2012 年 54 巻 1 号 p. 36-40
災害時に流言蜚語はつきものである。原子力災害も例外ではない。筆者は事故4年後の1990年にソ連邦が外国との交流を開始したときに現地を訪れ,事故後10年目までは,多くの研究プロジェクトに参加し数え切れないほど現地に赴き,10年目,20年目の国際機関のまとめのコンファランスまで出席することができた。健康影響に対して科学的な調査が可能になり,様々な調査の結果が発表されるようになると,それぞれの発表,論文の科学的な信憑性を検討することが大きな仕事になり,自分の主力は国際的な科学的な合意形成に移行した印象がある。初期の流言蜚語の時代からまとめの発表にいたるまでの経験を具体的に紹介し,原子力災害の対応の問題点などを示したい。