日本内分泌・甲状腺外科学会雑誌
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特集1
遺伝子変異による甲状腺癌の再分類
加藤 良平
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2020 年 37 巻 2 号 p. 68-77

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抄録

近年は遺伝子変異に関する研究が急速に進み,多くの癌で遺伝子変異による診断,治療法の選択,予後の推定などが可能になっています。これまでの研究から,甲状腺癌には「遺伝子型-表現型関連 genotype-phenotype correlation」が存在することが分かってきました。そこで,ドライバー変異から甲状腺癌を大別すると,RET腫瘍,BRAF腫瘍,RAS腫瘍,PAX8/PPARG腫瘍,PAX8/GLIS腫瘍,APC腫瘍に分類され,さらにRET腫瘍は再構成と点突然変異群,RAS腫瘍はNRASHRAS群に細分類されます。例えば通常型乳頭癌は,RET腫瘍とBRAF腫瘍に入り,濾胞型乳頭癌はRAS腫瘍に分類されます。濾胞癌はRAS腫瘍とPAX8/PPARG腫瘍,硝子化索状腫瘍はPAX8/GLIS腫瘍,篩型乳頭癌はAPC腫瘍,髄様癌はRET腫瘍とRAS腫瘍に分類されることになり,予後不良な低分化癌や未分化癌はBRAF腫瘍,RAS腫瘍に属します。いずれの組織型でも既知の遺伝子異常が100%を占めることは無く,未知な遺伝子異常に関してはさらなる研究が必要です。しかし,この様な分類(考え方)は甲状腺癌への理解を深め,将来の診断治療に有用な基準となるかもしれません。

はじめに

「腫瘍とは遺伝子の異常による病である」とすれば,腫瘍の発生や増殖,臨床像などを理解するためには,遺伝子異常に対する専門的な知識が必須であるといえよう。実際に近年では,多くの悪性腫瘍(例えば白血病やリンパ腫,種々の固形癌)の診断や治療の現場で遺伝子検査が用いられるようになってきた。甲状腺でも,これまで腫瘍の発生や転化(プログレッション),転移,臨床的経過などに関連する多くの遺伝子変異が報告され,とくに,最近では甲状腺癌で,次世代シークエンサーを用いた網羅的ゲノム解析(TGGA:The Cancer Genome Atlas study)が行われ,一気に新しい知見量が増加した。

一方,われわれの日常診断のゴールデンスタンダードは,“WHO分類(2017年)”と“甲状腺癌取り扱い規約(第8版)分類”だが,いずれの分類も従来からの形態所見を基としている。甲状腺癌取り扱い規約には遺伝子に関する記載は皆無であるが,WHO分類では,それぞれの甲状腺腫瘍の組織型の記述に,遺伝子異常について多くの紙面を割いている。

そこで,本稿では,①甲状腺腫瘍の基本的な遺伝子異常とその意義について述べ,さらにそれらの知見をもとに,②遺伝子異常からみた甲状腺腫瘍分類を検討してみることにした。たぶん,このような試みは一般的とはいえないが,甲状腺腫瘍を遺伝子から理解するうえでは有用と思われる。

1.甲状腺癌の遺伝子変異と増殖経路(図1
図1.

増殖シグナル経路

甲状腺腫瘍の発生には,MAPキナーゼ(mitogen-activated protein kinase)経路にあるタンパクをコードする遺伝子の変異が重要である。すなわち,受容体型チロシンキナーゼ遺伝子の再構成ないし点突然変異,RAS遺伝子の点突然変異,RAF遺伝子の点突然変異などである。一方,PI3K/AKT/mTOR経路も癌の増殖やプログレッションに関わっている。

甲状腺腫瘍の発生には,MAPキナーゼ(mitogen-activated protein kinase)経路にあるタンパクをコードする遺伝子の変異が重要である。すなわち,受容体型チロシンキナーゼ遺伝子の再構成ないし点突然変異,RAS遺伝子の点突然変異,RAF遺伝子の点突然変異などである。一方,PI3K/AKT/mTOR経路も甲状腺分化癌の増殖やプログレッションに関わっているようで,PIK3CAの活性化,癌抑制遺伝子のp16p53の欠失,TERT(Telomerase reverse transcriptase)プロモーター変異などが関わっている。

