症例は70代の男性,胸部CT検査で気管を右側に大きく圧排する縦隔内甲状腺腫を認めた。甲状腺左葉腫瘤の圧排により呼吸困難症状を認めたため,手術を施行した。左葉は頸部操作のみで摘出しえた。病理学的には腺腫様甲状腺腫を背景にWHO分類のWDT-UMP相当の腫瘍がみられた。本邦の甲状腺癌取扱い規約では,濾胞腺腫の診断となると考えられる。遺伝学的検索でRAS変異がみられたが,良悪性の確定は困難であった。術後経過観察中の2年半後に肺転移を強く疑う陰影が出現した。境界型悪性腫瘍と思われる腫瘍については慎重な経過観察を要する。
縦隔内甲状腺腫は,一般に病変の50%以上が縦隔内に存在する甲状腺腫瘤[1]と定義され,全縦隔腫瘍に占める発生頻度は本邦では2.8~4.7%といわれる[2]。組織学的にほとんどは腺腫様甲状腺腫であるが,悪性腫瘍の合併も報告されている。
WHOの第4版内分泌腫瘍分類(2017年)[3]では,甲状腺の被包性濾胞型腫瘍の一部に新たに境界悪性腫瘍の概念,即ち乳頭癌様の核を有する非浸潤性甲状腺濾胞型腫瘍(NIFTP),悪性不明の高分化腫瘍(WDT-UMP),悪性不明の濾胞型腫瘍(FT-UMP)が導入されている。一方,本邦の第8版甲状腺癌取扱い規約(2019年)[4]では,境界悪性腫瘍を良悪性のいずれかに振り分ける立場をとっている。
今回われわれは縦隔内甲状腺腫の結節の一つがWHO分類のWDT-UMP相当の組織像を呈し,経過観察中に肺転移を強く疑う症例を経験した。遺伝子検査では結節の一部にRAS変異がみられたが最終的に良悪性の判定が難しく,術後経過観察とした。境界悪性腫瘍の診断ならびに治療方針上の問題点を理解する上で貴重な症例と考えられることから報告する。
症 例:70代 男性。
既往歴:右視床脳梗塞,右腎臓萎縮。
家族歴:特記すべきことなし。
現病歴:201X年に眩暈・耳鳴りで前医を受診した。耳鳴りの経過観察中に下を向いた際に呼吸困難を訴えたため,胸部CT検査を施行したところ,気管を右側に大きく圧排する腫瘤性病変が認められ精査目的に当科紹介受診となった。
初診時現症:左前頸部に弾性軟の長径5cm大の腫瘤を触知した。可動性は良好,圧痛は認められなかった。
血液検査所見:BUN;34.2mg/dl,血清クレアチニン;1.76mg/dl,eGFR;30.0mLmin/1.63m2,サイログロブリン;9,670ng/mL,TSH;0.8IU/mL,fT4;0.85ng/dL,fT3 2.39pg/mL。
画像所見:胸部エックス線写真では,腫瘍により気管が右側に大きく偏位していた(図1)。頸部エコーでは,甲状腺左葉に63×32mmの腫瘤が認められた。上極では二つの結節が接して存在していた(図2)。頸胸部CTでは甲状腺左葉から縦隔へ進展し,気管を右側へ高度に圧排する9.0×8.0×5.0cmの腫瘤が認められた。冠状断・矢状断では大動脈弓直上の高さに至る腫瘤が認められたが周囲臓器への浸潤所見や気道狭窄は認められなかった(図3)。

胸部レントゲン写真
腫瘤によって気管が大きく右側へ偏位している。

頸部超音波検査
甲状腺左葉に二つの隣接する腫瘤を認める。

頸胸部CT写真
腫瘤の主体は縦隔で,甲状腺左葉に連なり気管を右へ圧排し,冠状断・矢状断で腫瘤は大動脈弓直上まで認められる。
腫瘤穿刺による腫瘤内出血からの気道狭窄のリスクを考慮し穿刺吸引細胞診は施行しなかった。
左縦隔内甲状腺腫と診断し,頸部襟状切開による甲状腺左葉峡切除術を施行した。手術時間は2時間23分,出血量302g,術中・術後経過に特に問題は認めなかった。
摘出標本肉眼所見:甲状腺左葉に連なる縦隔内腫瘤は表面平滑,弾性軟で,腫瘤内に2つの隣接する結節が認められた。それぞれ最大径7.5cm(結節A)と2.8cm(結節B)であった。結節Aの割面は充実性で白色調の領域が不規則にみられた。結節Bの割面は褐色でコロイド状であった(図4肉眼像)。

