参議院の創設は,公選議員により組織されるという条件の下で,衆議院とは異なる選挙制度の導入によって議院内閣制の下における衆議院の過度の政党化と政策の激変を抑制しようとしたものであった。全国区では全国的各層有識者の選出が,地方区では都道府県を単位とする地方的名声を備えた有識者の選出が期待されていた。しかし,この期待は議院内閣制という構造のもつ力によって打ち砕かれていく。むしろ,全国区は金権選挙とタレント議員の登場で,地方区は人口移動に伴う1票の格差の増大で多くの弊害と批判を呼ぶことになる。世論の厳しい批判を受けて,1982年全国区を拘束名簿式比例代表制に,2000年にはこれを非拘束名簿式とする改革がなされたが,いずれもその運用において政権与党の党利党略で骨抜きにされている。参議院の選挙制度改革は,憲法上の参議院の位置づけの確定と,政治改革の実現を待って初めて実現するものである。