以下に甲状腺腫瘍の発生に強く関連するタンパクとそれをコードしている遺伝子について述べていくことにする。これらの遺伝子異常はドライバー変異とみなされていて,他の癌腫と同様に相互排他的mutually exclusive(同一腫瘍で複数が同時に検出されない)である。

RET

RET遺伝子は受容体型のチロシンキナーゼをコードし,MAPK経路では最も上流に位置している。RET遺伝子の変異には「点突然変異」と「遺伝子再構成」の2種類があり,点突然変異は家族性甲状腺髄様癌で知られ,一方,遺伝子再構成は乳頭癌で報告されてきた。RET再構成(RET/PTC)はRET遺伝子の断片が他の遺伝子に転座や逆位するもので,パートナー遺伝子の種類により15種以上が報告されている。中でもH4遺伝子に逆位するRET/PTC1ELE1遺伝子に逆位するRET/PTC3が重要である(図2)。RET遺伝子再構成は,乳頭癌でのみ認められる遺伝子異常で,濾胞性腫瘍,低分化癌や未分化癌では稀である。一般的に乳頭癌におけるRET再構成の頻度は20から40%とされているが,メタ解析では年代とともにその頻度が減少している。原因は明らかではない[]。

図2.

RET遺伝子再構成(RET/PTC

リガンドが結合することでRET受容体が活性化(リン酸化)されるが,RET遺伝子の再構成がおこると,リガンドの存在なしに増殖経路が活性化される。RET遺伝子の再構成はパートナー遺伝子により違いが見られるが,RET/PTC1RET/PTC3が甲状腺では重要である。

このRET遺伝子再構成は,成人の乳頭癌よりも若年者に発生する乳頭癌でその頻度が高くなる傾向が認められる[]。若年者の乳頭癌では,充実性構造を主体とする充実亜型がしばしば出現し,この腫瘍は通常型乳頭癌とは異なり,ELE-1遺伝子との再構成によるRET/PTC3によることが知られている。

RAS

RETの下流にはRASがある。RASは低分子GTP結合タンパク質の一種で,膵癌,大腸癌,肺癌などをはじめとする多くの癌の発生に関与している(表1)。RASをコードする遺伝子には,HRASKRASNRASがあり,突然変異のホットスポットはCodon12,13とCodon61である。消化器や呼吸器の癌ではKRAS変異が重要であるが,甲状腺ではNRAS変異(Codon61)の頻度が圧倒的に高い。

表1.

癌腫別RAS遺伝子変異頻度

RASは低分子GTP結合タンパク質の一種で,膵癌,大腸癌,肺癌などをはじめとする多くの癌の発生に関与している。

NRAS遺伝子の点突然変異は,甲状腺腫瘍の中では濾胞性腫瘍(濾胞腺腫,濾胞癌)に圧倒的に多く認められる。頻度は10~60%と報告により大きな差が見られるが,総じて良性の濾胞腺腫に比較して濾胞癌の方が高率である(表2)。なお,乳頭癌では,濾胞構造のみからなる濾胞亜型で検出されている。RET遺伝子の点突然変異を欠く髄様癌では20%程度にRAS遺伝子の突然変異を認める。

表2.

NRAS突然変異の組織型別頻度

NRAS点突然変異は濾胞腺腫,濾胞癌,低分化癌,未分化癌で多く,これらの腫瘍が一連のスペクトラムにあることが推定される。乳頭癌では濾胞型でより多く見られる。

BRAF

RASの下流に位置するBRAFはMARK経路のシグナル伝達を司り,BRAF遺伝子によってコードされている。このBRAF遺伝子の突然変異は,600番目のアミノ酸がバリンからグルタミン酸に置換されるBRAFV600Eが最も重要で(図3)である。BRAFV600E変異は,悪性黒色腫,有毛細胞性白血病,大腸癌などの悪性腫瘍のほかに,異型母斑,後腎性腺腫,十二指腸ポリープ,グロムス腫瘍のような良性腫瘍でも見出されているのは興味深い(表3)。

図3.

BRAFV600E

BRAF遺伝子の突然変異は,600番目のアミノ酸がバリンからグルタミン酸に置換されるBRAFV600Eが最も重要である。

表3.