摘出標本の肉眼像
隣接する最大径7.5cmと2.8cmの腫瘍からなりいずれも被膜で覆われている。割面は褐色調と白色調を呈する領域が認められる。
病理組織学的所見:組織学的に2つの結節はともに薄い線維性被膜に覆われていたが,部分的に不完全であった。結節Aは被膜浸潤はないが,不整分葉状であった(図5ルーペ像)。大部分は大小の不整形濾胞からなるが(図6a),乳頭状構造がみられた(図6b)。結節Aの一部は濾胞の密な増殖からなり,充実性に近い増殖パターンを示した(図6c)。濾胞細胞の核は軽度腫大し,軽い核形不整,ごく少数の核内封入体が認められた。乳頭癌を疑う核所見Score2相当と判断された[5]。また,部分的に核分裂像が目立ち(図6d),MIB-1 indexは2~3%と他の部分と比較して高かった(5~10個/10HPF)。結節Bは比較的小型の濾胞の増生からなっていた。細胞質は好酸性から淡明で,核の大小不同がみられたが,乳頭癌様の核異型は認めなかった(図7a,b,c)。結節Aも結節Bも被膜外への浸潤や血管浸潤はみられなかった。背景甲状腺にも濾胞の結節性増殖がみられ,濾胞の大小不同,形状不整が目立った。

結節Aの一部のルーペ像
非異型部が図6で示すa,b,異型部がc,dである。

組織学的所見(結節A)
a,b)結節Aの90%は大小さまざまな濾胞の増生がみられ腺腫様甲状腺腫の所見である。
c,d)異型部は濾胞構造のない策状,島状ないし充実性の増殖パターンを認める。
核分裂像が散見される。

組織学的所見(結節B)
繊維性の皮膜に覆われ,小型の濾胞が密に増生している。濾胞上皮細胞の細胞質は淡好酸性から淡明であり乳頭癌の核異型は明らかではない。
免疫組織化学的ならびに遺伝学的所見:免疫組織化学的に,結節Aの充実性増殖部分(異型部)で,乳頭癌の参考指標のCK19とHBME-1は陽性だったが,BRAFV600EとP53蛋白は陰性だった(表1)。また,甲状腺分化の指標であるTTF-1(図8a),PAX8(図8b),サイログロブリン,Pendrin,NIS,CD56の発現は減弱していた。ホルマリン固定パラフィン包埋標本(FFPE)の各部位からDNAを抽出し,BRAFとNRASの点突然変異の有無を,PCRダイレクトシークエンス法にて解析した。その結果,結節A異型部の密な増殖部分でNRAS-Q61R変異が認められた。BRAF 変異は結節A,Bと背景甲状腺のいずれでもみられなかった(図9)。また,FFPE標本からRNAを抽出しRET/PTC-1,-3とPAX8/PPARγの再構成の有無をRT-PCR法にて解析したが,いずれもの部位でも再構成は認めなかった。

免疫染色のまとめ

免疫染色
a.TTF-1 腺腫様甲状腺腫の部分と小さい結節で染まり,異型部では減弱している。
b.PAX-8 腺腫様甲状腺腫の部分でわずかに染まり,結節Bでは減弱しており,異型部ではさらに高度に減弱していた。

NRAS遺伝子シークエンス結果
結節Aの異型部でQ61Rの変異を認める。
病理組織学的に結節Aは取扱い規約の分類では,明らかな被膜浸潤がないことから濾胞腺腫と診断される。しかし,分葉状形状で被膜が部分的に不完全であり,乳頭状構造や乳頭癌類似の軽い核異型がみられることから,WHO分類では境界悪性腫瘍のWDT-UMPに相当すると考えられる。遺伝学的にはRAS遺伝子の変異を有していた。また,結節Bは被膜が不完全で周囲に結節性変化がみられたことから腺腫様甲状腺腫結節と診断した。最終的に結節Aの良悪性の判定が難しく,WDT-UMP相当の腫瘍を伴う縦隔内甲状腺腫と診断し,術後経過観察となった。術前のサイログロブリン値9,670ng/mLは術後3カ月で277ng/mLまで減少したが,その1年後には984ng/mLと再上昇を認めた。厳重な経過観察を必要としたがCOVID-19の影響で通院が滞った。さらに術後2年半のサイログロブリン値は1,825ng/mLでさらに上昇を認め,胸部CT画像で両側肺野に大小多数の境界明瞭な類円形の結節陰影が出現し,臨床的に肺転移と診断した(図10)。

