抄録
本稿では1930年代後半のラジオ学校放送に関する言説を分析し,制作者が小学校向け放送と青年学校向け放送という2つの「学校放送」で異なった主張を展開していたことを明らかにした。小学校向け放送では,教師の放送に対する警戒感が強かったため,授業時間外での活用を強調して普及促進を図ろうとする姿勢が確認された。一方,青年学校向け放送では,授業での利用方法の提案や聴取者の組織化への支援など積極的な働きかけを行い,青年学校の教育方法を主導的に構築しようとしていた。このことから,青年学校放送は創成期の「学校放送」が教育界に認知される上で重要な役割を果たしていたと考えられる。