BRAF変異とヒト腫瘍

BRAFV600E変異率は,甲状腺腫瘍の中では乳頭癌に最も頻度が高く,ついで,低分化癌,未分化癌でも約50%程度に認められる。また,BRAF遺伝子変異は欧米よりも日本,韓国などアジア諸国からの報告でより高率であることから,人種やヨードの摂取量との関係が示唆されている。しかしながら,詳しいことは明らかでは無い。乳頭癌におけるBRAF遺伝子変異率は,若年者で低く,年齢と共に増加する傾向が見られる(図4)[]。一方,不思議なことにBRAF遺伝子変異率は年代とともに増加することも知られていて,実際,われわれの研究室でも以前は50%程度であったが,近年は70%以上である。原因として,検出法の進歩などが考えられるが,結論には至っていない。

図4.

甲状腺乳頭癌における年齢とBRAFV600E

甲状腺乳頭癌におけるBRAFV600E変異の割合は,若年者の腫瘍では少なく,成人では多くなる。一方,RET再構成はBRAFとは逆相関を示す。

PPARγ/PAX8

PPARγ(Peroxisome Proliferator-Activated Receptor γ)は主に脂肪細胞に発現され,甲状腺での発現は通常は見られない。しかしながら,染色体転座により,甲状腺転写因子の一つであるPAX8遺伝子の5ʼ端側とPPARγ遺伝子の3ʼ側が結合し,異常な融合蛋白質が生じる。当初,PPARγ/PAX8は濾胞癌の遺伝子マーカーと考えられたが,近年は濾胞腺腫や被包性濾胞型乳頭癌でも報告されている。濾胞癌におけるPPARγ/PAX8の頻度は,欧米では約40%もあるが,日本人の濾胞癌を対象とした検討では,極めて低値(3%)であった[]。この違いが何によるものかは現在も不明である。また,PPARγ/PAX8は低分化癌や未分化癌ではほとんど検出されない。

TERTプロモーター>

TERT(Telomerase reverse transcriptase)は染色体のテロメアを伸長させるテロメラーゼの主要構成分子として知られている。TERTプロモーターの突然変異は,悪性黒色腫をはじめとする多くの悪性腫瘍で知られている。甲状腺腫瘍では,乳頭癌や濾胞癌などの高分化癌も一部で陽性となるが,低分化癌ではより高率で,未分化癌では70%以上に達する。乳頭癌におけるTERTプロモーター変異は,10%前後に検出され,臨床的悪性度が高いことが示唆される。年齢との関係も指摘されており,高齢者ほどこの変異が高く,若年者に発生する癌では少ない。Xingらは,乳頭癌のBRAF遺伝子異常とTERTプロモーター突然変異の組み合わせを「Genomic duet群」とよび,単独陽性群よりも予後不良であることを指摘した[]。

TP53

TP53はp53をコードする癌抑制遺伝子で,その変異は通常の乳頭癌では稀であるが,低分化癌では30%に陽性となり,さらに未分化癌では70%に検出される[]。つまり,腫瘍の分化度と逆相関している変異といえよう。前述のTERTプロモーター変異が高分化癌の10%に陽性となるのに対して,TP53は高分化癌で検出される頻度が低いことから,高分化癌→低分化癌→未分化癌と行った腫瘍のプログレッション過程において,TERTプロモーターの変異よりも遅れて出てくるのかもしれない。いずれにしても,TERTプロモーター変異やTP53変異を有する乳頭癌は,低分化,未分化プログレッションの危険率が高いことが予想される。

2.甲状腺癌の発生とプログレッションにおける遺伝子異常(図5
図5.

