2017 年 37 巻 p. 456-463
目的:日本人の「終末期がん患者のスピリチュアルペイン」の概念を明らかにすることである.
方法:日本国内の文献を対象に,Rodgers & Knafl(2000)の概念分析方法を用いて分析した.
結果:7つの属性:【意味への問い】【死に対する不安】【尊厳の喪失】【罪責意識】【現実の自己への悲嘆】【関係性の喪失】【超越的存在への希求】,2つの先行要件,4つの帰結が抽出された.
結論:本概念は,「終末期がん患者が,生命の危機の恐怖や病気の進行による身体機能の衰えに伴い無力感を抱くことによって,生きること・存在すること・苦悩することの意味,死への不安,尊厳の喪失,罪責意識,現実の自己への悲嘆,関係性の喪失,超越的存在への希求等について問い続けざるを得ない苦痛」と定義された.これは,欧米のそれと多くは共通しており,人間の根源性に関わるものであった.日本人の特徴は,属性の【尊厳の喪失】と強く結びついていた排泄行動と,帰結における【複雑な様相性】を示す表現方法にあることが考えられた.
近年,終末期(医師が客観的な情報を基に,治療により病気の回復が期待できないと判断した時期)にあるがん患者のケアにおいて,QOL(Quality of Life)とともにQOD(Quality of Death)に対する関心が高まっている.QOLおよびQODへのアプローチを検討する際に重要となる概念に“Total pain”(全人的苦痛)がある.Saunders(1964)によって提唱された“Total pain”には身体的苦痛,精神的苦痛,社会的苦痛とともにスピリチュアルな問題が含まれている.これらの中で身体的・社会的・精神的苦痛に関しては,薬剤やカウンセリング等のチームアプローチによる苦痛緩和が期待できるようになった.しかし,スピリチュアルな問題に関しては,解決に向けていくつかの試みが行われているものの(窪寺,2008;Taylor, 2002;他),方法論が確立されるまでには至っていない.看護の領域では,日本でも使用されている,北米看護診断協会の看護診断名の中に“Spiritual Distress”がある.診断名は3年ごとに見直されており,“Spiritual Distress”は,2009~2011年版では霊的苦悩と訳されていたが,2012~2014年版では「スピリチュアルペイン」に変更されている.変更理由には,「英語で“Spiritual Distress”と“Spiritual pain”が同義語とされており,日本ではこの現象をスピリチュアルペインとして表現することが多い」とある(本田ら,2013).こうした変更は,欧米における文化を基盤とした考え方であるスピリチュアルペインが,我が国の看護師に十分に理解されていないことの表れとも言えるのではないか.
また,終末期の患者は,治療の終了を告げられた時に医師から見放されたという思いや死の恐怖を間近に感じることで人生の危機的状態に陥ることが考えられる.それは彼らのかけがえのない人生の最終段階において,早急かつ適切な支援が求められている時と言えよう.
先行研究では,森田ら(2001)が欧米の文献のみを対象に,霊的・実存的苦痛に関する系統的レビューを行なっている.しかし,日本の文献に限定したスピリチュアルペインのレビューは行なわれておらず,その概念は明らかにされていない.スピリチュアルペインは,歴史,社会文化,国民性等の影響を受けやすいことから,海外文献のみを対象とした分析結果そのまま我が国で適用するには限界があると考えた.そこで,本研究は研究対象を日本国内文献に限定し,海外文献との比較検討は行わないことにした.
よって本研究の目的は,日本人の終末期がん患者のスピリチュアルペインについて本邦文献に限定した概念分析を行ない,概念を明確化することである.
本概念の分析には,流動的で時間的経過や社会背景など文脈により概念が変化するという哲学的基盤をもつ,Rodgers & Knafl(2000)のアプローチが適切であると判断し,これを使用した.
1. データ収集データベースは医学中央雑誌,CiNiiWeb,JdreamIIIWebを用いた.検索語は(「スピリチュアルペイン」or「霊的苦痛」or「霊的苦悩」)and(「終末期」or「進行期」)and「がん」とした.検索条件は,2016年までの出版,原著論文,抄録ありとし,会議録と症例報告は除外とした.医学中央雑誌103件,CiNii 28件,JdreamIII 17件の論文が抽出された.その内,家族,小児を対象としたもの,他のデータベースとの重複,概念の記述がない論文を除外し,最終的には28件を分析の対象とした.さらに,ハンドサーチで研究目的に合う論文12件に書籍12冊を加え,最終的に計52件を分析の対象とした.
