日本看護科学会誌
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論壇
「一事例研究」が有する看護学への貢献
柄澤 清美
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2021 年 41 巻 p. 718-722

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Abstract

看護学における一事例研究の利点は,意味ある成果からの遡及推論により焦点化した検証が出来ること,看護実践の背景を描くことが出来て場面に応じた具体的実践のヒントを示せること,物語性によって読者を触発できることである.

これらの利点は,一回性の実践によって産み出された看護実践の妙技に含まれるフロネーシス(実践知)を顕在化させるのに役立つ.近代的科学観においては「観察や実験など経験的方法に基づいて実証された法則的知識」を重視している.一方,看護は対象の個別的ニーズに対応する特徴を持っており,実践において科学的知識を基盤としながらも,即興的・偶発的に個別に対応しつつ,フロネーシスを生みだしている.「理論と実践の実りある関係」を形成するためには,フロネーシスを掬い取り,蓄積していく取り組みが必要であり,一事例研究は,それに貢献できると考える.

Translated Abstract

Single-case research in nursing science has a number of benefits. First, it can provide a focused verification by retroactive reasoning from the time point when a good outcome is confirmed. In addition, it can provide hints regarding nursing practice according to situation, by describing the background of actual nursing. Finally, it can evoke the emotions of readers through narratives that describe a course of events.

These benefits help to bring to light the phronesis (practical wisdom) that is contained in the nursing prowess generated through one-time practice. Modern science places an emphasis on “nomothetic knowledge demonstrated based on empirical methods such as observation and experiments.” However, nursing requires responses to individual needs, and although it is based on scientific knowledge in practice, it creates “phronesis” through improvisatory and incidental responses. In order to build a “fruitful relationship between theory and practice,” it is necessary to retain and accumulate phronesis, and I believe that single-case research can contribute to this process.

Ⅰ. はじめに

「ケアの意味を見つめる事例研究」(山本,2018)は,現場発の看護実践知の発見・蓄積を意図している.この研究方法を用いて研究した看護師からは,自身の実践と内省的に向き合い知見を言語化する経験は有意義だった(柄澤,2018)と好評を得ている一方,学術誌からは一般化可能性や再現可能性等の証明困難から評価されにくい現状がある(齋藤,2020).

池川は,実践の学としての看護学を志向するためには「あらかじめ看護師側の思惟によって,ある枠組みを患者にあてはめるという方法でなく,あるがままの相手のなかに,その必要性を見出していく看護の特徴を了解することが求められる」と指摘している(池川,1991).すなわち,看護実践は一回性と文脈性を特徴とし,対象が置かれている状況における最善を模索しながら知を創出している.そして山本は,そのように創られる「知」についての査読基準は実証主義に基づく研究とは趣が異なるとして,触発性(Inspirability)という基準を提案している(山本,2020).

アリストテレスは,実践にかかわる代表的な「知」として思慮深さを意味するフロネーシスを置いた.それは,「人間の善にかかわる行為の領域における,分別をそなえた真なる性向」をもつ「知」と説明されている(Aristotle, 1894).対象の個別状況に応じて即興的に行為される看護実践は,フロネーシス(実践知)の「現れ」であるといえる.

本稿は,一事例研究にはフロネーシスを明らかにするうえで有利性があることを,ひとつの事例研究の経験に依拠しながら説明するものである.その有利性が一事例研究のどのような利点によるものであるかについて,文献を参照しながら事例研究の経験を振り返り検討する.その上で一事例研究の学術的評価を問うものである.