甲状腺癌の遺伝子背景

甲状腺癌の組織型とその発生やプログレッションの過程について,Kondoらの図を改変して示した[]。さらに各腫瘍における遺伝子異常の頻度などはすでに出版されている総説などを参考にした[]。

濾胞上皮細胞から発生する腫瘍の中で最も頻度が高い乳頭癌では,BRAFV600E変異が高頻度(40~80%)で認められ,RET遺伝子の再構成は5~20%に認められる。一方,NRAS突然変異はBRAFV600E変異に比較して圧倒的に少なく(5%以下),主として濾胞型乳頭癌で報告されている。通常型乳頭癌では,TERTプロモーター変異が5~15%で検出される。Oishiらは,未分化癌に併存する乳頭癌ではTERTプロモーター変異が高率に認められることから,この変異が未分化転化と密接に関係していることを示唆している[10]。乳頭癌には多数の亜型が知られているが,中でも若年者に多く発生する充実亜型はRET/PTC3が検出され,家族性大腸ポリポーシスと関係する篩状亜型はAPC遺伝子に点突然変異が認められる。

濾胞癌の発生には,NRAS遺伝子の点突然変異が最も重要とされているが,その頻度は30~50%で,ほぼ半数はNRAS遺伝子以外の遺伝子異常とみなされる。NRAS遺伝子の点突然変異は,良性の濾胞腺腫でもしばしば認められ,この変異が悪性の指標とはならない。しかしながら,腺腫様結節などの過形成病変では当然のことながら陰性なので,少なくとも腫瘍であることの査証になるものである。PAX8/PPARG再構成は,もともと濾胞癌で特異的に認められることから注目されてきた。この遺伝子の頻度は,欧米の報告では30%に達するが,日本では稀なものである[]。この違いは,体質(人種)によるものか,食事などの外的要因によるものかは分かっていない。

硝子化索状腫瘍は,これまでRET遺伝子再構成が高率に認められることが報告され,遺伝子的には乳頭癌の一亜型であることが想定されてきた。しかしながら,近年の研究では,全例がPAX8遺伝子とGLIS遺伝子の再構成による融合遺伝子によることが判明した。GLIS1遺伝子ないしGLIS3遺伝子はPAX8遺伝子と再構成することにより,Ⅳ型コラーゲンなどの細胞外基質をコードする遺伝子の転写を促進すると考えられている[11]。このことから,硝子化索状腫瘍の特徴的所見である基底膜タンパクの塊状,樹枝状沈着が説明できる。

甲状腺癌の中でも予後が不良の低分化癌や未分化癌でもBRAFV600E変異やNRAS遺伝子の点突然変異が約半数に認められる。これらの腫瘍は,乳頭癌や濾胞癌などの高分化癌から転化する説と濾胞上皮細胞から直接発生するde novo癌説がある。高分化癌(乳頭癌)と未分化癌が同所的に併存した例を解析すると,BRAFV600E変異が高頻度に両者に認められることから,多くは未分化転化(脱分化)によることが考えられる。また,未分化癌と併存する乳頭癌では,ほとんど全ての腫瘍でTERTプロモーター変異が認められた。この結果は,TERTプロモーター変異を持つ乳頭癌は未分化転化のハイリスク腫瘍であることを示唆しているのかもしれない。

3.遺伝子異常からの甲状腺腫瘍分類(図6
図6.

遺伝子からの甲状腺腫瘍分類

甲状腺から発生する腫瘍は,ドライバー遺伝子変異と腫瘍組織型が比較的相関し,いわゆる遺伝子型-表現型関連(Genotype-Phenotype correlation)が認められる。これまでの知見から甲状腺腫瘍を遺伝子変異から大別してみると,RET腫瘍,BRAF腫瘍,RAS腫瘍,PAX8/PPARG腫瘍,APC腫瘍,PAX8/GLIS1腫瘍の6種類に分類できる(図6)。いずれの遺伝子異常もその組織型の腫瘍に100%検出できるものでは無いことは事実であるが,「腫瘍は遺伝子の病である」という腫瘍学の総論的立場に立てば,それぞれの組織型の腫瘍を理解する上で,この様な遺伝子変異の呼称はありえるのかなと思う。さらに,本稿ではこれまでの教科書的に記載されてきた形態的分類にこだわらず,主な遺伝子異常と癌の分化度だけから分けてみた(表4)。この分類はさらにシンプルで,分化度と遺伝子変異との関係がより容易に把握できる。

表4.

