抄録
本研究では,長野県佐久地域を事例に,スケートリンクやスピードスケートの競技者の減少の後,小学生競技者を取り巻く育成基盤がどのように変化したのかを,スケートリンクの分布およびその役割の変化,育成主体が基盤とする地域範囲の変化の2 点から明らかにした。1990 年頃を境に,佐久地域内ではスケートリンクの数が大きく減少し,少数の人工リンクへと競技者の練習拠点が移行した。減少したスケートリンクの多くは小学校区に1カ所以上存在した天然リンクであった。また,育成主体は各小学校の授業やスケートクラブであったが,人工リンクの台頭および天然リンクの減少もあって,佐久市や南佐久郡の北部の町村では各小学校での育成機会は減少し,地域横断型クラブへと育成主体が集約された。一方,南佐久郡の南部では,小学校を基盤とする育成主体が存続している。この背景として小学生競技者の保護者の職業により異なる時間的制約の存在が指摘できる。