Ⅱ. 素材とした事例研究

素材とした事例研究は,「自分を伝えないAYA世代終末期患者の残された『今』を支えた看護―語りあえない家族をゆさぶる―」(土本ら,2021)である(以下この事例を「Aさんの事例」と称す).対象は病状説明がなされていないAYA世代の自己主張が極端に少ないターミナル患者であった.両親の手厚い庇護を背景に,疼痛コントロールのためのレスキューのタイミングを聞いても,「それがわからない,決められない」と痛みに耐えている状況へのアプローチに悩みながら根気強く関わり続け,観察したことをチームで共有してAさんの心情を慮り,ここぞというときに切り込んだ問いかけをしたことで徐々に本人の意思表明が増え,苦痛の増強を見かねた両親が持続鎮静を希望したときには,本人の意向を確かめ持続鎮静を延期するに至った事例であった.なお,Aさんの事例研究は,所属施設の医学倫理審査委員会の承認を得たうえでAさんの代諾者である両親に研究目的・方法等について説明し同意を得て実施されており,本研究で記されるAさんに関わる記述はその論文の引用である.

筆者は,この実践を行った看護師から「ケアの意味を見つめる事例研究」の方法を用いたい趣旨で参加を依頼され,共同研究者として研究に取り組んだ.

Ⅲ. 看護学において一事例研究がもつ利点

1. 意味ある成果をふまえた遡及推論が可能になる

一事例研究がフロネーシスを明らかにするうえでの有利性の1つめは,意味ある成果をふまえた遡及推論が可能になることである.Aさんの事例では,自己主張をしなかったAさんが,両親の鎮静希望にNOが言えるに至ったというポジティブな結果(outcome)があり,これをもたらした実践を明らかにすることが研究課題になっているが,研究着手時点の看護師は,「頑張った実感はあるけど,あれでよかったのだろうか」という疑問の渦中にいた.この事例が研究に値すると思えるようになったのは,共同研究者との対話により実践過程を振り返ることによって,直感的で無意識的な行為がその時々にじわじわと予想以上の結果を生み出していたと気づいたからであった.よりよい結果を追求している看護師は,予想以上の結果をもたらした事を自認しにくい.Aさんの事例以外でも,「うまく看取れなかった」という後悔から分析を始め,最期まで本人の希望を中心に据えるという大事な実践をしていたことに気づいて論文化された事例研究(佐藤ら,2018)がある.

ショーンは,専門家の職業生活は暗黙の「行為の中の知(knowing-in-action)」に依存しており,それは「行為の中の省察(reflection in action)」によって産みだされていると述べている(Schön, 1983/2001).そして,そのメカニズムについて,行為の最中において問題状況に枠組みを与えるように目的と手段を相互交流的に規定し,即興的に独自の事例についての新たな理論を構成していると説明している(Schön, 1983/2001).看護実践における患者に合わせた創意工夫もこのメカニズムはあてはまるが,通常は,それについて立ち止まって考えようとはされずに暗黙知化している.予想以上の結果をもたらした気づきが,遡及推論(retroduction)の必要性を喚起し,課題に集中した分析,つまり事後的な「行為の中の省察(reflection in action)」を可能にするのである.

すなわち,一事例研究においては,分析プロセスで行われた共同研究者との対話による実践過程の振り返りによって,研究課題が明確化されると共に遡及推論を喚起し,それが実践者本人の無意識的な行為についての省察と言語化をもたらしている.その結果,対応に悩んだ状況において何が気になり,何を意図して実践行為が選択されていたかが明らかになる.こうして困難場面で即興的に創出されていた「実践知」が見いだされている.

2. 場面に応じた具体的実践のヒントになる

一事例研究では遡及推論により具体的な実践の妙技を特定できる.そして,それについて対話し具体的に想起されることで妙技の成り立ちを詳らかにすることができるため,場面に応じた具体的実践のヒントになる.

例えば,Aさんの事例において「このまま死んでしまうのかなぁ…」とつぶやかれたときに,看護師はとっさに「したいこと,こうなりたいってことある?」と切り返し,それが「歩きたい」という希望を引き出していた.また,苦痛の増強を見かねた両親が持続鎮静を希望したときに,本人の意向を確かめようと「ずっと眠っていたい?」と問いかけ,「早めに寝て,朝,顔を拭くときに起きたい」と返答を得て,結果,本人の意思で持続鎮静を延期できた.