濾胞上皮細胞由来の遺伝子腫瘍分類

RET腫瘍>

RET遺伝子異常は,点突然変異と再構成に別れる。前者の点突然変異は散発性/家族性の髄様癌,多発性内分泌腫瘍症2型などで検出されている。このRET遺伝子の点突然変異は,散発性(非家族性)の髄様癌の40~60%で認められ,特にexon 16のM918Tに頻度が高い。われわれの教室のVuongらによる散発性髄様癌(964例)のメタ解析では,RET遺伝子突然変異はリンパ節転移,遠隔転移,病期,死亡率などの臨床的悪性度,予後と正の相関を示した[12]。

一方,後者のRET再構成はもともとチェルノブイリ原発事故後の調査で,小児の乳頭癌にこの変異が高率に認められたことから注目された。この変異は乳頭癌に極めて特異的な遺伝子異常とみなされ,他の組織型の甲状腺腫瘍では出現しない。現在まで,RET遺伝子再構成にはパートナー遺伝子の違いにより10種類以上の亜型が報告されている。中でも重要なのは,H4遺伝子との逆位(inversion)によるRET/PTC1と呼ばれる変異である。この変異は乳頭癌の10~30%に認められるが,近年の報告ではその頻度が減少している。われわれの検討では,RET遺伝子再構成は,20歳以上の成人から発生する乳頭癌よりも,19歳以下の若年者から発生した乳頭癌で頻度が高い。一方,ELE1遺伝子との逆位によるRET/PTC3は,乳頭癌の中でも若年者の充実亜型で高率に検出されることが知られている[]。

面白いことに,RET遺伝子再構成は,低分化癌では稀に認められるものの未分化癌では検出されない(表4)。このことから,RET遺伝子再構成が陽性の乳頭癌から低分化癌や未分化癌への脱分化(プログレッション)する可能性も極めて低いことが想定できる。術前遺伝子診断でRET遺伝子再構成が検出された乳頭癌は,乳頭癌の中でも脱分化低リスク腫瘍とみなしても良さそうである。

BRAF腫瘍>

BRAFV600E変異は,RET遺伝子再構成と同様に濾胞腺腫,濾胞癌では検出されず,乳頭癌で高率に認められる。RET遺伝子再構成との違いは,低分化癌や未分化癌でもかなりの頻度で認められることである。この変異は,濾胞型乳頭癌でも検出されるが,NIFTPでは一般的に少ない。

BRAFV600Eが陽性となる乳頭癌では形態的にも乳頭癌細胞の特徴的所見がよく揃っていることが示唆されている。また,乳頭癌の中でも丈が高い細胞からなる高細胞亜型で高いことも報告されている。このことは,BRAFV600E変異には,いわゆる遺伝子型-表現型相関(genotype-phenotype correlation)があることを指していると言えるだろう[13]。

BRAFV600E変異の陽性率は,若年者に発生する乳頭癌では少なく,成人に発生する乳頭癌では高率となる。一方,RET遺伝子再構成の頻度は,成人の乳頭癌よりも若年者の腫瘍でより高く見られることから,陽性率ではRET遺伝子再構成とBRAFV600E変異は逆相関する。また,Vuongらによるメタ解析によれば,乳頭癌におけるBRAFV600Eの変異率は,年代とともに徐々に高くなっている(RET遺伝子再構成は逆に低下)。われわれの研究室でも,BRAFV600E変異率は以前では50%くらいだったが,近年の報告では70%を超えている。一方,以前は30%程度だった乳頭癌のRET遺伝子再構成の頻度は,現在では10%前後には減少している。このことから,BRAFV600E変異が認められる腫瘍は悪性(乳頭癌)と言っても良い。また,BRAFV600E変異とRET遺伝子再構成の頻度を加算すれば,乳頭癌のほぼ80%がこれらの遺伝子変異を検出することで診断できてしまうことになる。

面白いことに,BRAFV600E変異は欧米人よりもアジア人でより高率である。その理由として食事(ヨードの摂取量)や人種などの影響が挙げられているが,もう一つの仮説としては,欧米では乳頭癌の中でも濾胞型乳頭癌(RAS突然変異が多い)の頻度が高いことも関係しているかもしれない。いずれにしても,地域によるBRAFV600E変異率の差の原因については,今も推論の域を出ていない。

以前よりBRAFV600E変異は乳頭癌の予後不良を示唆する遺伝子マーカーとされてきたが,近年の高い変異率(70%以上)を考えると,予後のマーカーというよりも乳頭癌のマーカーと言えると思う。ただ,BRAFV600E変異とTERTプロモーター変異のコンビネーション(Genomic duet)では予後不良であることが報告されている。一方,乳頭癌に比較すれば低率だが,低分化癌では5~15%,未分化癌では10~50%にBRAFV600E変異が認められる。