胸部CT写真
両側肺野に大小多数の境界明瞭な類円形の結節陰影を認める。
縦隔内甲状腺腫は多くは無症状で経過し,検診の胸部レントゲン写真などで偶然発見される。一方で気管や喉頭の変異・圧排による呼吸困難感や反回神経麻痺による嗄声,上大静脈症候群などの報告もある[6~8]。縦隔内甲状腺腫は増大すれば気管,食道などの周囲臓器を圧排し症状を呈すること,また縦隔内への進展が進行すれば胸骨正中切開を要し,侵襲が大きくなるため手術適応とされることが多い。組織学的診断はほとんどが腺腫様甲状腺腫であるが,縦隔内甲状腺腫の悪性腫瘍合併率は7.7%から高いもので25%に認めると報告されている[7~12]。本症例も腺腫様甲状腺腫の一部に密な増殖領域を認め悪性腫瘍の合併を疑った。
甲状腺の濾胞上皮性腫瘍の良性と悪性の病理組織学的診断は浸潤性増殖と乳頭癌の核所見の有無を根拠になされる。2017年に発刊された内分泌腫瘍のWHO分類[3]では,甲状腺の被包性濾胞型腫瘍において,悪性度不明または悪性度の極めて低いと考えられる腫瘍の一群に対して,NIFTP,WDT-UMP,FT-UMPの3種の境界悪性腫瘍の診断カテゴリーが導入されている。本邦の第8版甲状腺癌取扱い規約(2019年)[4]では,甲状腺の良悪性の判定基準がより厳密に規定され,WHO分類の境界悪性腫瘍は良悪性のいずれかに振り分ける[13]。またWHO分類では,遺伝子学的な所見が記載され,乳頭癌はBRAF変異があるものとRAS変異があるものに分けられ,後者は濾胞成分が優位であることが示されている[5]。被包性濾胞型腫瘍はRAS変異がある確率が多いが,RAS変異は濾胞腺腫でもみられることから,良悪性の鑑別はできない。
本症例は縦隔内甲状腺腫で,腺腫様の2個の結節を伴っていた。このうち密な増殖がみられた結節Aは線維性被膜で囲まれ明らかな浸潤性増殖がないことから,取り扱い規約の分類では濾胞腺腫と診断される。しかし,結節Aは不整分葉状で,被膜が部分的に不完全であり,一部で乳頭状の構造やScore 2の乳頭癌を疑う核所見を示すこと,さらに細胞分裂像がみられ増殖活性が高いこと,免疫組織化学的には分化形質の低下がみられることなどから,WHO分類のWDT-UMPとするのが妥当と考えられた。また,遺伝子異常の検索では結節Aの一部にNRAS-Q61Rの変異が認められた。RAS変異はScore 2の乳頭癌を疑う核所見を示す境界悪性腫瘍[14~16]に高率でみられることが報告されており矛盾しないと考えられる。本症例は術後2年半までにサイログロブリンが徐々に再上昇を認め,さらに画像検査で両側肺野に大小多数の境界明瞭な結節が出現し,臨床的に肺転移と診断している[17]。前述の如く境界型悪性腫瘍はチェルノブイリ原発事故後の検討で定義された新たな概念のため[3],症例の集積検討は少ない。米国での検討では,境界型悪性腫瘍の症例は良性として経過観察され,多くは再発を認めず,遠隔転移例はない[18]。取り扱い規約では採用されていないため,本邦で境界悪性腫瘍の検討はないが,術後経過観察中に遠隔転移をきたした濾胞腺腫の症例報告は認められている[19,20]。本症例のように,取扱い規約上は濾胞腺腫だが,WHO分類の境界型悪性腫瘍,特にWDT-UMPに相当するものの一部には遠隔転移をきたす症例があると考えられ,慎重な経過観察が必要と考えられる。
学会発表にあたり癌研有明病院病理部の千葉知宏先生,大阪市立大学大学院医学研究科医学部法医学教室の廣川達也先生にご指導いただきました。感謝申し上げます。本症例は第23回日本臨床内分泌病理学会学術総会(2019年10月5日,東京)において発表した。