永井は,「看護の現場では,一般的な看護師と一般的な患者が一般的な看護状況を構成しているのではなく,唯一の個人としての看護師と患者が関わり合って他に二つとない実践状況を成り立たせている.身体的にも精神的にも様々な個性を持った一人ひとりに看護師は向き合うわけであるから,そこでは,より微視的なアプローチ が求められる」と述べている(永井,2019).

前述の状況でAさんにかけた看護師の言葉の選択は,一般的なものとは思えず唐突にも感じられた.そこで,その看護師に説明を求めてみると,以下のようなことがわかった.

看護師は,転院時のサマリーに病識不明で自己主張なく本人の希望が読み取れない患者であると書かれていたために,意識的にじっくり関係を紡いできていた.そして,両親に庇護された環境で自分の意見を持つ習慣がないらしいことを看破し,今ここで本人の思いを引き出さなければ,この人の生きた証が残らないと強く思い,頭と心をフル回転して前述の言葉を発していた.「死への不安」が語られた場面で看護師は,その背景や事情について知りたい,聴きたい,語って欲しいと思いつつ,両親の強い希望による「告知はしない」という申し合わせがあり,どう反応するかに迷ったという.その迷いの中で,その場にとどまってマッサージを続け,「したいこと,こうなりたいと思うことある?」と,患者がこの会話の中で構えずに答えることができる問いかけに至っていた.そして,この対話が本人の希望を保つためのリハビリ開始に繋がっていた.

エンド・オブ・ライフケアにおいて,本人の残された時間を納得できるものにする援助の重要性は共有されているが,「いかにしてそれを実践したらいいか」については,患者が置かれている状況も看護師との関係性も様々であり,ひとつの正解があるわけではない.だからこそ必要なのは,見えている行為と共に,その行為に至る看護師の視座・視点と意図が明らかにされることである.ケアは一回性の状況における,その人特有の経験を持つ人間同士の相互作用であるが,よい成果を生んだ具体的な実践とそこに在った個別的な看護師-患者関係に関する信頼できる情報の提供は,他の看護師にとって類似状況を経験するときのヒントになると考える.

3. 物語性によって読者を触発できる

一事例研究は,そこで繰り広げられた人間同士の固有なスタイルを持つ相互作用を,ストーリーとして記述できるため物語性による触発を喚起しやすい.

ウィーデンバックが援助の原理に「一致・不一致」「目的にかなった忍耐」と「自己拡張」をあげているように(Wiedenbach, 1964/1969),看護師は看護課題の解決を意図して一回性の即時的対応を積み重ねながら,どうしたらその人なりの健康を達成できるかと,患者のありように関心を注いで小さな矛盾に気づき,関係性を深めつつ創意工夫を繰り広げていく.つまり,よい結果は一朝一夕に生じているのではない.ひとつの事例における看護実践は,状況に応じて意図をもち,かつ対象との関係を形成し続け,一貫した実践のスタイルで積み重ねられて成果に至っている.

河合は,「優秀な事例報告が,その個々の事実をこえて普遍的な意味を持つのは,それが〈物語〉として提供されており,その受け手の内部にあらたな物語を呼び起こす動機(ムーヴ)を与えてくれるからなのである」と述べている(河合,1992).

「ケアの意味をみつめる事例研究方法」では,事例の展開の質的変化からの時期区分を横軸に,実践の意味の共通性から導き出した【大見出し】・《小見出し》を縦軸にした表を作成している.これは,事例の中で繰り広げられたストーリーとその看護師独自の実践のスタイルが一連のものとして把握しやすくするためである.