RAS腫瘍>

RASは低分子GTP結合蛋白で,多くの癌の発生に関与している。RASをコードする遺伝子には,HRASKRASNRASがあり,突然変異のホットスポットはいずれもCodon12,13とCodon61である。甲状腺ではNRAS遺伝子点突然変異(Codon61)は濾胞腺腫,濾胞癌で認められる。濾胞性腫瘍でのNRAS突然変異率頻度は20~50%であるが,濾胞腺腫での頻度(10~30%)よりも濾胞癌の頻度(30~50%)が高値である。従来言われている濾胞腺腫から濾胞癌という仮説が正しいとするならば,RAS遺伝子変異陽性の濾胞腺腫は,濾胞癌へ移行する可能性を有する腺腫とみなされるかもしれない。

NRAS遺伝子点突然変異は,濾胞性腫瘍の他に被包性濾胞型乳頭癌やNIFTP(non-invasive follicular neoplasm with papillary-like nuclear features)でも認められる。被包性濾胞型乳頭癌は,従来「診断者間でのバラ付きObserver variation」が高い腫瘍として知られ,さらにそれに伴って非浸潤性で乳頭癌の核所見を有する濾胞性腫瘍としてNIFTPが提唱された経緯がある。NIFTPは乳頭癌と濾胞性腫瘍の境界概念とされている。これらの腫瘍は,乳頭癌の所見を有していても,遺伝子異常から見れば濾胞性腫瘍に近いものである。

RAS遺伝子変異は低分化癌では20~50%,未分化癌では10~50%に認められる。これらの高悪性度腫瘍では,BRAF遺伝子変異も証明されるが,RAS遺伝子変異とBRAF遺伝子変異は相互排他的であり,同時に両者が存在することはない。

なお,RET遺伝子点突然変異を持たない髄様癌では1~20%にHRAS遺伝子突然変異が認められるが,HRAS遺伝子突然変異と予後との間には関連はなさそうである。

PPARG/PAX8腫瘍>

PPARG遺伝子の再構成は,濾胞癌の特異的遺伝子異常として注目された。この遺伝子異常は,PAX8-PPARGCREB3L2-PPARGの二つの融合遺伝子が知られている。濾胞癌では20~30%に出現し,濾胞腺腫では少ないとされている。しかし,われわれの過去の検討では,検索した濾胞でこの再構成が陽性となるのは極めて稀であった。この結果は欧米での頻度と大きな差があるので,濾胞癌での頻度についてはさらに検討する必要があるだろう。なお,PPARG遺伝子の再構成は低分化癌や未分化癌では極めて少なく,高分化癌の脱分化過程には関与しないのかもしれない。

APC腫瘍>

APC遺伝子変異は,大腸癌などでよく知られる遺伝子異常である。甲状腺では篩型乳頭癌にのみ検出される[14]。APC遺伝子変異が見られる篩型乳頭癌は,家族性大腸ポリポーシスに伴って出現する甲状腺腫瘍として報告されたが,その後,散発性(非家族性)例の発生も確認された。本腫瘍の特徴はやや若年者(20~30歳)に発生し,通常型と異なり転移することは稀である。また,ほとんど例外なく女性に発生する。APC遺伝子の突然変異により,Wint/β-Cateninシグナル伝達経路にあるβ-Cateninが,複合体を形成するAPCの異常により細胞膜に移行できず,細胞質に過剰に停留し,さらに核内に移行して腫瘍が発生する。甲状腺腫瘍の中での異常が報告されているのは本腫瘍のみである。

PAX8/GLIS腫瘍>

硝子化索状腫瘍は,その組織細胞所見(乳頭癌細胞核に類似)に加えて,約半数にRET遺伝子再構成が報告されたことから,乳頭癌の1亜型であるとする意見が根強く見られた。しかしながら,最近の次世代シークエンス法による解析で,ほぼ全例にPAX8-GLIS3ないしはPAX8-GLIS1の融合遺伝子が存在することが明らかになって,独立した腫瘍概念であることが証明された[11]。本腫瘍は遺伝子変異から腫瘍概念が証明された良い例と言える。

4.穿刺吸引細胞診検体の遺伝子検査(図7
図7.

