2004 年 11 巻 1 号 p. 27-35
本稿では映画と教育の関係が始まった地点に着目し、映画が社会に登場し、浸透していく過程で教育言説と絡み合っていった様相を検討し、その背景を分析する。結論を先に述べれば、教育者たちが「映画性(映画の特性)」に教育効果を見い出せなかったことが、後に続く「映画国策運動」を勢いづかせる一つの要因になったと考えている。「映画は教育に効果的である」という主張の根拠を映画そのものの中に見つけなかったために、物語に重点を置く発想が肥大化し、その結果、政治的・道徳的な概念化した物語が量産されていったのである。このことを論じることによって、映画教育以外の分野においても、学習内容を検討する際には目的(または身に付ける力)について精察することが不可欠であることを確認したいと考えている。