Aさんの事例では,【関係性をじっくり育て,今まさにある気持ちを知る】が,《「気になる」「ひっかかる」情報を意識に留めつつ思いを探り続ける》,《その人の世界を侵さないよう,あえて踏み込まない》,《会話できる空気感を作り,見えない気持ちを日常に問う》という実践スタイルで,前期から後期にわたって実行され続けたことが明らかになった.また,【本人主導を貫き,自己表現を後押しする】,【家族の潜在力を信じて家族を揺さぶり繫ぐ】という実践も同時に展開されていたことがわかった.このように,ストーリーと実践スタイルの把握ができて読み手の興味と理解を励起するところに「物語性」が存在する.

分析過程でも,その時々の看護師の揺れる感情を聞き取っていると,聴き手である共同研究者には,そこで繰り広げられたケアの世界観が伝わってくる.一つ一つの実践の秀逸さもさることながら,それを生みだした看護師の気概や看護観に感服したり共感したりする.それは,患者と看護師の関係性の積み重ねを含むその事例の物語の伝播によるものであると思われる.

新田は,「物語においては,書き手と読み手が,相互に再帰的にあるいは再生成的に関係し合い,物語の生成過程と解釈過程,創作過程と鑑賞過程の相互交流において,語りと聞き,書くことと読むことがダイナミックに切り替わる」と述べている(新田,2016).

触発性は「送り手」だけでなく「受け手」の背景にも影響を受けるため不確実性は否めないが,意味あるものとして受けとった「受け手」は,それを自分で咀嚼し次の実践に繋げていくであろう.フロネーシスの伝達・伝承は,その痕跡である「実践の在りよう」から感じ取る方法で行われると考える.

Ⅳ. むすび

看護学における一事例研究の利点について,意味ある成果をふまえた遡及推論(retroduction)により焦点化した検証が出来ること,看護実践の背景を描くことが出来て場面に応じた具体的実践のヒントを示せること,ストーリーとスタイルを含む物語性によって読者を触発できることを説明してきた.それらを踏まえて,一事例研究によってフロネーシスが顕わになり伝達されることを説明してみたい.

アリストテレスは,フロネーシスを「行為から切り離せない知,すなわちプロセスそのものに意味があり価値があるような知として注目」した(塚本,2008).目前の「その人」のよりよい生・健康を目指そうとする看護実践において,いつものやり方では突破できない課題に遭遇した際に,その状況に相応しい行為が創り出されて困難状況が打開・突破されることがある.それを生みだしている「知」がフロネーシスである.

Aさんの事例で例えるならば,Aさんの心が張り裂けそうなタイミングで“会話できる空気感をつくり”,“構えずに答えることができる問いかけ”をした実践は,「今,ここ」を判断して患者に応じた創意工夫であり,フロネーシスの発露と言える.フロネーシスは人と状況から切り離して取り扱うことが困難な「知」である.故にそれを伝えるには,具体的事実を文脈と共に示す必要がある.そして,それを伝えるには,別場面で応用するためのヒントを与えたり,物語性による触発という方法で行うのがふさわしい.

ベナーは,臨床の専門知識・技術の中に“埋もれている知識”は,看護実践の進歩および看護科学の発達において中心的なものと述べている(Benner, 1984/1992).「観察や実験など経験的方法に基づいて実証された法則的知識」を科学的知識とみなす近代的科学観に基づき,このような個別で偶発的な「知」を脇に退けてしまうことは,対象の個別的ニーズに対応する看護にとって損失である.「理論と実践の実りある関係」(Gadamer, 1993/2006)を成立させるために,暗黙知としてブラックボックスに置き去りにされがちなフロネーシスを掬い取り伝達する必要があり,その一方策として一事例研究が有用と考える.

付記:本研究はJSPS科研費18H030369の助成を受けたものである.

謝辞:本研究をまとめるにあたりご助言いただきました山本則子先生はじめ研究チームの皆様に深謝いたします.特に哲学の立場から多くの示唆をいただいた東北医科薬科大学教養教育センター家髙洋先生に厚く御礼申し上げます.

利益相反:本研究における利益相反は存在しない.

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