京都御所紫宸殿前庭に植栽される「右近の橘」は,左近の桜と一組になり様々な宮廷儀式を行う正殿において重要な役割を担ってきた歴史的景観要素である.しかしその歴史的変遷は明らかにされておらず,現存個体の状態や維持管理の実態も十分に整理されていない.本研究は,文献調査と現地調査にもとづき,右近の橘の起源から江戸末期までの歴史的変遷と,現在の生育状況および維持管理の実態を整理し,歴史的景観の維持に文化的側面がどのように影響を与えたかを明らかにすることを目的とした.また,勅定による改植の儀礼の様子を日本画にして再現することを試みた.文献調査の結果,右近の橘は平安京遷都以前から当地に存在した橘樹を,内裏造営に際して伐採せず残したことに由来することが示された.その後,火災や戦乱が増加した平安後期から近世初期にかけては記録が乏しいものの,古代日本の思想および文化に対する関心が高まり始めた江戸時代後期には再び宮中の記録が残されるようになった.江戸後期の約70年間には少なくとも8回の改植が行われており,改植は勅定にもとづく正式な宮廷儀式として実施されていた.現存する個体は1858年(安政5年)に京都学習院から移植された高齢木であり,現地調査により,主幹1本・ひこばえ2本・幼木1本から構成されることを確認した.さらに,後継樹は修学院離宮・桂離宮・京都仙洞御所に計29個体が栽培されていることが確認された.現在は右近の橘の種子由来の実生を育成することで,右近の橘の系統保存が図られている.加えて,1804年(文化元年)の改植再現図を作成し,右近衛府の武官が儀礼装束で参列するなど,改植が正式な儀礼として実施された様子を可視化した.右近の橘は,文化的・制度的実践が現在の景観に長期的影響を及ぼす遺産効果の事例であり,江戸時代後期の頻繁な冬季改植は,文化的・慣習的規範が生態的合理性に優先し,管理のあり方を固定化するロックイン効果の影響が生じていた可能性を示唆した.一方,現代の管理では,従来の制度的継承に加えて,現存個体の系統を次世代へ継承しようとする管理へと変化しつつある.