甲状腺穿刺吸引細胞診と遺伝子検査

現在,日本における甲状腺結節の術前診断は,超音波検査と細胞診の2つがゴールデンスタンダードとなっている。細胞診による術前診断は,甲状腺癌取扱規約,甲状腺結節ガイドライン分類,ベセスダシステムなどの基準に従って診断されているが,いずれの分類でも判定困難な領域があることは周知の事実であろう[15]。すなわち「鑑別困難」,「判定困難」と呼ばれるカテゴリーである。また濾胞性腫瘍の良悪性は浸潤像の有無によって規定されているので,細胞診単独での「濾胞癌」の診断は不可能で,「濾胞性腫瘍:良悪性判定困難」のカテゴリーの中に止めざるをえないのが現状だ。一方,組織診断においても,濾胞性腫瘍と乳頭癌の鑑別,腺腫様結節と濾胞性腫瘍の客観的鑑別は困難である。近年,NIFTP[16]やWDT−UMP[17]などの境界概念が導入されたが,これとて診断者間で差があると言えるだろう。

癌における遺伝子検査は,それぞれの癌に特有な遺伝子の異常を検出することにより,その癌の組織型や進展度(予後)の診断,治療方針の決定するために行う。多くの他臓器の悪性腫瘍では遺伝子検査が行われているが,甲状腺腫瘍特に非髄様癌での遺伝子検査についてはまだ積極的には導入されていない。その大きな理由として,①髄様癌以外では家族性発生が極めて稀である。ご存知の様に多発性内分泌腫瘍症や家族性髄様癌以外では,篩亜型の乳頭癌などわずかに知られるだけである。②NGS(次世代シークエンス法)などの手法は研究室レベルでは可能だが,日本ではまだ一般に普及しているとは言い難い。しかし,最近はコマーシャルベースでのNΓS解析が可能となってきた。③経済的負担が大きい。海外ではかなり安価になってきたと聞いているが,日本での遺伝子検査はまだ高価である。④遺伝子検査の結果が,治療法や治療薬の選択に有用な情報をもたらすことが理想的だが,まだそのリンクは乏しいと言って良い。

幸いなことに,細胞診に用いられるアルコール固定は,フォルマリン固定よりも核酸の保存が良好であるので,細胞検体は遺伝子検査に向いている。また,採取された検体では,目的とする腫瘍細胞以外の細胞も同時に採取されるが,現在は遺伝子検査の感度がかなり高くなっている。ちなみに,現在用いられているAllele Specific PCR法では,1,000個中1個の腫瘍細胞があれば検出可能だとされている。

細胞診材料での遺伝子検査の過程を図に示したが,従来の形態細胞診で,良性,悪性と診断されたものは良いが,鑑別困難の部分については,遺伝子検査が有用になる。すなわち,細胞診で鑑別困難と診断されたもので,遺伝子異常が証明されれば腫瘍として扱い,遺伝子異常の種類によって乳頭癌,濾胞性腫瘍と診断されることになる。

5.分子標的治療薬(図8
図8.

MAPK経路と分子標的治療薬

2014年以降,甲状腺癌に対する分子標的治療薬が次々と承認されてきた(図8)。分子標的治療薬の多くは血管増殖因子受容体(VEGFR),上皮細胞増殖因子受容体(EGFR),線維芽細胞増殖因子受容体(FGFR)の働きを抑制することを目的とするが,BRAF突然変異,RET突然変異,RET再構成などの働きを抑えるものもある[18]。残念ながら,RAS遺伝子突然変異に対する治療薬は現在でもない。

6.まとめ

「腫瘍は遺伝子の病である」という基本的視点から,従来の甲状腺腫瘍分類を遺伝子変異の違いから整理してみた。本稿での分類は,まだ不十分と思われるが,甲状腺腫瘍の発生や進展(プログレッション)を理解するには有用であろうと思われる。消化器癌や血液癌の様に,これからの甲状腺腫瘍分類には少なからず遺伝子変異情報が導入されることは論を待たないところであろう。

【文 献】
 

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