貴族院議員に勅選された。明治34年には東京市会議員に当選,明治38年,華族に列せられ男爵を賜り,大正9年,72歳の生涯を閉じた。

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