法制史研究
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清代の「罰金」と地方財政
喜多 三佳
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キーワード: 罰金, 罰銀, 没収, 清代, 地方財政
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2006 年 2006 巻 56 号 p. 87-108,en8

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抄録

本稿の目的は、清代中国において、法に規定のない「罰金」刑が、なぜ、どのように存在したのか、それが社会的に果たしていた役割は何なのか、を明らかにすることである。中国古代の法典には罰金規定があったが、隋唐以降、このような規定は法典から消えてしまった。一方で、清代の史料を見てみると、「罰銀」「罰米」「罰穀」といった言葉が散見し、軽微な犯罪について、これらが徴収された事例も決して珍しくない。本稿では、これらの罰を総括し、また清末の近代的刑法典以降の罰金刑と区別するために「罰金」と表記した。
『刑案匯覧』には、官吏が「罰金」を取ったことでとがめを受けた事例が数件載せられている。問題になったのは、主として、上司に報告せずに、多額の「罰金」を科したケースであった。「罰金」の徴収をめぐっては、何度か皇帝の判断も示されているが、そこで問題にされているのは、官吏が私腹を肥やしたことや、「罰金」を科した相手が自殺するというような重大な結果を引き起こしたことであり、「罰金」を取ることそのものについての批判は、ほとんど見られない。
本稿では、康煕末年の浙江省天台県の行政記録である『天台治略』を例として、県レベルで徴収された「罰金」及び没収品が、どのように利用されていたか、という点を中心に考察した。さらに、財物の没収や「罰金」が、どのくらいの頻度で科せられたか、一件あたりの金額はどのくらいか、という点について仮説を立て、没収や「罰金」による収入は、州県の財政に大いに寄与できる規模だったとの推計も行った。

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