2. データ分析方法文献ごとにコーディングシートを作成し,概念を構成する属性,先行要件,帰結等に関する記述を抽出し分類した.コード化したデータの共通性と相違性を考慮しカテゴリー化した.次にカテゴリーの関連性を構造化し,概念モデルを作成した.分析の妥当性確保については,著者を含む博士課程の院生3名で意見交換をした上で,看護理論の研究者ならびにがん看護の専門家によるスーパーバイズを受けた.
本概念の先行要件,属性,帰結の概念モデル図を図1に示した.
日本人の「終末期がん患者のスピリチュアルペイン」の概念モデル
7カテゴリーと17のサブカテゴリーが抽出された(表1).なお,カテゴリーは【 】,サブカテゴリーは〔 〕で示した.
〔生きることの意味への問い〕〔存在する意味への問い〕〔苦難の意味への問い〕で構成されていた.「『これじゃ生きていても意味がない』と人生の意味や目的を失って苦悩する」(田村,2012)等,人間として生きることの意味や存在の価値,苦難の意味に対する問いであった.
2) 【死に対する不安】死を意識することにより生じる,〔死そのものへの不安〕〔死への過程の不安〕〔死後の不安〕であり,初めて経験する死に関連した不安であった.
3) 【尊厳の喪失】〔依存することのつらさ〕〔自尊感情の喪失〕から成る.「病状の悪化に伴う身体機能の低下,特に排泄が自立できなくなる」(三澤ら,2005)など.自立/自律が困難になることで,日常生活行動等を他者に依存しなければならない自分に対して情けない思いや恐れの感情を抱き,自己否定や自尊心の低下をきたすことで,人間としての尊厳が失われていくこと等が含まれていた.
4) 【罪責意識】〔役割を果たせない申し訳なさ〕〔後悔の念〕〔応報的刑罰感〕で構成され,他者の迷惑になる,役割を果たせない,人生への後悔,罪への報いとしての病,等があった.
5) 【現実の自己への悲嘆】〔現実と対峙する苦痛〕〔悲観〕から成り,自分が思い描く姿と現実とのギャップに苦痛を感じることや,希望の喪失等が含まれていた.
6) 【関係性の喪失】〔他者との距離〕〔孤独〕から成り,「他者との関係性を喪失することにより虚無・孤独を感じる」(村田,2002,2010)等,他者との親密な関係性を維持することが困難になることで孤独を感じ,やがて別れなければならない死が訪れる辛さを含んでいた.
7) 【超越的存在への希求】〔自己を超えた存在への意識〕〔神への希求〕で構成されており,神や宗教など,それまであまり関心をもつことがなかった,人間や現世を超越した世界に対する意識の高さと関連していた.
2. 先行要件2カテゴリーと4のサブカテゴリーが抽出された(図1).
1) 【生命の危機】〔生命の危機的状態〕〔時間的切迫の危機〕から成り,「医師から本人に,積極的な治療は行なえないと余命をつげられる」(植村ら,2010),「残された日々が少ないという人生の危機に直面する」(草島ら,2014)等.生命の危機と日常生活行動を通して自分らしくあり続けることへの時間的な危機に関連していた.
2) 【無力感】〔病状の進行による身体機能の衰え〕〔症状緩和の困難さ〕があり,「体が少しずつつらくなり,日によってさまざまな症状も出て,すっきりしない日々を過ごす」(沼野,2008)等,身体の衰弱,症状緩和の困難さの増大に伴い,自分の意思で身体をコントロールできなくなることへの無力感があった.
3. 帰結4カテゴリーと9のサブカテゴリーで生成された(図1).
1) 【苦痛からの逃避】〔生きることからの逃避〕〔虚無感〕から成っていた.「生きることより死を望む」(窪寺,1996),「何をしたいか思いうかばない,なにもする気にならない」(河,2005)等,苦痛から逃れたいという思いが強くなり,生きることに価値や意味を見いだせず,虚しさを感じていた.
2) 【超越の可能性】〔新たな希望〕〔生きることの再構成〕から成り,「自己の存在を改めて認識し,生きることの尊さを意識する」(田村,2002)等,病を経験したことで,ものごとの捉え方が変化したり,新しい希望あるいは新たな人生の意味を見出したりすること等に関連していた.
3) 【執着心】〔諦められない思い〕〔信念へのこだわり〕から成り,「家族と別れたくない,もっと生きていたいと願う」(小澤,2008)等,諦観することの困難さに関係していた.
4) 【複雑な様相性】〔怒りの様相〕〔甘えの様相〕〔表出されない様相〕から構成されており,「怒りを表す」(三橋・戸田,2011),「看護師に甘える」(植村ら,2010),「依存的態度が強くなる」(三橋・戸田,2011),「目には見えない.目の前にいる人全体から聴き取り,感じ取るもの」(岡本,2014),「言葉で明確に表されるものばかりではなく,間接的な言葉などを通じても表現される.非言語的メッセージ」(小楠ら,2007)等,スピリチュアルな思いや感情の表現方法であり,複数の非言語的メッセージを含む表現や他者が感じたり察したりすることによって理解されるといった,複雑な様相があった.
4. 日本人の「終末期がん患者のスピリチュアルペイン」の定義概念分析の結果から,日本人の「終末期がん患者のスピリチュアルペイン」は,「終末期がん患者が,生命の危機の恐怖や病気の進行による身体機能の衰えに伴い無力感を抱くことによって,生きること・存在すること・苦悩することの意味,死への不安,尊厳の喪失,罪責意識,現実の自己への悲嘆,関係性の喪失,超越的存在への希求等について問い続けざるを得ない苦痛」と定義した.
本研究で得られた属性は,森田らによって明らかにされた欧米の終末期がん患者の霊的苦痛(spiritual pain)・実存的苦悩(existential distress)の要素である「意味・目的・希望のなさ」「死・死後に関する恐れ」「自己価値観の低下」などと類似していた.すなわち,生きることと死ぬことに関する苦悩は,国や文化に関わらず,人間に共通してみられる根源的な問いであると言えよう.
一方で,我が国の社会文化や歴史的影響を受けた日本人的なスピリチュアルペインとは何であろうか.それは属性の【尊厳の喪失】,とりわけ排泄ケアを他者に依存することの苦痛を思案したい.Chochinov et al.(2002)の欧米における調査によれば,終末期がん患者の尊厳が傷つくことと深く関連していたのは,自分が他者にどのように映っているのかという「個人の見栄え」(personal appearance)であった.これに対して,本研究では,「トイレに行けないという状況に直面したとき心のつらさがピークとなる」(新城,2015),「排泄に関する苦痛が最も多かった」(三澤ら,2005)など,日本人にとっては排泄行動の自立が人間としての尊厳を保つ最後の砦として捉えられていることが示唆された.人間にとって最もプライベートな排泄行動を他者に委ねることは,恥を重んじる日本人にとって尊厳を脅かす重大な問題であると言えるだろう.
また,帰結における【複雑な様相性】にも日本人の自己の特徴が反映されているといえよう.「相手との一体感を求め他者の心を察することを重要視する」(高田,2004)ことは,日本人が身近な人との関係性を慮って自己を表現する傾向があるということではないだろうか.本研究では表現方法に焦点をあてた文献は見あたらず,〔怒り〕〔甘え〕〔表出されない〕の三様相のみが抽出された.言葉で表現しようとするよりも,言葉にならない感情を「察すること」や「間」「沈黙」を通して表現しようとする日本人独特のコミュニケーションが他にもあると考えられるが,それは今後の検討課題としたい.
以上,本概念は【意味への問い】【死に対する不安】【尊厳の喪失】【罪責意識】【現実の自己への悲嘆】【関係性の喪失】【超越的存在への希求】等の属性から構成され,人間の根源に関わる普遍的な要素で構成されていた.これは,終末期がん患者のQOL及びQODを高めるケア開発のために,概念を活用できるという点で有用性が示唆される.また,日本人的な特徴として,属性における【尊厳の喪失】と強く結びついていた排泄行動と,帰結における【複雑な様相性】を示す表現方法が今後の検討課題として挙げられる.
2. 本研究の限界と今後の課題本研究の結果には,分析対象の文献の範囲という限界がある.今後は日本文化や国民性の更なる検討や欧米やアジア,特に東アジア等の国々との比較検討により,日本人独自の本概念の特徴について検討していく必要性がある.
1.日本人の「終末期がん患者のスピリチュアルペイン」に関する日本国内の文献を対象に,Rodgers & Knafl(2000)の概念分析の方法を適用して検討した.その結果,7つの属性,2つの先行要件,4つの帰結が抽出された.
2.本概念は,欧米のそれと多くが共通しており,人間の根源性に関わるものであった.その中でも日本人の特徴としては,属性の【尊厳の喪失】と強く結びついていた排泄行動と,帰結における【複雑な様相性】を示す表現方法にあることが考えられ,今後の検討課題とする.
謝辞:本研究においては,慶應義塾大学大学院健康マネジメント研究科の諸先生方,同志の皆様,その他多くの方々にご指導ご鞭撻を賜りました.この場をお借りして御礼申し上げます.
利益相反:本研究における利益相反は存在しない.
著者資格:SYは,研究の着想およびデザイン,文献の収集分析,解釈,結果,原稿作成の研究全般にわたり,共著者の指導助言を受けて執筆した.MMは,研究プロセスへの助言,データの分析と解釈に関与して,原稿の準備で援助し加筆修正した.論文の最終版は,両著者に承認された.